間章②
その頃、市では刻一刻と、セリヌンティウスの処刑の準備が進められていた。王の部下のあらくれどもが、鞭をぴしゃりと鳴らし奴隷を働かせ、王宮前の広場は刑場へとしつらえられようとしていた。
王は、死の瞬間に歪むであろう、刑死者の眉の動きすら見える、絶好の特等席へ玉座を鎮座させ、竣工の様子をにやにやと眺めていた。
「職工よ、今夜お前が死ぬ処刑場の出来はどうか?」
「……」
王の隣で縛り付けられたまま、不動のセリヌンティウスの眼前には、木組みの粗末な13階段と、その先に続く溶鉱炉の大口が開いていた。未だその炉に火は入っていないが、ひとたび起動すれば最高十万度の超高熱に至る火炎が満ちることを、セリヌンティウスは知っていた。
なにあろう、その炉はセリヌンティウスの工場から、今日持ち出されたものであった。王の悪意ある趣向である。
「もうじき日が暮れる。やはり、あの嘘吐きは逃げたのだ。お前の炉が最後にとろけさせるのは、おまえ自身になりそうだな?」
セリヌンティウスには口枷がつけられたままである。王はセリヌンティウスには目もくれず、処刑場を見つめて嗤い、独り語りを続けた。
「お前の弟子に聞いたぞ。あの炉は、あの木偶人形を修理する時に使ったものでもあるらしい。その木偶の身代わりに炉で溶かされるとは、お前も運が無い男よ」
「……」
「職工、命乞いをしてみてはどうかな? わしは良い気分だ。もしかすれば、わしの慈悲を引き出せるかも知れんぞよ?」
セリヌンティウスは無言であった。微動だにしない。王の言葉の意味するところが、彼にとって不要であるから故だった。しかし王はそれを逆に面白がるようで、言葉をさらに重ねる。
「今、お前が命乞いをすれば、許す。あの炉で溶かされるのは、メロスとなる。地の果てまでも追っ手を差し向け、捕らえ、炉へ投げ込もう。言葉は不要じゃ、呻くだけでよいぞ」
セリヌンティウスの頬がピクリと動いた。王が耳をそばだてた。セリヌンティウスの強靭な顎が、口枷を噛み砕いた。
「断る。王よ、メロスが溶かされるというならば、それはメロスが間に合ったときだけだ」
啖呵を切るセリヌンティウスに、その答えも予想のうちか、王はにやけ嗤いを消そうとはしない。「ではお前が溶けるのみだ!」
「もうひとつ、違う結末がある」セリヌンティウスが静かに語った。
「なに」
「王よ、あなたが人を信じることを思い出し、メロスを許してやれば良い。あなたは人を信じぬが故に、メロスを殺そうとしているのだから。そうすれば、誰も死なぬ」
王の目がぐりんと廻り、視線がセリヌンティウスを貫く。嗤いは消えた。亡霊のような声が聞こえた。「それはできぬ」
「何故。幾年か前、私がこの地へ流れてきた頃には、市は王を讃える歓声で溢れていた。あなたの聡明さと誠実さを讃える声だ。私はその言葉を口にする人々の、明るい顔に見惚れ、この市に住まうことにしたのです。いったい、あなたに何があったのです」
答えはない。岩のように黙り込んだ王に、セリヌンティウスは憐憫を覚えた。彼もまた、過去に王の聡明さと誠実さを讃えた一人だったからだ。
「あなたは知類として、人もセカンドも、そしてメロスたち機械も同じく星に生きるものと平等に接しておられた。誠実に、真心を持って、人を信じて。それが、何故」
王は何も聞こえぬといわんばかりに、静かに眼を閉じた。しかし、セリヌンティウスの言葉が尽きることはなかった。彼がここに縛られているのはメロスとの友情のためだけではなかった。彼はこの市を愛する一人だった。
どんなに王が断とうとしても、セリヌンティウスの言葉は王の身体を震わせた。
ふと、王が目を開ける。そこに聡明の光を見て取り、セリヌンティウスは息を呑んだ。
「……人は信じられぬ。信じてはならぬのだ、セリヌンティウスよ。人を信じそしてその栄光の果てに何があるか……」
はっとしたように瞬きをし、それきりまた、王は押し黙った。もうセリヌンティウスの事を見てはいない。刑場も。ただ、燃えるような陽を睨みつけてるばかりだった。
王の青い顔はいっそう青褪めていた。沈黙のまま呆然とする王の唇が震えたのを、セリヌンティウスは見たような気がした。「プロメテウスの火」その言葉はセリヌンティウスに聞こえたかどうか。
日は西に傾き、斜陽の赤光が、刑場を血色に輝かした。その色はまた、火炎にも似ていた。