175話 ちっぽけな世界で生まれる奇跡 3
崩れたから見えるもの
蒼い指輪に
希望を詰めて
今度はもう
間違えぬように
ひとりで
高所から荒縄で吊るされたクロトは、下を見ぬよう意識する。緊張で滲みでる汗がぽたりと落ちて刹那の間に視界から消えてく。
高さはどれくらいなのか想像もつかない。寒さと不安定さとを混ぜた死の危険とクロトは、闘う。
強風吹き荒れるなかでとろりとした灰色の液体を壁の亀裂に塗りつける。
奴隷街を囲う壁は天をも突くほどに高く頑強だった。
奴隷たちを閉じ込める檻のような壁ですら奴隷が補修する。エーテルたちは、決して奴隷たちに余計な干渉をしてこない。
腕に引っ掛けた小さなバケツは見た目以上に重かった。反対の手にもったコテでクロトは、たどたどしく壁を補修していく。
「――つぁっ!?」
壁に押しつけていた足が藻ですべり腰に巻いた命綱に全体重がのしかかる。
痛みよりも生きていたということに感謝をしながら慣れぬ高収入の危険な作業に身をやつす。
「う、ぐぐぐっ、ふっ!!」
怠惰な均衡こそが生としていたクロトは、変わろうと思った。
それは双子のためでもあり、自分のためでもある。
サナとルナは、きっとバアルノスの元へ行く。権利があって力強くて奴隷街を統べる男のもとへ。
そういう気配は幾度もあった。どれほど望まぬ行為を強制されようとも慣れていくふたりは、昨日のようにバアルノスを許容する態度を見せた。
変わる環境。だからこそ変わる時がやってきたのだ。
「――くぅっ!?」
ずるり。もう一度同じように足が壁から離れる。
「ぐうううう!」
しかし、宙ぶらりんの状態から即座に元の体勢に立て直す。
はじめのおっかなびっくりだった頃と比べかなり慣れが見える。
すでに空は茜色。時間をかければ嫌でも体が安定姿勢を覚えた。
「ふぅ……よしっ!」
今朝方に手渡された左手指の指輪を見つめてクロトは、ふたりを手放す覚悟を決める。
ふたりの恩情に甘えるわけにはいかない。このまま甘えつづければバアルノスのもとにいったふたりと、永遠の別れになってしまう。
そんな思いが堕落した少年の心に烈火の如き火をつけたのだ。
対等でありたいと願う気持ち。同じ場所に立ちたいという叶わぬ夢。
殻を破ったクロトは、一心不乱に、がむしゃらになって前を向く。
「ふぅ、ふぅ……あとは慎重に……!」
ぺたぺた。壁の亀裂にふたをするように不器用ながらも固まる石の液体を塗りつける。
なだらかに、なでるように。不安定な格好でクロトは、緻密な作業を文句も言わずにつづけた。
「おっ! 綺麗にできたぞっ!」
凹凸のない滑らかな納得の行くでき栄えだった。
それを見て愛らしい少女のような中世顔に華やかな笑顔を浮かべる。
やってみればなるほど面白い。学のないクロトにとって技術とは、魔法同然だった。
まず炭で貝を熱して充分に火を通したあと、砕く。そこに粘土、石、鉄を混ぜると何故か固まる液体ができる。
――身近にあるものでこんなすごいことが出来ただなんて知らなかった!
やがてモノ作りの楽しさが芽生え始める。
喜びはしゃいで上を見れば、先輩がこちらを見下ろしていた。
「おーい! はしゃぐのはいいけど慎重かつ焦らずにやれ! つまり、油断しないでご安全にやれー!」
この作業場で初めて出会った先輩というやつ。
やけに目つきの悪い青年の名は、フニーキというらしい。
しかしその見た目とは裏腹に作業内容を事細かに説明してくれる。
クロトがわからないと思った工程をあたかも心を読んだかの如く懇切丁寧に解説してくれた。
引き締まった体は、バアルノスほどではないにしろ筋肉質。危険な作業に慣れて金回りがいいのだろう。その合わせのある動きやすい農家の衣服は、茶っこけてなくほどよい白さを保てている。
「フニーキさーん! できましたー!」
最後の補修箇所を終えたクロトは、先輩にコテごと手を降って引き上げを要請した。
すると間髪入れずがっしりと縄が上へ上へと引っ張られる。
「オーエス! オーエス!」
わけのわからない掛け声を耳に、オレンジを蕩かした空がぐんぐん近づいていく。
あれよあれよという間にクロトの足は、地を踏んだ。
クロトからさっさと重いバケツをとり上げたフニーキは、左手をポケットにしまったまま、それを肩に乗せるようにしてもつ。
漂う熟練の風格と新人への優しさ。そうやってもつと楽なのだという豆知識をクロトは、習った。
「一日目なのに結構慣れてきたな。左官の才能があるかもしれないぞ?」
ニヤリ。片側だけ口角を上げる笑みは、クロトからすればまだ怖い。
「……さかん、ですか?」
「あ、いや……なんでもないなんでもない。技術者ジョークだ」
そう言って場を和やかしながらフニーキは、ご機嫌な足どりで地上に繋がる階段へ向かう。
「今日の作業はこれで終わりだ。おつかれさま」
「はいっ! おつかれさまでした!」
元気よく返事をしたクロトは、ちょこちょことまるで親鳥についていく。
そんな小鳥のように、その大きな背中を安息の体で追いかけた。
身長差は、およそ頭一つ分はあった。共通点があるため並ぶとまるで兄弟のよう。
ここは天高くそびえ立つ壁の上。ぐるりと見渡せば奴隷街の全体が一望できた。無論作業中に落ちたら確定的な死がまっている。
立端の高いフニーキは、ちらちらと街を睨むように眺めながら、口のなかで言葉を転がす。
「……チッ、コンクリがあるとはなぁ……。バカにしすぎてたか……? いや、でも大丈夫なはずだ……」
ときおり口から独り言をこぼすのは、癖なのだろう。
どこか晴れ晴れとした気分。気持ちのいい疲労を覚えたクロトは、日当で双子になにを買っていこうか悩んだ。
しかし誰かになにかをプレゼントするのは、初めての経験。初めてづくしのクロトは、なんとなく信頼を置いた先輩に尋ねる。
「あのっ、フニーキさん」
「……んぁ?」
とぼけた返事。思案を停止して振り向いたフニーキのまとまりのない黒い髪が風でそよぐ。
染めたかの如く闇のように黒い髪は、珍しい。同じく変異体である黒髪のクロトは、まじまじとその髪を見つめた。
変異体。ときおりルスラウス大陸に生まれる先天性な特徴のひとつ。混血ほど珍しいものではないが、それもまた希少なのだとか。
黒い髪は、神のいたずらや神のきまぐれなどとも呼ばれる。冥を彷彿とさせる漆黒の色は、あまり好まれないのも特徴だろう。
理由ありきで友の少ないクロトは、そういう理由もあって同種以上の信頼をフニーキへ寄せていた。
「女の子が欲しいものってなんだと思いますか?」
「唐突だな……しかも難問じゃないか……」
するとフニーキは、微かに目を細めて思案するかのように首を斜めにする。
唐突に質問をぶつけたことを失礼かもしれない。そう思いながらクロトは答えを待った。
「……剣とか杖とか?」
「あ、いえ……もっと日常的なヤツでお願いします」
女性へのプレゼントで武器がでてくるのはオカシイ。
それにクロトたちは、魔法が苦手な上に剣も握ったことすらない。
「んー、そうだなぁ……。指輪とか現物を貰うと重いから……――重かったからぁ! 消えモンがいいかもあまーい食べ物とか」
「そ、そうですか……。い、いちおう案に入れておきます……」
「うむうむっ。まあ、羽交い締めにして薬指に直接渡すようなことをしなければ喜ばれると思う。あと呪いもなしだな」
その風が撫でる横顔は、寂れて哀愁が漂っていた。
なにか女性関係に嫌な思い出でもあるのか。とにかく聞くべき相手を間違えたことだけは確かだろう。
「……あ、はい」
クロトは、情緒不安定なフニーキに突っ込んで問うことは止めた。
……………
フニーキと別れて、手にした銅貨を握りしめたクロトは、ウキウキ気分で帰路につく。
襤褸と襤褸の隙間を縫うように、居住地区を歩く。雑多に立てられた幕屋のなかからは、奴隷の住む気配が臭う。
居住地区には、所狭しと居住施設が立てられている。不衛生で悪臭漂う襤褸の住まいの群れ。臭いになれるのは決して楽ではない。
対して管理者や金持ちが住まう居住地区は、かなり優遇されている。
金のないものはないなりの家に住まい、あるものはそれ相応の場に上がっていく。格差を縮めるには、努力以外になにもない。
普段よりも重くのしかかる倦怠感に対して足どりは、爽快なほどに軽やか。
「これが労働の喜びってやつかぁ……!」
真紅に染まった空に腕を伸ばすと胸のなかがスッとした。
危険な作業で生きて帰ってこれる確率は、かなり高い。初作業であればなおさら。
見合った対価を得られると金に目がくらんだ愚か者ほど空から命を落とす。
しかし今回は、運ではなく実力だった。縄の縛り方や命綱の点検方法などを耳にクラーケンができるのではなかと思うほどに教わった。
だろうではなく、かもしれないでいけ。それが先輩から教わった生き残る方法だった。
「よっし! 明日からもどんどんがんばるぞぉっ!」
明日からもつづく危険作業に改めて気合を入れ直す。
フンフン。小さな鼻を広げてクロトは、未来に向かう。
その瞬間。ふと、疑問が脳裏をよぎった。
「……あれ? なんで僕って努力をしなくなったんだろ?」
未来に向かう足で脳は、過去を思い起こす。
今まで疑問に思ったことすらない怠惰の理由。腕を組みしたクロトは、やや歩調をゆるめて考えた。
まずはじめに思い浮かんだのは、双子、サナとルナの顔だった。
結びつくのは、面倒を見てくれるという安寧の気持ち。一所懸命なふたりに甘えていたということ。
まず1つ目の原因を自覚したクロトは、首をぶんぶんと振り乱す。
「もう甘えるのはダメだ! もうこれからは、ひとりで生きていくって決めただろっ!」
ピシャリと頬を本気で張って気合を入れ直す。熱のこもった頬は、じんわりと痛んで涙がでそうだった。
それでも後悔がないのは、クロトの心中にふたりから離れるという結論がでているから。
すると次に浮かんできたのは、唯一無二である筋骨隆々な男らしい糸目の顔だった。
共に汗して働いて。そんな遠い過去を共有する友だち、管理者となったバアルノスだった。
クロトは、たびたびバアルノスから施しを受ける。それによって生活が成り立っていたと言っても過言ではない。
「……バアルノス」
クロトは、バアルノスから怒りや暴力の感情を受けた覚えがない。
常にニコニコと笑いかけてくれた友だち。
それに友が並々ならぬ感情を双子に向けていることは、周知の事実。
それでもサナとルナが望まないのであれば、クロトとて友を説得する覚悟はあった。
しかし近頃サナとルナは、バアルノスを受け入れようとしている。
――アイツならきっと双子を幸せにしてくれる、はず。
友と宝物。天秤にかけることなどできない。
ふたりを手放し友に委ねると決めたクロトは、欲を、己を殺して決断した。
考え事をしながらも歩いていれば家につく。
襤褸の幕屋はどれもこれもが薄汚い。それでも足が自然と我が家に向くのは、もはや慣れであろう。
ひらひらと手招きする入り口の布をクロトは、颯爽と開く。ふわり。奴隷街に似合わぬ嗅ぎ慣れた甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ただいまー!」
それは普段の作り笑顔ではなく心からの笑顔。
すると返ってくるのは、ふたり分の嬉々とした音色だった。
サナとルナは、裸でもなく、襤褸ではなく、普段着を纏ってクロトを迎える。
「おっかえりぃ! 遅かったから心配してたんだからっ!」
「お、おつかれさまっ! なにごともなさそうでよかったぁ……!」
この光景がいつまでつづくのか。そんなちょっぴりの不安が幸福を奏でる背後でちくりと響く。
それでもクロトは、元気よく飛びついてきた愛するふたりを、笑って抱きしめることができた。
…………




