第六章 その10 地震
N/Aがこのハイパーアクティブ制震システム「イース3D」に何か手を加えていたとしたら、どこかにその痕跡があるはずだ。キイチは電子の記録を辿る。
ネットワークで外部とつながっていない、いわゆるスタンドアロンのシステムだとセキュリティが甘いことも多い。いかなる場合であれセキュリティは多層防御が基本だ。だが実際には、ネットワークにつながっていなければ施錠だけで大丈夫、と安心しきったようなシステムも珍しくない。
ご多分に漏れず、イース3Dのセキュリティはないも同然だった。プログラムには署名もなく、ユーザは特権ユーザしか存在しない。すべての権限がフルオープンだ。
なのに、プログラムが書き換えられた形跡はなかった。
もちろん、犯人が隠蔽した可能性もないわけではない。だが、そうだとしても足跡を消した痕跡すら見つからないのはちょっと周到すぎて不自然だった。ハッカーであればこのセキュリティがザルであることは一目で分かる。現行犯で押さえられない限り、証拠を消して立ち去る意味があるとは思えなかった。
『キーくん! 地下のシステムには侵入された形跡がないわ。そっちは?』
サブノートPCから割れた音声が聞こえてくる。キイチはサブノートを開いた。
カナは目元こそ赤いままだが、その表情は落ち着きを取り戻していた。取り乱した姿を弁明することもなく、無理矢理屋上に向かったキイチへの文句の一つも言わない。
やるべきことをやるための時間が、もうほとんど残されていないことを知っているからだろう。
キイチは画面に向かって話しかける。
「こっちも同じだ。システムが改ざんされた様子はない。綺麗なもんだ」
『そん……な』
アンジェリカの声が聞こえる。
『ごめんなさい……あたしの情報で振り回してしまって……』
だが、キイチはそれをあっさりと聞き流す。
「プログラムを改変せずに誤作動させる方法はなにかあるか?」
『たぶん、プログラムを改変するよりも簡単で確実な方法ね。システムに侵入しようとすらしてないもの』
『ちょ、ちょっと待って。「イース3D」じゃなかったんでしょ? なのにどうして他の可能性を当たらないの?』
当たり前のように話を進める二人にアンジェリカが口を挟む。
『……今から他を調べる時間はないからよ』
「そういうことだ。奴らの仕掛けが『イース3D』でなかったら、俺たちに勝ち目はない。ゼロだ。でも『イース3D』だったら、万が一がある」
『ゼロと……万が一……』
「俺なら万が一に全財産賭けるね」
納得したのか、諦めたのか。アンジェリカは「……ん」と、短く息を継ぐと一気に説明する。
『「イース3D」は三ステップで動作。ステップ一、各階に設置された振動感知センサの情報を集約し、どのようにタワーが揺れているのかを認識。ステップ二、その揺れを打ち消すための逆位相の揺れを屋上側のサーバで計算。ステップ三、その揺れを発生させるためのアクチュエータの動きを計算して駆動。なにかを仕掛けるとしたらこの三ステップのどれか、ね』
『……あっ』
「そうだ!」
カナとキイチが同時に叫ぶ。
「改変されたのはサーバの方じゃない。センサの方だ!」
『キーくん、もう時間が!』
そのときだった。
ズゥウン、と鈍い音がしたかと思うと、それを皮切りにズズズズズズゥウン、と四方八方から地鳴りの音が次々に重なってキイチの腹の底に響いた。
(爆発か!?)
身構えようとした瞬間、キイチは二メートルほど横にはじけ飛び、制御室の壁にたたきつけられた。
「くはっ」
無理矢理肺から吐き出させられた息を吸う間もなく、今度は反対側の壁に激突する。壁が吹っ飛んでくるのか、自分が吹っ飛んでいるのかすらわからない。
(ま……マジかよ……)
直下型の震度七の地震に合わせ、巨大なウエイトが激しく前後左右に揺れる。地上六二〇メートルを超える高さ、そのウエイトと同じフロアに位置している制御室の揺れはもはや地震と言えるものではなかった。
キイチの身体はまるでピンボールのように弾かれる。眉間が割れ、反射的に突き出してしまった手の指は絡まったように動かない。多分何本かは折れているのだろう。頭をかばおうとしても腕を上げることすらままならなかった。傷を確認することもできず、もはやどこが痛いのかもわからない。
「くそっ」
キイチは必死に机に腕を伸ばす。だが、その弾みで机の上のモニタが落ち、それに蹴躓いてラックに顔から突っ込んだ。ガラス扉が砕け、キイチは上半身がラックに嵌まって動けなくなる。それでも揺れは容赦なく、ラックごとキイチを振り回す。
(……や……べ)
そのとき、キイチの胸ポケットからぽろっと何かが転がり出た。
それは愛用のビクトリノックスだった。
キイチはそれを手に取ると、ラックの内側に立てられている電源コンセントバーに突っ込んだ。激しい揺れに狙いを定められない。
「くそっ!」
キイチはナイフの刃を掴むと、無理矢理電極に突っ込んだ。パーン、と破裂音が響き、火花が散る。
それと同時に制御室の明かりが消え、サーバのファンが止まった。ラックの電源がショートして、電力を失ったサーバが落ちる。
制御室の外から聞こえていたアクチュエータの動作音は次第にウゥン、ウゥン、と揺れに任せるような音に変わっていった。サーバが停止すれば、アクチュエータへの指示も途絶える。揺れそのものも超高層ビル特有の大きく、ゆっくりとした超長期振動になっていった。
ハイパーアクティブ制震システムが動かなくなれば、セブンアイズ・タワーそのものの耐震構造が揺れを受け止めることになる。劇的な制震は期待できなくとも、倒壊は免れるだろう。
「ふぅ……」
息をつくと、急に全身のあちこちがずきずきと痛み始めた。
助かった、と思った途端に痛みを訴えてくる身体を、キイチは現金なものだ、と内心苦笑する。キイチはゆっくりとラックから身体を引き抜くと、モニタ面を下にして落ちているサブノートPCを拾い上げた。
モニタのパネルは割れ、画面は墨をこぼしたように黒い領域が広がっている。キーもいくつかなくなっていた。
だが。
『キーくん!』
『キーチ!』
二人の安堵する声が、サブノートPCの貧弱なスピーカから聞こえてきた。PCは生きていたらしい。
「……ああ」
キイチは割れたモニタに向かって頷いた。
カナとアンジェリカがどんな顔をしているのか、そもそも自分がどんな顔をしているのかもわからない。
それでも、死ぬときは三人一緒、という約束だけは破らずに済んだようだった。




