第四章 その4 謎
「なんだかごめんね、付き合ってもらったのに」
駅に戻ると、柚木は申し訳なさそうに言った。
西日に照らされた柚木のポニーテールがオレンジ色に染まっていて、どことなく郷愁を誘う。
キイチは手を振って答える。
「真中さんに用があったのは委員長でしょ。ケータイショップも教えてもらったし、俺は目的果たせてるから」
「それはそうだけど、無駄足に付き合わせちゃったから。ね」
軽く肩をすくめると、柚木は「また明日ね」と言い残して駅の雑踏に消えていった。
キイチは、駅前でしばらく時間をつぶしてからカナのアパート前の児童公園に戻った。ベンチに座るとステゴサウルスの形をした滑り台の向こうに橙色の夕陽が見え、特徴的な背中の板が落とす影が少しずつキイチの足下に近づいてくる。キイチがふと後ろを振り返ると、自身の影も同じように伸びていた。
柚木は委員長に選ばれ、担任からも仕事を頼まれる人望に加えて気遣いもできるのだから、とてもいい子なのだろう。だからこそ、柚木のアンジェリカに対する嫌悪感にやるせない気持ちになる。
会ったこともない普通の人たちが、まるで常識のように向ける悪意。この人は叩いてもいい、という風潮が生まれれば、叩くことが同じコミュニティにいることの確認作業になる。
特にアンジェリカの場合、統括理事会がサイバー犯罪の頻発を認めない限りは擁護する理由がない。彼女が電車の大事故を未然に防いだことは同じ電車の乗客ですら知らないことだ。そうなれば類い希なる美貌も逆効果にしかならない。擁護する理由が容姿であると思われることは避けたいと考えるのが普通だし、同性であれば嫉妬の対象にもなる。
そうして「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の諺どおり、銀髪が気に入らない、翠眼が気に入らない、外国人であることが気に入らない、若いのが気に入らない――すべてが気に入らない、となっていく。
それなのに、どうしてアンジェリカはこの箱庭都市を護っているのだろう。そもそも外部の人間だ。そこに義理はない。サイバーセキュリティ特務課も彼女だけしかいないわけではない。
アンジェリカは「兄さんのためにここに来た」と言っていた。そして今もなお、彼女がここにいるのも兄のためなのだろうか。
(ああ、くそっ)
アンジェリカの兄のことを考えると腹立たしい気分になる。妹が記憶喪失なのをいいことに、兄の座にちゃっかり納まりやがって。たかが現世の、言ってみれば世を忍ぶ仮の兄の分際でどれだけ妹に無理させてるんだ。
やはり、妹を助けるのは自分しかいない――キイチは思いを新たにする。そのためには自分の意思でこの箱庭都市から出ることを決意させることが必要だ。前世の記憶を取り戻すことでそれが叶えば言うことなしだが、その術がない現状ではアンジェリカがここにいなければならない理由をなくしてしまうのも一つの方法だ。
だが、現時点で明らかになっていることは少なく、不可解なことだらけだ。
電車ジャックに信号クラック、その前にアンジェリカの怪我の原因となったものを含めると少なくとも三件のサイバー犯罪があったことになる。
首謀者は同一人物――あるいは同一組織――だろうか。ことごとくアンジェリカが居合わせてしまうのはなぜなのか。アンジェリカのケースは氷山の一角で、実際にはもっとたくさんの事件が起きているというだけなのだろうか。
信号がクラックされたときに猛スピードで走ってきたワゴンも不自然だ。アンジェリカは運転サポートシステムが付いていても、意図的な信号無視ならできると言っていた。本当にアンジェリカを殺すことが目的なら信号なんかどうでもいいはずだ。
統括理事会にもおかしな動きが目立つ。
アンジェリカを人身御供とするのならまだ理解できる。サイバーセキュリティ特務課に対する不平・不満を彼女に集中させることで本体に対する責任追及を逃れることができるからだ。だが、サイバー犯罪が起きていないとしている以上、サイバーセキュリティ特務課不要論は揺るぎそうにない。
そもそもサイバー犯罪なんか起こっていない――少なくとも起きたことを認めていない――というのはサイバーセキュリティ上やってはいけないことだ。対策を行い、公表することで他者への注意喚起を促すとともに、問題があったときの対策がしっかりとられている組織であることを犯人や犯人予備軍に知らしめることが重要だからだ。
無論、そんな常識をサイバーセキュリティ特務課を新設するような統括理事会が知らないはずがない。
(勘の良すぎる子はお姉さん、嫌いだゾ?)
ふと、ラミアの言葉が脳裏に浮かぶ。
あのとき、自分が訊いた言葉はなんだっただろうか……。
日が落ち、八時を回る頃には駅前の喧噪と住宅街の静寂の差がより大きくなる。夕方には子どもたちが駆け回っていた児童公園も、すっかり無人になっていた。
キイチに寄り添うように背後に貼り付いた影は、日没とともに見えなくなっていた。
影が消えるときは闇に飲まれたときだ。




