第四章 その3 敵
柚木は一番奥の部屋をノックした。
「真中さぁん、柚木ですぅ。真中さぁん?」
だが、声をかけてもドアが開くことはなかった。
キイチは配電盤の上に取り付けられたスマートメータを見上げた。消費電力量の上昇速度が速いが、それが在宅である証左にはならない。司法取引で情報提供者をやっていること、愛帝学園の生徒として潜入できるような年齢であることを考えると、カナはキイチと同じくハッカーである可能性が高い。であれば、ここは情報処理拠点として、常時通電しているPCやWSがあってもおかしくない。
部屋の灯りは付いていないようだが、耳を澄ますと規則的なノイズが聞こえてくる。
「どうやら空振りみたいね」
柚木はそう言うものの、あまりがっかりした様子はなかった。もしかしたらこうなることを予想していたのかもしれない。
がっかりしていたのはむしろキイチの方だ。
せっかく真面目に任務をやろうと思ったのに待ち人来たらず。そんなときに降ってわいたチャンスだったが、労せずして転がり込んできたものは所詮ぬか喜びでしかなかった。
「残念だったね」
キイチは失望を悟られないように、話を合わせて軽く答える。カナとは接点がないことになっている。相手が単なる高校生とはいえ、関係性を怪しまれる事態はなるべく避けておきたかった。
駅へ戻る道すがら、信号機のそばに銀黒ツートンのパトカーが停まっていた。警官が二人、タブレットでなにやらチェックをしている。
「箱崎四の五、A――OK」
(信号機のチェックか)
今朝、アンジェリカが遭遇した信号機クラックを受けて、現場での一斉チェックを行っているのだろう。その日のうちにここまで行うのはずいぶんと素早いな、とキイチは感心する。
「サイバーセキュリティ特務課よ、あれ」
興味深げに見ているキイチに眉をひそめて柚木が言う。
「サイバーセキュリティ特務課? 警察じゃないの?」
「そっから?」
柚木が苦笑する。
「箱庭都市に警察はないわよ。あるのは統括理事会が運営している警備保障。まあ事実上の警察だけど」
そういえばラミアが「事実上の警察組織はある」と言っていたな、とキイチは思い出す。
「いいじゃん、警察で。おんなじなんでしょ」
「外界生まれっぽいよ、それ」
柚木はそう言って笑った。外界生まれ、というのは昭和生まれ、みたいなニュアンスのようだ。そうか、箱庭都市で生まれた世代にとっては警備保障こそがオリジナルというわけだ。
「で、サイバーセキュリティ特務課っていうのは統括理事会直轄の新しい組織で、コンピュータやネットワークを悪用した犯罪を取り締まるところなのよ。コンピュータ化が徹底している箱庭都市ではサイバー犯罪による被害は甚大になる危険性があるからって、管轄を超えて迅速に対応できる組織として作られたの」
なるほど。今回の対応の速さやアンジェリカの権限の大きさが不思議だったが、そういうことだったのか、とキイチは納得する。
「でもねえ、あんまり評判良くないのよね、あそこは」
「えっ、どうして?」
キイチは素で訊き返した。
「サイバー犯罪なんて全然起きてないのに、やたらとサービス止めたり、ぜい弱性の対応とか言って、ただ使いにくくしたりするのよ。しかもメンバーに外国人の女の子がいるの。すっごい可愛いんだけどほんと、あたしたちと同じくらいの年なのよ。信じられる?」
「あ、ああ」
サイバー犯罪は起こりまくってるじゃないか、とキイチは唖然とする。一般には知られていないのだろうか。外国人の女の子というのはアンジェリカのことだろう。
「その、外国人の女の子は相当優秀なんじゃないの?」
「優秀な人なら他にもいるでしょ。企業秘密だらけの箱庭都市に、わざわざ未成年の外国人を採用するなんて、おかしいわよ」
それは確かに疑問だった。だが、それ以上にアンジェリカの「私は嫌われ者なんです」という言葉を裏付けるような話がキイチを不快にさせる。
キイチがむすっとしていると、柚木はその理由を誤解したのか「大人って汚いよね」と言った。愛人とまではいかなくても、可愛いというだけで役立たずの組織に採用された少女、それが柚木のアンジェリカ像のようだった。
「ずいぶん詳しいんだね」
キイチの口を突いて出た言葉を、柚木は嫌みとはとらなかった。
「ニュースとかで一時話題になってたもの。誰でも知ってる話よ」
「ニュースで?」
キイチはオウム返しに訊いた。柚木は「そ」と頷く。
「ほんとにサイバーセキュリティ特務課は必要なのか、みたいな特集でね」
そんな馬鹿な、とキイチは思う。電車ジャックのような規模のサイバー犯罪をSNSも含めて完全に隠蔽しきるだけの報道管制を敷くことができる統括理事会が、どうしてそんな放送を許すのか。
しかも、事実に即しているとは言いがたい。
なぜ、そんな虚聞を野放しにするのか。
どうして、アンジェリカを護らないのか。
全身包帯だらけのアンジェリカの姿がフラッシュバックする。彼女を傷つけたのはサイバー犯罪者だけではない。統括理事会も、メディアも、住民も――。
この箱庭都市すべてがアンジェリカの敵だ。




