④
岬の後を追った理事長は、自分が袋の鼠になったという事実に、まだ気づいていないに違いない。
舞台裏からステージへ上がる扉はすでに中からロックされていた。
二人が舞台裏に飛び込んだのを見計らって、理事長が逃げられないように、佐伯か蒼井さんが扉を閉ざしたのだろう。
俺と潮田のおっさんは大回りして会場の入口へと走った。
入口付近には、無数の人だかりができていた。
俺たちは人込みをかき分け中に押し入ると、無遠慮に通路のど真ん中に立ちつくした。
「これは……」
さっきここを出た時と、明らかに中の様子が違う。
会場の両脇をマスコミが埋め尽くしているのだ。
入口付近の大混乱は、これにつられて来た野次馬だろう。
「どういうこと……?」
俺は潮田のおっさんを振り返った。
「それが、さっき両腕にギプス巻いたキツネみたいな男がよ――俺んとこ来て言ったんだ。今日のためにマスコミに声かけてたみたいだけど、規模が小さすぎるってさ。だから自分が情報流して連れて来たんだって」
「室井だ……」
あいつのジャーナリストとしての執念は、いまだ失われちゃいなかったのだ。
理事長は虫ケラを甘く見た。
両腕をやられ、ピアニスト生命を断たれた虫ケラは、図太く別の才能を発揮したのだ。
「そいつが持ってた記事読んでびっくりしたよ、もし真実ならえらいこった。それでお前の後を追ったのさ。あれは、本当なのか――?」
おっさんの問いかけに答える間もなく、会場の照明が落ちた。
辺りが真っ暗になった次の瞬間、オーケストラブースに照明が当たった。
タクトを掲げた蒼井さんが、俺を見て軽く片手を上げた。
いよいよ、時は来たのだ。
「いいや。真実は今から明かされる――」
幕の下りたままのステージにスポットライトが当たった。
向かい合って並ぶ二つの影が映し出されたと同時――。
蒼井さんはタクトを振り上げた。
『地獄の怒りに燃えるこの胸』
激しい旋律にのせて影が歌い出す――。
「なんてこった……」
おっさんだけじゃない、会場中のあちこちから同じ声音がもれた。
だが驚くのはまだ早かった。
スルスルと幕が開き、その声の主が現れると、場内は騒然とした。
「おい、男の子だ! 彼が歌ってるぞ!」
「さっき、ピアノ弾いてた子よ!」
「なんて声だっ…!」
真っ白なスーツをまとった天使のような少年が――。
理事長であり父親である男を目の前にし、ソプラノよりも高い奇跡の歌声を張り上げているのだ。
「恵介、やめろ!お前が私の保護なしに生きていけると思うのか!」
理事長の空しい叫びは、岬の力強い歌声にかき消される。
もうこの世にあってはならない者の歌声――。
音楽史にその名だけを残し、闇に消え去った堕天使。
現代に甦ったカストラートが今――。
俺たちの目の前でベールを脱いだ。




