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セレナーデ~愛の歌

泳ぎはあんまり得意じゃない。


子供の時、大人用のプールに飛び込んで死にかけたことがあったから。


今でも足のつかない水中では恐怖を感じる――。


でも、今回ばかりは底の見えない水深に心底ホッとした。


「おまえら、それはないだろう……」


水面に浮かんだ俺の目に、間抜けなパンダが飛び込んでくる。


泉のオブジェの前に屈みこんだ佐伯が呆然と俺たちを見下ろしていた。


「冗談……言ってる場合じゃねえっ……!早く手貸せっ……!」


俺は岬の体を抱え、いつ沈んでもおかしくない状態だった。


佐伯の手に気を失った岬を託すと、水の中から自力でどうにか這い上がった。


フロアのど真ん中に――。


人の壁と大きな水溜りができていた。


「どうなさいましたっ?」


駆けつける支配人に佐伯はなんでもないと言う。


なんでもないわけあるか。


俺はびしょ濡れの床に這いつくばったまま肩で大きく息をしていた。


「あれえ、ダイビング?すごいや」


美女を両脇に抱えた蒼井さんがニヤニヤ近づいてきた。


騒然としていた辺りから、大きな笑い声がもれ――。


悪ふざけだと思った客たちはようやく方々へ散って行った。


「――佐伯っ!何やってんだよ!」 


うっすらと目を開きかけた岬の口に、佐伯はショットグラスからテキーラを含ませた。


「心配ない。ちょっくら休ませた方がいいだろう。お姫さんを部屋へ運べ。亀を呼び戻す――」


パーティーはお開きだ。



「俺はいい、俺はいいよ。でもこれはないだろ?起きたら猛烈に怒るぞ」


帰りのバス。


俺はふんだんにフリンジのついたエルビスみたいなスーツを着せられ。


眠り続ける岬は、ヒッピーみたいな刺しゅう入りのガウンを羽織っていた。


どちらも佐伯のワードローブから選りすぐられた逸品だ。


「ワガママ言うな。ぬれ鼠よりマシだろ」


「やめろってば!」


まっとうなことを言いながら、佐伯は岬の頭に羽飾りを差す。


「あー頭痛い。ねえ、一体何があったの?」


砂糖の呪縛がとけ、ようやく正気に戻った蒼井さんは、座席に前のめりになったまま俺たちを見やった。


俺は佐伯の部屋で聞いた岬の話をかいつまんで二人に話した。


「そんで突然さ。理事長は床屋の真似事をしたんだって――自分はあそこに投げ込まれたんだって言い出して。泉のオブジェを指差したと思ったら、ダイブしたんだよ」


「それって、もしかして……」


二人は沈黙した。


「え、何?」


俺は取り残された気がして交互に二人の顔を眺めた。


「今の話でなんか分かんの?」


「床屋の前にトリコロールの置物あるだろ」


「ああ。くるくる回ってるやつな」


「赤、青、白はそれぞれ動脈、静脈、神経を表している」


佐伯が岬の寝顔を振り返り言った。



「カストラートの全盛期、去勢手術を請け負っていたのは床屋だったんだ。カストラートは社会的に認められていたとは言え、その存在を作り出す方法はタブー視されていた。それで手術は、技術を持った床屋の手でこっそりと行われていたのさ。その印が今でも残る床屋のシンボルだ」


「でも、それと泉のオブジェとどう関係があるんだ?あんなの入った時からあったじゃん。なんで岬は突然……」


――おかしくなった。


「きっと色だ――あの時のライトの」


蒼井さんは思いつめたような顔で、俺に答える。


「色?」


「あの時、水の色は何色に見えた?――乳白色じゃない?」


たしかにあの時フロア内にはドライアイスがたかれ、泉のオブジェは白濁して見えた。


俺が頷くと、蒼井さんは確信を得たように語り出した。


「当時――。ヨーロッパでいくら医学が発達していたと言っても、カストラートの手術法は今じゃ考えられない原始的なものだった。まず第1段階として子供をミルク風呂に漬けるんだ。そして麻酔がわりにアヘンをかがせ、子供が昏睡状態に陥っている間に手術を行う。それが一般的なやり方だった」


「ちょっと、待ってよ……。それじゃ……」


あとが続かない。


蒼井さんの説明を聞きながら、俺はイヤな汗をかいていた。


「だって岬が手術されたのは十年前だよ?それも……設備の整った大病院の手術室だ」


否定してほしかった。


俺の鈍い頭でも、2人の言わんとしていることが分かり始めていた。


だから余計に――。


「おそらく理事長は失敗を恐れて、当時のやり方に則って手術を行ったんだろう」


「嘘だ……。ありえない!そんなこと!」


俺は座席の後ろから佐伯につかみかかった。


「地獄の怒りに燃えるこの胸……当然だ」


佐伯の声が震えていた。


ただならぬ雰囲気の中、運転手が心配そうに俺たちを振り返る。


「畜生!」


俺は胸に収まりきらない苛立ちをバスの壁に向かってぶつけた。


手の甲が擦り切れて血が滲んだ。


体の痛みは時に心を楽にすると言うけど、今はこんなもんじゃおさまらない。


「なんでそんなこと――」


無力だ。


俺はとことん無力だった。


話の内容が分かっているのか、閉じられた岬の目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「真実は明らかになった――。どうする?結城くん」


蒼井さんは俺に尋ねる。


俺の心は決まっていた。


「やるさ――。あの男を告発するんだ」


俺はしっかりと岬の手を握った。







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