②
最後のクマが俺の腹に収まる頃、本当に朝が来て日が昇った。
登校してくる生徒たちの笑い声が聞こえる。
昨日と何一つ変わらない光景を、俺は反省室と言う名の独房から見下ろしていた。
「結城くん、本当のことを言う気になりましたか?」
鍵が開く音がして、朝食を携えた小杉原が部屋に入ってきた。
まるで刑事ドラマの取調べだ。
血気盛んな刑事が、蝶ネクタイの気弱な教師にとって代わっただけだった。
寝不足の頭でぼんやりとそんなことを考えていると――。
「失礼します――」
一呼吸置いて、扉の向こうに姿を現したのは蒼井さんだった。
「蒼井くん、どうした?」
颯爽と現れた優等生は教頭への挨拶もそこそこに、狭い部屋の中に踏み入ってきた。
「結城くん!君はなんてことをしたんだ!」
いつもどおり蒼井さんの名前を呼びかけた俺の胸倉を、突然教頭も驚くほどの勢いでつかみ上げる。
そのままベッドに押し倒され唖然としたのも束の間――。
蒼井さんは口元をほころばせてサインを送ってきた。
「すみません寮長!教頭先生、助けて!」
俺は蒼井さんの大立ち回りに合わせて、派手に怯えてみせる。
「蒼井くん落ち着いて! 暴力はいかん!」
俺たちの迫真の演技に、小杉原は理想的な反応を示した。
蒼井さんは俺をベッドに投げ捨てると、険しい表情をつくって教頭に向きなおった。
「取り乱してすみません。今回の件は音楽科寮長としての僕の責任です。教頭先生、彼と二人で少し話をさせてもらえませんか?」
完璧な優等生、将来有望なマエストロの卵は演技の腕も一級品だった。
勢いに押された教頭は、授業に遅れないようにとだけ言い残すとそそくさと部屋を出て行った。
「蒼井さん、演劇専攻に鞍替えしなよ」
教頭の足音が遠のいてから、俺はかみ殺していた笑いを漏らした。
「驚かせてごめん。僕と君が仲良くやってるなんて誰も知らないからね。こうするのが一番いいと思って……」
言って、鞄の中からクリアファイルを取り出した。
「昨晩君が言ったこと、悠人と徹夜で調べたよ」
「すんません、忙しいのに巻き込んじゃって……」
「なあに、僕一人でもやってたさ。それにしても災難だったね」
「まったく、ひどい目にあいました」
蒼井さんは優しく俺の頭を撫でてくれた。
「さすがに一晩しかなかったから、正直僕らも正確な結論にはたどり着けていないんだ。たくさんの糸を手繰り寄せて、それを繋いでいくので精一杯だった。でも君の考えは、あながちはずれてはいないと思う」
「室井の件、聞きました。やっぱり理事長が?」
「うん。間違いないだろうね。あのタイミングで自傷行為なんてやっぱりありえない」
「ですよね……」
「室井くんはたしかに問題のある子だったけど、ピアノには人一倍情熱を注いでいたんだ。何があったって、自分からピアニスト生命を絶つことなんてするわけない。理事長の仕業だ。君に言われて岬家の過去を調べていくうちに、余計にそう思えてきた」
蒼井さんはファイルから書類を取り出すと、俺に渡した。
「君も知ってるだろう? 岬くんのお母様は真野リエコと言う名で活躍していた美貌のソプラノ歌手だった」
「はい……」
「そして、まだ名もない音大生だった彼女を見染め、生活のすべてを面倒見ていたのが大病院の院長で大のオペラファンでもあった――」
「岬広太郎――理事長だ」
「そう。当然そうなるべくして二人は結婚した。岬くんが生まれてしばらく後、喉を患ったリエコさんは表舞台から退き、夫が院長を務める病院で療養生活を送ることになる。亡くなったのは十年前。岬くんが七歳の時だ」
当時の新聞記事のプリントアウトが一番上にあった。
俺はそれに目を通し愕然とした。
「声を失い絶望したソプラノニスタは、息子を抱えて病院の屋上から飛び降り、無理心中を図った――。本人は即死、息子は重症を負った。それが当時の報道だ」
「それじゃ、これが岬が手術を受ける原因となった事故……?」
「岬くんはこの時の手術がもとでカストラートになった。それが室井くんの推測だったんだろうね。でも、これこそ君が真実じゃないと疑ったところだろ?」
「でも、こんな事実があったんなら……」
「焦らないで。ひとつの情報だけで判断しちゃいけない。次を見て」
俺は蒼井さんに促されるまま書類をめくった。




