⑥
「病院の院長が建てるなら、普通医療系の学校なんじゃないの?」
大病院の院長が音楽院つきの高校の理事なんて、聞いたこともない。
「奥さんが有名なオペラ歌手だったって話だ。真野リエコとか言う……知ってるか?」
「聞いたことあるな……。だいぶ前に亡くなったろ?自殺かもしれないとか騒がれてさ」
俺がまだ舞台で活躍していた頃の話だ。
あの業界で働いていたから、色んなゴシップが子供の耳にも届いていた。
きっとその中のひとつだ。
「ああ。それで奥さんの遺志をついでこの学院を建てたって話だ。でも本当は母親の血を受け継いだ息子の才能を伸ばすためだけにこんな城を建てたんだって……まあもっぱらの噂だけどな」
俺は宮殿の入口に立って、巨大な建造物を見上げた。
転入して1週間たっても、この不気味な威圧感にはまだ慣れない。
いくら大事な息子のためにしたって、やり過ぎだろう。
「愛されてんだな……あいつ」
自分で口にしておいて、俺は若干の違和感を覚える。
昨夜聴いた岬の歌声がよみがえってきたからだ。
親に捨てられた俺だって、あんなに悲しい声で歌ったことはない――。
「さてはお前、ミサキ姫に惚れたな?」
佐伯はニヤニヤしながら俺の肩を叩いた。
「なに言ってんだよっ……!そういう趣味はねえ!」
俺は動揺して、思いきり佐伯を突っぱねる。
「ジョージ、趣味の問題じゃないぞ。ミサキ姫にはみんな1度は惚れるんだ」
「なんだよ、それ……」
「なにがどうっとかって話でもないぜ。あいつを一目見たら分かるだろ?」
そりゃ岬はびっくりするほどキレイだ――だからって。
「俺だって入学当初はよくちょっかい出してたぞ。たてつく島もなかったけどな」
「お前と一緒にすんなよ!」
俺の感情はそんなんじゃない。
俺のはもっとこう――。
とにかく1度惚れるとか、ちょっかい出すとか、そんなお気軽なもんじゃない。
「俺のは違う!」
俺は自分でも驚くほどはっきりと佐伯に言い放っていた。
ちょっかい出したくてあんな冷たい男にかまったりするもんか。
ならどうして俺は――投げつけられた楽譜なんか後生大事にカバンに入れて持ち歩いてるんだ?
普通ならどうしてた――?ふざけんなって投げ返してやってたろ?
会ったその日に『2度とかまうな』なんて言われたんだ。
それなのに――。
「分かった分かった。そんなムキになんなよ、恋したぐらいで」
そんな相手を俺は――。
「おい、今なんて言った?」
大事な言葉を聞き逃した気がして、俺は佐伯に向き直った。
「恋してるって言ったんだ。怒るなよ、お前が2度言わせたんだぞ」
そうなのか――?
否定しようにも言葉が見つからなかった。
八つ当たりと分かっていながら、俺は佐伯に思いきり蹴りを入れた。