⑤
相手が3人だろうが、ケンカなんかしたことなさそうな坊ちゃん連中だ。
まとめてかかってきたって負けるはずなかった。
『くれぐれも問題を起こすな』って潮田のおっさんが言ってたけど――転校初日からとんだことになってしまった。
「痛い目見たからって、泣いてママに言いつけんなよ?」
だが今さら…引き下がれない。
「このやろうっ…!」
逃げ腰の取り巻き2人にイラついた室井が、単身俺につかみかかってくる。
一触即発――その時だった。
「君たち、なにしてるんだ!」
よく通る声が、どこからか勝負に水を差した。
ぐるりとあたりを見渡すと、寮の2階の窓から男が身を乗り出しているのが見えた。
「寮長だ!」
「やばいよ室井くんっ…僕たち行くよ!」
彼の姿を目にした途端、室井の取り巻きはリーダーを裏切りそそくさと逃げて行った。
取り残された室井の顔も、心なしか青い。
どちらが真のリーダーか、内状を知らない俺にも一瞬にして分かった。
エセインテリの室井と比べ、窓際の男は本物の実力者たる風格を漂わせていた。
細いフレームの眼鏡をかけた、一見物静かな風貌。
だが眼鏡の奥に光る切れ長の瞳には、知性だけでなく歌舞伎の花形役者のような強いカリスマがあった――。
「室井くん、僕の部屋に来なさい。早く!」
彼は室井を促しつつも、けして俺から視線を外すことはなかった。
「今日のこと絶対後悔させてやるからな、野蛮人」
室井は俺をねめつけながらも、素直に彼の言うことをきいて引き下がった。
力の差は歴然としていた。
「またな、ミサキ姫」
最後に木陰に立ちつくす美少年――ミサキ姫を一睨みすると、室井はそそくさと寮の中へ戻って行った。
長い指を組んで、寮長と呼ばれた男はいまだ俺を見下ろしていた。
かすかに微笑んでいるように見えたが、きっと気のせいだろう。
そのうち俺にもお咎めがくるはずだ。
やがて彼は何事もなかったかのように建物の中へ消えた。
結果的に――。
「あの、さ…」
俺は絶世の美少年と2人、夕闇の迫る裏庭に取り残されてしまった。
『花の蜜めがけて飛んできただけなんだろ――?』
室井の野郎がそんなこと口走ったせいで、なんだかとても気まずい。
ただでさえ俺の登場の仕方は普通じゃなかったし。
「なんか分かんないけど、災難だったな…」
ひきつる笑顔で、意味のない言葉をかける。
分かってる。
女の子と初デートした時だって、ここまでひどくはなかった。
目の前にいるのは、同性で、同年代で、なおかつ同じ男子校の生徒だっていうのに――。
なのに俺は死ぬほど緊張していた。
落ちつけ…そう自分に言い聞かせてみるものの、やはり真正面から彼の顔を見ることはできなかった。
沈黙が重い岩のようにのしかかる――。
「あの…大丈夫か?」
なにか言わなくてはと、一息置いてようやく口を開いた俺に――。
「あんたこそ、大丈夫かよ――?」
突然、氷よりも冷たい声が返ってきた。
「――え?」
俺はあたり一辺見回した。
もちろん俺と彼以外誰もいない。
なにかの間違いだ。
こんな可憐な人間があんな風に言うはずない――。
そう思いたかった。
だが、今度はその愛らしい口から。
「あんたみたいなの迷惑だから、2度と僕にかかわらないでくれ」
はっきりとそう聞こえた。
………。
視線さえ交わさないまま、彼は俺の横を通りすぎてゆく。
感謝されるのを期待したわけじゃない。
礼なんか言われなくたって構わない。
でもこれは――。
「ちょっ…待てよっ…!」
ひどすぎる――。
呆然としていた俺が振り返った時にはもう、彼の姿はどこにもなかった。
「なんだよ!こっちだって2度とゴメンだ!なんだよ、ミサキ姫ってっ!」
俺は1人狂ったようにわめき散らした。
だがもう、誰も姿を現しはしなかった。