これからのフレンチトースト
普段は50人もいない島に、100人以上の人間が上陸した。
まるで祭りのような騒ぎに、人懐こい猫たちも顔を隠してしまうほどである。
「あー。疲れた」
滅多に弱音を吐かない誠が、げっそりとした顔で伸びをする。新品の学生服の襟元が春の日差しを受けてキラキラと輝いて見えた。
「誠、珍しく緊張してたもんな~。敬語もカチッコチで」
「し……仕方ないだろ! カメラまで来るなんて聞いてねえし!」
隣に並ぶ田中も燕も珍しくスーツ姿だ。
3月上旬とは思えない暑い日差しのせいで、16時を過ぎても気温はちっとも下がらない。
「まあ、レセプションとしては成功したんじゃないか?」
慣れないネクタイを解きながら燕は言った。
眼の前の船着き場からは、臨時船が出港していくところだ。スーツ姿の男女が甲板にあふれている。
彼らは今週末から公民館でオープンする『皆本修復美術館』のレセプションへ招待された記者や関係者たち。
腕に覚えのある島人たちによってリフォームされた公民館は、まるでもともと美術館だったような重厚な空間に仕上がった。
もちろん誠や燕も黙って見ていたわけではない。絵の額縁を磨き、壁にかける布を選び、絨毯の張替えなどクタクタになるまで働いた。
秋の事件からおよそ半年かけてようやく誠の熱望していた美術館が完成したのだ。
今年からはじまる瀬戸内の美術祭では、この島唯一の美術館として参加することも決定した。
そのせいだろうか。噂は噂を呼び、驚くほどの招待客で溢れることになってしまったのだ。
いくつかのピンチはあったものの、それは皆本の人柄を現したような出来事ばかり。結局全ては丸く収まった。
「しかも誠、将来は山の中の廃校を買い取ってリフォームして、あそこを美術館にします。なんていい切ってたもんな。ああいうことは、真っ先に記事に書かれるぞ」
ニヤニヤと笑う田中に誠の顔が赤くなる。
インタビューなど受けたこともない彼は、そばで見ていて心配になるほどガチガチになっていた。
何を言ってるのか分からないほど声が震えていたが、最後の言葉だけは会場中に響くほどしっかり聞こえた。
いつか、この島に大きな美術館を作るのだ……それは、皆本が守り続けてきた廃校跡地がふさわしい。
「嘘じゃない。勉強頑張っていい大学出ていい会社で金貯めればすぐだよ」
誠の手には、新品の通学カバンが握られている。
結局、彼は冬から通学を開始したのだ。
それから数ヶ月。彼は卒業を迎えた。
そして春からはこの島から市内の中学に通う。
「みてろよ。一日10時間勉強するから俺」
「その前にワークショップだろ」
ワークショップのお知らせ。と書かれたチラシを燕は彼に差し向けた。
壊れた絵、椅子、何でも直してみせます……大げさなほど勢いのある文章が書かれたこのチラシを作ったのは誠だ。
もちろん彼一人では難しい修復はできないため、燕の工房からも人が送られることになっているが。
「まあ俺もできることは手伝ってやるって、土日とか」
地面にべたりと座り込んだ田中は、船着き場にたてられた看板を指差し燕を見上げた。
「燕もどうせ、ちょくちょく来るんだろ?」
看板には燕が手掛けた絵と、ロゴが描かれている。
『皆本修復美術館』そしてその隣に書かれているのは『竹林律子特別個展 ホーム・スイート・ホーム』。
フレンチトースト、カレー、海鮮丼。様々な食べ物が時に静謐に、時に柔らかく描かれる。まるで絵本のような美術展だ。
部屋に入ってすぐに置かれているのは、律子と皆本が描いた親子の共作『極彩色の食卓』。
こちらもすでに話題になっているようで、柏木は睡眠時間を削って働いている。
「一旦落ち着いたし、俺、今日はもう寝るわ。明日の朝一番の船で東京戻って出社だし」
「田中、お前……仕事は大丈夫か?」
「あー記事のことね」
丸めたジャケットを拾い上げ田中はにやりと笑う。
田中は早朝の砂浜で出会って以降、ずっと行方不明となっていた。電話をしても出ない、メールにも返事をしない。
そして皆本と律子が出会い、あの絵を仕上げた数日後。燕は驚くようなネットニュースを目にした。
それは皆本の半生を綴った記事である。加納の父や、これまで皆本が修復を行ってきた人々のインタビューも取り付けて、彼が贋作を行ったあと、いかに生き、いかに多くの絵を蘇らせてきたのか見事に描き出していた。
その著名を見て燕は納得する。
田中青。
それが記事の著者だった。
「先輩の記事に泥を塗るような記事だっただろ」
「言っただろ。俺、怒られ慣れてんの。人の話聞かないのは得意だからさ」
本来は別の記事が掲載されるはずのその場所に、ギリギリで原稿を差し替えたのは田中だ。
会社が気付き、消そうとしたが拡散されるほうが早かった。
そしてそのおかげで、修復美術館は注目を集めスケジュールより数週間遅れたもののエントリーがかなったのだ。
美術館も完成、レセプションも終わった。あとは今週末から一般客を迎え入れるだけだ。
「あ、いい風」
誠が目を閉じ潮風を浴びる。
春の瀬戸内海は、夏よりも優しい色をしていた。島影も淡く滲むようで、空も柔らかい青の色。
まもなく暮れる空は、赤と青の斑のような模様で揺れている。
その陽射の下、川崎の姿が見えた。
彼は父親らしい男と笑顔で通り過ぎていく。
その向こうに見えるのは遠山だ。いつも通り際どい赤いワンピースをまとって、車椅子を押している……車椅子の上で、じっと海を眺めているのは彼女の夫だろう。
船着き場の端っこで、海を物珍しそうに眺めているのは桜と夏生、その両親。
彼らは暮れゆく春の島を楽しむようにのんびりと散策している。
「……師匠もこれ、見られたらよかったのにな」
誠が呟き、田中がその頭をぽん。と撫でた。
皆本は一ヶ月前、眠るように息を引き取ったのだ。
季節外れの温かい気候に恵まれ、島のフリージアが数本花開いた。そのタイミングだった。
幸い美術館は看板以外完成していたため、亡くなる前日に車椅子を押してこの美術館を見せることができたのだ。
その時、彼はもう声も出ない状況だった。それでも皆本は笑っていた。律子も笑い、誠も笑っていた。
あの瞬間、全ては報われたのである。
「師匠といえば、お前の師匠またどっか行ったって大騒ぎになってたけど」
「知ってる」
さり気なく涙を拭った誠の背を軽く叩き、燕は立ち上がる。
夏と違って春は日の入りが早い。夏の間、埴生の宿が流れる時刻はまだ明るかったが、今はその時刻になると日は完全に暮れてしまう。
燕は腕時計を見た。時刻は17時過ぎ。
「準備して、今から迎えに行くよ」
彼女を迎えに行くのは、夕方18時がちょうどいい。
「大島君。先生を迎えに行く準備ってなんですか」
皆本の工房に足を踏み入れた瞬間、嫌味な声が聞こえて燕は眉を寄せる。
「ちょっと……地獄耳過ぎませんか」
「準備とやらはいいので、先生を早く探してきてください。もうインタビューの準備は整ってるのに」
振り返ると案の定、柏木が立っている。いつも以上に高級そうなスーツをまとい、髪には一本の乱れもない。が、顔に焦りがあった。
18時過ぎから予定しているインタビューが迫っているのに、律子がどこかへ消えた。というのだ。
たしかに昼過ぎから律子は行方不明になっている。
しかし燕はのんびりとエプロンを付けた。
「紙があったら律子さんは出歩きますよ。スケッチブック、なんで隠しておかなかったんですか?」
「どこからか見つけてくるんですよ。この工房にはスケッチブックが多すぎる……ああ、もう時間がありません。先生のことは君に任せますから、必ず、見つけて連れてきてくださいよ」
腕時計を見て、柏木は工房を飛び出していく。
実際、彼は律子の個展を含め、修復美術館の管理も引き受けている。ここで燕と言い合いをする時間はないはずだ。
一人きりになった燕はようやく落ち着いたように息を整え、冷蔵庫を覗き込んだ。
今日は料理をするつもりで、密かに食材を運び込んでおいたのだ。
卵、パン、ハム。チーズ。食材を手に取ったとき、燕のスマホが軽く振動した。
「大島君、忙しいところ悪いね。レセプション、成功おめでとう。そっちに手伝いに送った子たちから、色々話は聞いたよ」
スマホから漏れる声は、来月から働く修復工房の所長のものだ。燕はスマホを耳に挟んだまま答える。
「ありがとうございます。工房の先輩にも随分助けて貰いました」
来月から燕の先輩となる人たちは、まるで所長の薫陶を受けたように穏やかだった。
入社後、燕が溶け込みやすいように先輩を送ってくれたのだ。所長の優しさに不安はあっという間に溶けて消えた。
「……で、来月の入社式なんだけど、そのあとランチで歓迎会をしようと思って。もし君さえ良ければ、カルテットキッチンに行ってみたいんだ。もちろん大島君はキッチンには立たないようにね」
「店長が喜びます」
「忙しいところ、書類も全部綺麗に揃えてくれてありがとう」
「いえ……こちらこそ先日、無理を言ってすみませんでした」
燕はポケットから乾いた書類を取り出す。
それは身元保証人のコピー。皺の跡までコピーされたその紙には、力強い父のサインが見えた。
「……父の絵、直してくださってありがとうございました」
昨年、燕は父の絵を東京の工房へと持ち込んだのである。
確認をしてもらうと、確かに口元のあたりには無理やり修復を行った箇所が見えた。
所長が言うには、どこかで落として顔のあたりに傷が入り、そこを直したのだろう。という。
傷を隠すのは上手だが、元絵にはない微笑みを足したのはいただけない。と所長は言った。
「そうそう、隠されてた絵も」
所長の言葉に燕の背が伸びる。
父の絵の修復を進めると、もう一つ父の秘密が現れたのだ。
それは、絵を木板から外した時に姿を見せた。
「画布の裏の絵もきちんと直せて良かったよ。かなりボロボロだったから心配だったけど」
画布の裏……そこに幼い絵があった。
それはまだ幼い燕が時に描いた、落書きともいえない絵だ。
どう頑張っても、燕はその絵のことを思い出せない。
絵は幼く、デッサンもなにもないので、きっと幼稚園の頃に描いたのだろう。しかし、心底楽しそうに描かれている。
かつて父は自分の絵を捨てようと決意したのかもしれない。木枠から外して投げ出したのかもしれない。
そんなことを知らない幼い燕はこの紙を拾い上げ、裏に絵を描いたのだ。描かれているのは、なんとも稚拙な父と母の絵である。
だから捨てられなかったんだよ。と、所長は言った。その時背中に添えられた大きな手の暖かさを燕は恐らく、一生忘れない。
「君のお父さんから丁寧なお礼の手紙をもらったよ。またよろしくと伝えておいて」
所長にお礼を言って、燕は電話を切った。そして柔らかいパンに向かい合う。
卵をとき、牛乳に少しの砂糖と塩。たっぷり胡椒を加えて混ぜる。
それにゆっくりと、柔らかいパンを浸しこんだ。
母の手は、このパンのように柔らかだった。
(……あれからもう一ヶ月か)
皆本が葬儀が終わった翌日。燕は修復の終わった父の絵を持って三年ぶりに自宅に向かった。
そして父と母の前で、改めて自分の気持ちを語ったのだ。
父は無言のままだったが、母は絵を受け取った。
彼女は治った絵を見て、初めてひと粒だけ涙をこぼす。
やっと帰ってきた。と彼女は泣いた。
(時間がないからパンはレンジで)
燕はゆるい温度で、卵液に浸ったパンをレンジにかける。レンジの表面に映る燕の顔は父に似ている。
(あの時、父さんはこんな顔をしていた……)
父は自分の絵を、ただただ静かに見つめていた。
たっぷり10分、父は口を開かない。聞こえてくるのは時計が針を刻む音ばかりで、静かな時間は永遠に続くと思われた。
それを破ったのは父の声だ。
『悪くない絵だ』
と彼は言った。だから燕はやっと父の顔を見ることができたのだ。
(……三年前に電話で言ったこと、あれは本心だから)
燕は散々迷い、伝えたのはそのことだった。
絵を教えてくれてありがとう。燕は三年前父にそう言った。その気持ちに嘘はない。
絵に出会わなければ燕は今、ここにいなのだから。
「おっと」
熱が入りすぎる前にレンジからパンを取り出し、燕はそれにハムとチーズを挟んでもう一枚のパンで蓋をする。
そしてバターをたっぷり落とした鉄のフライパンで、両面焦げ目がつくほどしっかりと火を通した。
熱を持ちバターがふつふつと泡を上げる。焦げたような茶色が、パンに移る。熱がパンに焦げ色をつける。
間に挟まったチーズがとろけてバターの上で跳ね上がる。
(自分の人生を歩きなさい、か)
最後、自分を見送る母が放った言葉を思い出しながら、燕はフライパンの火を止めた。
ひっくり返すと、美しい焼色のついたフレンチトーストサンドイッチの出来上がりだ。
「……さて」
美味しそうに仕上がったそれをアルミホイルに包み込み、鞄に詰める。そして時計を見た。
時刻は18時数分前。
「行くか」
そして燕は工房を後にした。
『夕陽の見える公園』に足を踏み入れた瞬間、まるで燕の到着を待っていたかのように埴生の宿が流れ始める。
目前の空いっぱいに、紫とあかね色の雲が旗のようにたなびいていた。
日差しはもう暗く地面には影も残さない。
しかし、地面には美しいフリージアが一面、潮風を受けて揺れている。
それは皆本が描いたあの絵と同じだ。地面に光が溢れているようだった。
花之島の名前に恥じない見事な花畑である。
そんな公園の真ん中、色のはげたベンチに一人の女性が座っている。
女性から誘いを受けることは、燕にとって日常のことだった。なぜなら、彼は綺麗な顔をしているから。
……だからこそ、自分から誘いをかけることは、滅多にない。
どのように声をかけるか散々迷い、燕はやはり彼女の名前を呼ぶことにした。
「律子さん」
グレー混じりの髪を揺らし、彼女が顔をあげる。
「少し立って見てください」
冗談ぽく言えば、彼女はくすくす笑いながら立ち上がり、ポーズを取った。
彼女も分かっているはずだ……それが初めて律子からかけられた言葉、ということは。
「やっぱり燕くんには私がどこにいるのか全部お見通しなのね」
せっかく柏木が仕立てたワンピースは、すでに絵の具で汚れていた。きっと鉛筆でのスケッチ程度では我慢できなかったのだろう。
ベンチには絵の具、パレット、筆など、まるでアトリエのように並んでいる。
「僕は諦めが悪いだけです。どこかの師匠に似たせいで」
燕は彼女の隣に座り、スケッチブックを覗き込む……と、ポケットから無粋な『運命』が鳴り響いた。
「大島君、先生は見つかりましたか? 本当にもう時間が無いんですよ」
「律子さん、光さんが怒ってます。そろそろ戻らないと」
そういう言い方をすればもっと怒ることもわかっている。案の定、柏木は怒りの矛先を燕に変えた。
「全く君を信用するなど馬鹿でした。どこですか。迎えに行きます」
「連れて行きますから、もう少し待っていてください。待つのは得意なんじゃないですか……は? 俺が甘やかしてる? やめてください、あなたじゃあるまいし」
柏木と喋りながら散らかった絵の具を片付ける。最後までうるさく響く電話を無理矢理切ると、律子が肩をふるわせ笑っていた。
「何か?」
「ずっと気になっていたことがあるの。燕くん、私の前でだけ僕っていうのね」
「気づきませんでしたか? 実は僕。ずっと猫を被っていたんです」
スマホの電源を落とし、燕は空を見た。気がつけばもう、夕闇は夜の色になっている。
埴生の宿は流れ終わり、公園にある街灯にぽつぽつと電気がともる。
真っ白な光に照らされる律子は様々な色に彩られ、やはり美しかった。
「今からインタビューだそうですよ。本当に怒られますから一旦戻りましょう……どうしました?」
気付けば律子は遠く、遠くどこかを見つめている。
この島にきてから彼女は遠くを見つめることが増えた。幼い頃、一週間だけの記憶を掘り起こそうとするように。
「……なんで私がこの20年、散らないものばかり描いてきたかわかったの」
律子の言葉に、燕は自室に描かれた柏の木を思い出した。三年前のあの晩夏、律子が壁に描いた巨大な木。柏木の木は枯れてもけして葉を落とさない。
「これまで散る物が多すぎたのね。だからそこにとどまって、散らないものばかり描いてきた」
律子の持つスケッチブックには美しいフリージアが描かれている。かつて世間を驚かせた律子の黄色。その色が完璧な形で現れた。
「でも人は絵じゃないから、成長するしとどまらない……多分、私も」
「律子さん?」
「お腹が空いたわ、燕くん」
律子の口癖を聞いて、燕の口がほころぶ。それを咳払いでごまかして、燕はここまで運んできた荷物を取り出した。
「そう言うと思ってました」
うやうやしく取り出したのは、アルミホイルでくるんでおいたフレンチトーストサンド。
持ってくる間にチーズが固まり、簡単に崩れることはない。
それを見て律子の目が大きく見開かれた。
「すごい! 黄金色のサンドイッチね」
「時間もないので、少し行儀が悪いですけど食べながら帰りましょう」
差し出すと、彼女は幸せそうに目を細めて一口。
「美味しい!」
「それは良かったです」
「甘いフレンチトーストも大好きだけど、やっぱり燕くんのフレンチトーストはしょっぱいのが美味しいわ。しかもハムとチーズ、こんな素敵な味があるなんて」
「……そうですか。さあ、歩きながら行きましょう。本当に怒られるから」
にやけそうになるのを手の甲で押さえ、燕は律子を急かす。
春の温い風が吹き、二人の姿を追いかける。焼け焦げたバターの香りが、今はただ美しいばかりのフリージア畑の上を舞う。
「実はこれ以外にも、フレンチトーストは色々と案を考えているんです」
燕は歩きながら鞄にいれておいた小さなスケッチブックを取り出す。そっと開くと、律子が目を輝かせた。
「まあ!」
それは去年の夏頃から、思いつくままに描き貯めていたレシピの絵だ。
メニューは律子の好きなフレンチトーストのみ。最初はただの暇つぶしで描き始めた。
しかし甘い物からおかず系まで、気がつくと24枚のスケッチブック最後の一枚まで使い切っていた。
「このビーフシチューを挟んでみるのって、すごく魅力的。綺麗なブラウンが黄色のパンに映えるわね」
「帰ったら作ってみましょうか?」
「どれがいいか迷うわ。ああ、このプリンを載せたフレンチトーストも美味しそう。あら、このきらきらした粒のフレンチトーストは?」
「おいり、という高松のお菓子です。カラフルなのできっと律子さん好みですよ」
「いっぱい買って帰るわ。絶対よ」
案の定、彼女は嬉しそうな顔をして燕を見た。
「私ね、美味しい料理って美しい色と形をしている。って思っていたの。燕くんの作る料理は、きっと世界で一番美しい形で一番美しい色」
律子は踊るように、花畑の道を進んでいく。揺れる黄色と煙るようなグレーの空の色がなんとも美しい。
後を追いかけながら燕はふと、顔を上げる。
「燕くん?」
「いえ……何か、甘い香りがしたような」
「それは春の香りよ」
律子は楽しそうに笑って、燕の隣に駆け戻ってきた。
「ああ、よかった……燕くんとまた春の色を見られて」
「律……」
「先生、こんなところに! もう時間がありませんよ!」
気がつくと、遠くに柏木が見える。
隣には桜と夏生、誠や寝ぼけ眼の田中もいるようだ。それを見て燕は長いため息をつく。
「燕くん、何か言おうとした?」
「いいえ、まあ……それはまたあとで」
そして、二人は出会って何度目かの春をまた歩きはじめる。
それは暖かく、緩やかに続く春の道だった。




