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うちの村だけは幸せであれ ~前世の知識と魔法の力で守り抜け念願の領地~【書籍化決定】  作者: エノキスルメ
第五章 うちの村だけは幸せであれ

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第129話 後退

「……夜闇に紛れて砦を発ち、ヴァレンタイン領まで下がるべきだと考えています」

 激戦を乗り越えた日の夕方。人払いのなされた指揮所の一室で、ミカはグレンダよりそう聞かされた。


 ミカは緊張に表情を硬直させながら、しかし驚きを示すことはない。ミカとしても、コレット砦はもう限界だと理解していた。

 戦闘に臨める兵力は開戦当初の半数強まで減り、百人以上に及ぶ重傷者たちは、薬も手当ての人員も足りないために、不衛生な環境で次々に命を落としている。砦の防衛設備も、先の攻防でいくつも損壊した。西の城門も、カタパルトや破城槌による攻撃を何度も受けた結果、もはやあまり長く持ちこたえられそうにない。

 次に大攻勢を受ければ、十中八九砦を守りきれない。押し寄せる敵兵を退けられず、丸太柵を越えられて砦の内部に入り込まれ、あるいは門を破壊されて雪崩れ込まれ、こちらは秩序立った撤退も敵わず壊走すること必至。


 一方で、まだ部隊として生きている状態でヴァレンタイン領まで撤退すれば、状況は一時的にだが改善される。ヴァレンタイン領民と合流すれば戦力回復が叶い、空堀と丸太柵に囲まれた村を新たな防衛拠点とすることができる。鈍重な大軍である敵側がこちらの後を追ってヴァレンタイン領に進出してくるまで数日の猶予を得られるであろうから、その間に兵たちを休ませ、重傷者を後方へと送り、世話をする負担を減らせる。

 時間稼ぎこそがミカたちの役割。この撤退は、今この状況においては何よりも尊い時間という成果をもたらしてくれる。


「……承知しました。僕もそれが最善だと思います。このような状況になったときのために村の守りを固めてきたんです。せっかくの備えを活用しましょう」


 ミカは微笑を作り、自領を次の戦場とする厳しい決断を受け入れてみせた。現実を見れば、他に選択肢はなかった。


「理解に感謝します……この防衛部隊の指揮官として、ヴァレンタイン領は決死の覚悟で守り抜きます。我が妹の新たな故郷であり、ノイシュレン王国にとって絶対的に維持すべき防衛線なのですから」

「頼もしいお言葉です、ありがとうございます」


 答えたミカに頷くと、グレンダは傍らのヒューイット領軍騎士の方を向き、他の領主たちを呼び集めるよう命じる。今宵のうちに撤退を為すとなれば、あまり時間がない。急ぎ計画を立て、準備をしなければならない。


・・・・・・


 コレット砦に立て籠もっていたノイシュレン王国の部隊が、東へと撤退した。

 ヴァルナー・メイエランデルがそのように報告を受けたのは、攻勢の翌日、まだ夜も明けないうちのことだった。


「……なるほど。わざわざ東へと続く街道を塞ぐとは。短時間でこれだけの仕事を為したのは、あの厄介な念魔法使いだろうな」


 配下たちを護衛として引き連れ、ヴァルナーが足を運んだのは、コレット砦の東に続く街道。砦周辺の開けた一帯と、森に囲まれた一帯の境界付近。そこでは街道の左右に広がる森の木々が何本も切り倒され、道を完全に塞いでいた。おそらくはこちらの追撃を防ぎ、東へのさらなる進軍を送らせるための小細工。


「首長閣下。ご命令をいただければ、これらの木々は急ぎ撤去しますが」

「そうしてくれ。明後日の朝までに、この街道を荷馬車が通れる程度まで整備しろ」


 配下の一人に命じた上で、ヴァルナーはその場を立ち去り、奪取したコレット砦へと入る。


「ヴァルナー首長。火災は概ね消し終えたが、糧秣庫も厩舎も全焼だ。砦にあった食料も馬の飼い葉も全て失われた。まったく、敵も姑息な真似をしてくれたものだ」

「そうか……まあ、仕方あるまい。私が敵側の指揮官でも同じことをする」


 砦の制圧を行っていた首長の言葉を受け、ヴァルナーは特に残念がるでもなく返した。

 敵軍は撤退に際して、糧秣庫と厩舎に火を放っていった。おかげでこちらは、楽に補給を為す機会を奪われた。とはいえ、ヴァルナーにとってこの程度は想定の範囲内。敵軍が丸太柵や物見台や兵舎など、燃やせる何もかもに火を放たなかったのは、いずれこの砦を奪還して使用するつもりでいるためか。


「後方にいる補給隊の中継拠点として利用できれば問題ない。ひとまず野営地をここに移し、負傷者たちを砦の中で休ませよう……これで一つ目の障害は取り除いた。後は、後方にあるという村を征服するだけだ」


 負傷者を手当てし補給物資を集積する場としては十分に使える砦の内部を見回しながら、ヴァルナーは語る。

 コレット砦が防衛拠点として限界を迎えれば、敵軍が東へと撤退することはヴァルナーも予想していた。その上で、あえて東の街道を塞ぐ部隊などは置かずにいた。そうすれば敵軍は躊躇うことなく撤退を実行し、結果としてこちらは楽に砦を奪取できると考えたからこそ。

 狙い通り、ヴァルナーたちはコレット砦を手に入れ、戦場をより東へと移すことに成功した。

 残るは砦の後方にあるという村ひとつだけ。どのような場所かは未だ詳細に把握できていないが、少なくともこの頑強な要害よりは遥かに落としやすい場所であるはず。その村を落としてさらなる補給拠点とすれば、街道を通って丘陵北側に進軍し、敵本隊の後方を蹂躙することができる。それで敵本隊が瓦解すればよし。そこまでいかずとも大いに動揺するであろうから、こちらの本隊と協働して敵野戦陣地を挟撃し、一挙に陥落せしめればいい。

 このノイシュレン王国における純粋派の勝利は近い。ヴァルナーはそう確信している。


・・・・・・


 コレット砦の防衛部隊は、敵軍から何ら妨害を受けることなくヴァレンタイン領への撤退を果たした。


「多分、敵将は面倒な攻城戦を省略して砦を奪取したかったから、あえて僕たちが下がることを許したんだろうね……頑強なコレット砦よりも、多少の備えをしているだけの農村を攻める方が楽だと考えたんだと思うよ」


 数週間ぶりに帰ってきたヴァレンタイン城の広間で、ミカは一息つきながら語る。傍らにはアイラが座り、疲れ果てながらも生還した夫を労わるように寄り添っている。

 他にこの場にいるのは、ディミトリとヨエルとマルセル。ジェレミーとルイスは、他の家臣たちと共に西の見張りに臨んだり、防衛部隊の世話をしたりと屋外で奔走している。


「では、その敵将を驚かせてやらなければなりませんな。脆弱だと思っていた農村が、想像以上に守りの堅い要害となっている様を見せつけることで」


 そう返したのは、ミカが不在の間、村の防衛指揮を担っていたヨエルだった。彼は留守を守る家臣や領民たちを統率しながら、土魔法の才を活かして村の防衛力のさらなる強化にも努めてくれていた。


「そうだね。僕たちが発ったときよりもまた一段と備えが進んだみたいだし、きっと敵側は度肝を抜かれると思うよ……マルセル、籠城戦の備えは大丈夫?」

「はい。食料をはじめとした物資はヴァレンタイン城内に集積し、いざとなれば城まで後退できるよう準備を済ませています。砂糖生産の設備も、皆さんが撤退してきたのを確認した直後に全て片付けました。他者が見ても、もはやただの物置としか思わないはずです」


 ミカが尋ねると、マルセルは頷きながらそう語る。

 村を囲む丸太柵は総延長がかなりのものとなり、門の数も三か所と多いため、コレット砦よりも守りづらい。そのため、いざとなれば村の北側に位置するヴァレンタイン城まで撤退してそこに立て籠もるのがミカたちの計画。

 数百人で籠城戦に臨むとなれば、主館の裏に置かれた砂糖工房の中を部外者に見られる可能性もある。そのため、現状ヴァレンタイン家が独占している砂糖生産の情報を他家の人間に知られないよう、生産設備を片付けるのもマルセルたち留守組の重要な役割だった。生産に必要な大鍋などを厨房に移し、製造方法をまとめた書類は領主夫妻の寝室にあるアイラの化粧台の中に隠し、工房内を掃除して適当なものを放り込んで物置のように見せてしまえば、秘密が漏れることはない。


「もう片付けてしまったんだ、さすがマルセルの仕事は抜かりないね、ありがとう……後は、戦闘不能の人たちを後退させて部隊を再編するだけだね」

「砦にいたときの倍も戦力がいるなら、随分戦いやすくなりますね」


 続いてミカの言葉に答えたのは、ミカと共に砦での激戦を乗り越えたディミトリだった。

 現在、ヴァレンタイン領には戦いに臨める領民だけが残っている。幼い子供たちとその母親はヴァレンタイン家の姻戚であるユーティライネン領やヒューイット領に避難し、村にいるのは成人の男たちと、女性や年長の子供たちのうち、雑用や負傷者の手当てや後衛からの投石などを為す役割に自ら志願した者たち。総勢で三百人ほど。

 そして、コレット砦からの撤退を果たしたのはおよそ四百人。そのうち百人ほどはもはや戦闘に臨めない重傷者であり、村に残っても足手まといなので明日にもフォンタニエ領をはじめとした後方に送られる。そのためこの村の防衛戦闘は、防衛部隊の残存兵力と居残っているヴァレンタイン領民たちを合わせたおよそ六百人で臨むことになる。厳密に言えば六百人全員が戦闘要員というわけではないが、それでも人手には大幅に余裕が生まれる。


「おまけに増えた三百人は、自分たちの故郷を守る覚悟を固めたヴァレンタイン領民だからね。士気は他領の民兵とは比べ物にならないくらい高いはずだよ……だから、当面は持ちこたえられるはずだ」


 自身に言い聞かせるように言ったミカは、その後は側近たちと実務面を話し合う。グレンダをはじめとした他領領主たちの寝床の手配、ヴァレンタイン領民たちへの仕事の割り振り、監視や偵察や防衛の体制強化などの委細について主人の指示を受け、ディミトリとヨエルとマルセルはそれぞれの仕事に臨むために広間を出ていく。


「……結局、この村を戦場にすることになっちゃったね」


 アイラと二人きりになったミカは、彼女の方を向きながら微苦笑を零す。


「大丈夫、私はとうに覚悟できていたから。今は、あなたが無事に帰ってきてくれたことが本当に嬉しい。こうしてあなたと一緒にいられて幸せよ」


 そう言って、アイラはミカを優しく抱き締める。何も難しいことは語らず、こうしてただ癒しを与えてくれる伴侶の存在が、今のミカにとっては心からありがたい。


「ありがとう、アイラ……」


 ミカはそう答え、そして続けようとした言葉を飲み込んだ。

 明日、重傷者たちと共に後方へ逃げることもできる。本当にこのままヴァレンタイン城に残っていいのか。そう尋ねようとして、しかし止めた。そのように尋ねるのは、命の危険を承知でこの場に留まっている彼女の覚悟を傷つけると思ったからこそ。


「……アンリエッタとフレードリクは、今頃どうしてるだろうね」

「きっと、二人で元気に過ごしているわ。あの子たちはいつも元気すぎるくらいだから」

「あははっ、そうだね。あの子たちなら心配ない」


 代わりにミカが話題にしたのは、今はユーティライネン城へと避難している我が子たちのことだった。ノイシュレン王国が純粋派ノーザーランド人の軍勢に敗北し、国の存続が絶望的となるようであれば、子供たちはユーティライネン家の人々と共に東の山脈を越え、ダリアンデル地方を脱出する手はずとなっている。

 自分たちがどうなっても、子供たちは生きながらえる。そう思えばこそ、ミカもアイラも覚悟を揺るがせることなく目の前の苦難に立ち向かえる。

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