第126話 コレット砦防衛戦②
「当面は持つでしょうが……緒戦のうちから門の防御力が落ちる事態は避けたいですね」
破城槌による攻撃の振動を共に感じながらグレンダが言う。ミカは彼女に頷くと、数瞬の思案の後、口を開く。
「油を浴びせましょう。僕の念魔法を使えば、破城槌の屋根を無視して側面から油をかけることもできます」
「……では、頼みます。敵の矢に気をつけて」
指揮官の承諾を受け、ミカは動き出す。円盾を構えるディミトリを護衛として伴い、物見台と繋がっている門の南側の土塁上に降りる。
そして、土塁の裏で火を焚き、大鍋で油を熱していた数人の民兵の方を向く。
「その油を使うよ! こっちに持ってきて!」
命令を受けた民兵たちが大鍋を持ち上げ、その重さに苦労しながら土塁の傍まで運んでくると、ミカは「魔法の手」を伸ばしてそれを受け取る。
ぐつぐつと煮えた油がたっぷり詰まった大鍋を軽々と運び、丸太柵の外に浮かべるミカは、必然的に丸太柵から半身を曝すことになる。そのミカを守るため、鎖帷子を纏ったディミトリが円盾を掲げながら、さらに自身をミカの盾とするように立つ。敵陣から散発的に飛んでくる矢の一本が、掲げられた円盾の表面に突き立つ。
不意の負傷を避けるためにも、早く攻撃を敢行しなければ。ミカはそう考えながら――桶で水を撒く要領で、破城槌を抱える敵兵たち目がけて油をかける。
重い破城槌の持ち手を両手で握っているために、逃げることも身を守ることもできない敵兵たちは、煮え立つほど高温の油を浴びる。
「ぎゃあああぁぁっ!」
「あああ熱いいいぃぃぃ!」
次の瞬間、思わず耳を塞ぎたくなるような濁った絶叫が戦場に響き渡る。破城槌を抱えていた敵兵のうち、門から見て左側にいた者たちが油をまともに被ってしまったようで、破城槌の持ち手を離して苦しみに悶える。
正視に耐えない姿で、ふらついて空堀へと落ちる者。傾いた破城槌に半身を潰される者。その場でのたうち回る者。地獄をそのままこの世に持ってきたかのような光景を前に、油を浴びなかった敵兵たちも恐れおののき、後ずさる。
「うわぁ、我ながら酷いことするなぁ……」
「あれと同じ死に方はさすがに勘弁してほしいですね……」
攻撃を放った張本人ではあるが、なんと惨い光景だろうと思いながらミカはディミトリと言葉を交わす。
直後、物見台から矢が放たれ、未だ動いている敵兵たちに突き立ち、彼らは苦しみから解放された。どうやらグレンダの方も、目の前で高温の油を浴びて悶える者たちをさすがに気の毒に思ったらしかった。
破城槌を支える敵兵のうち片側にいた者たちが全滅したことで、もう片側にいた者たちも攻撃続行を諦め、自分たちまで同じ目に遭うことを恐れるように急ぎ下がっていく。丸太柵を攻めている敵兵たちも、門前の光景に怖気づいたのか明らかに攻勢の勢いが鈍る。
それによって防衛側が多少の余裕を得たのもつかの間、敵軍後衛にいた純粋派ノーザーランド人たちが前方に進み出てきて戦闘に加わり始める。彼らが武器を振るって脅しかけ、見せしめのつもりか何人かを斬り殺すことさえすると、一度は砦から距離を置いたダリアンデル人奴隷兵たちも他に選択肢はないと諦めたのか、再び果敢に攻勢を仕掛けてくる。
そして再び、空堀と丸太柵を挟んで激しい攻防がくり広げられる。個々の実力では奴隷兵を大きく上回り、士気の面でも彼らに勝る純粋派の軍勢が戦闘に参加すると、守る側にとってはさらに厳しい戦いとなる。矢や石による遠距離攻撃を突破して丸太柵に辿り着く敵兵が増え、結果的に梯子をかけ上って柵の上部まで迫る者も増える。
梯子を上りながら器用に戦斧を振るうノーザーランド人の攻撃を食らい、白兵戦部隊の民兵が土塁の裏に倒れる。
梯子を丸太柵から離そうと丸太柵から半身を乗り出した騎士が、梯子の最上部まで登ってきたノーザーランド人に腕を掴まれ、そのまま砦の外へ引きずり落とされる。空堀に転がり落ちながらも逆茂木に刺さらずに済んだその騎士は、しかし下で待ち構えていた敵兵たちに囲まれ、そのまま四方から袋叩きにされて動かなくなる。
こうして防衛側の白兵戦部隊の死傷者が着実に増え、土塁の裏に控えていた予備戦力が防御の空白を埋めるために前に出てくる。しかしその際には僅かな隙が生まれ、その隙を突いてついに丸太柵を乗り越え、土塁を踏む敵兵も現れる。
「あんまり戦いが長引くとまずいなぁ」
門の上の物見台へと一度戻ったミカは、呟くように言いながら連射式クロスボウから矢を放ち続ける。今のところ敵兵の侵入は散発的なもので、白兵戦部隊の職業軍人たちが即座に排除しているが、そのような際どい防衛戦を長く続けていれば、いずれはまとまった数の敵兵の侵入を許しかねない。
敵の攻勢が強まっているのは丸太柵だけではなく、門の前に放置された破城槌にも、再び敵兵が取りつき始めている。ミカの攻撃は主に門へ殺到する敵兵に向けられているが、物見台にいるクロスボウ兵や弓兵たちと共に全力の攻撃をくり広げても迫る敵の全てを排除することは叶わない。屈強で度胸もある純粋派ノーザーランド人たちが、十分な人数屋根の下に潜り込むと、再び破城槌が持ち上げられる。
ミカは武器を石に持ち替え、それを次々に投げ落とすことで破城槌を構える敵兵たちを襲うが、木板の屋根を貫通して敵兵の頭上に落下する石も、門への攻撃開始を多少遅らせる程度の効果しかない。
「やっぱり駄目か……また油をかけますね」
今度は自ら申し出てグレンダの承諾を受けると、ミカは再びディミトリを護衛に引き連れて土塁の方へ下りる。新たに油を熱していた民兵たちから大鍋を受け取ると、それを「魔法の手」で操って門の前の通路へばら撒く。
民族や信仰が違っても断末魔の叫び声は人類皆同じであるようで、純粋派ノーザーランド人たちからは、先ほどのダリアンデル人奴隷兵たちと変わらない絶叫が上がった。屈強な分だけ生命力も強いのか、彼らは致命傷を負いながらもすぐに倒れることはなく、後方へ逃れようと歩き回る。純粋派ノーザーランド人まで楽にしてやる義理はないとグレンダが考えたのか、今回は物見台から慈悲の一撃は放たれない。
その結果、彼らは装備や衣服が張りつき皮膚が焼けただれた無惨な姿を曝しながら、仲間たちのもとまで辿り着く。変わり果てた仲間の有様を前にした衝撃は、いかに厚い信仰心があっても拭えないのか、純粋派ノーザーランド人たちもさすがに慄いた様子を見せる。
「……あいつらもこれには怖気づくんだねぇ」
ディミトリの掲げる円盾に頭上を守られながら、ミカは意外そうな表情で敵陣を眺めて言った。
次の瞬間。門前に放置されていた破城槌に向かって砦の中から火球が飛び、直撃を受けた木製の破城槌は火に包まれる。火球が放たれたのは門の北側に立つ物見台から。どうやらこちらの火魔法使いの一人が、勇敢にも前進して物見台に上がり、破城槌を破壊したらしかった。
「ヴァレンタイン閣下! これを!」
燃え盛る破城槌を見ていたミカは、後ろから声をかけられて振り返る。
呼びかけたのは、油を煮る役割を担っていた民兵たちだった。彼らがミカのもとへ運んできたのは、ミカが念魔法で操っているものとは別の、予備として置かれていた大鍋。そこには液体がなみなみと注がれているが、この短時間に新たな油を高温に熱することは不可能のはず。
「中身は水です!」
民兵の一人が言うと、ミカは彼らの意図を理解して頷き、油の入っていた大鍋を引っ込めて水の入った大鍋に持ち替える。
そして、その大鍋を操って丸太柵の外側へ運び――丸太柵に取りつこうとしている敵兵たちの頭上を浮遊させる。できるだけ目立つよう、これ見よがしに大鍋を左右へ動かす。
すると、敵兵たちからはどよめきが起こる。
油を撒かれた仲間がどのような有様になったかは、彼らの多くが目の当たりにしていた。新たに出てきた大鍋の中身が水であることなど、端から見れば分からない。ダリアンデル人もノーザーランド人も、敵兵は一様に血相を変えて大鍋から距離を取ろうとする。動く大鍋から零れた水を浴びた敵兵が、熱さを錯覚したのか絶叫してそのまま気絶し、そのおかげで敵兵たちは大鍋に入っているのが高温の油だと完全に信じてくれたらしく、ますます大鍋を恐れる。
その結果、丸太柵に対する攻勢の勢いは衰える。丸太柵に未だ残っていた敵兵や、大鍋を恐れず前進を続ける勇猛な敵兵は、しかしその数が少ないために防衛部隊の反撃を受けて退けられ、新たに丸太柵を越える敵兵は見られなくなる。
そうして西門の南側の戦況を自軍有利に変えたミカは、大鍋を浮遊させながら物見台を通り抜けて今度は北側の土塁上へ下りていき、やはり大鍋を左右へ動かす。門を攻めていた者たちが大鍋の油を浴びてどうなったかは北側の丸太柵を攻める敵兵たちも見ていたようで、彼らもやはり大鍋を避けるように動き、攻勢の勢いを削がれる。
「大活躍だな、ヴァレンタイン卿」
「あはは、おかげさまで……敵側からすれば、僕は最低最悪の外道でしょうね」
西門北側の防衛指揮を担っているピエールに声をかけられ、ミカは大鍋と共に左右へ歩き回りながら苦笑交じりに返す。自分の戦い方が残酷極まりないものであることは理解しているが、今は倫理についてゆっくりと思案する暇はない。
「外道の軍勢を撃退するのだから、こちらも外道な手を使って構うものか……おお、見てみろ。とうとう敵軍が退き始めたぞ」
ピエールがそう言って指差す先に、ミカも顔を向ける。
土塁上を歩きながら大鍋を操ることに集中していて気づかなかったが、確かに敵軍全体が後退を始めているのが分かった。装備の整った兵たち――おそらくは部隊長らしき者たちが何やらしきりに叫び、それに合わせて敵兵たちが下がっていた。
「……とりあえず、緒戦はこちらの勝利ですか」
「そう言っていいだろう。敵軍に大損害を負わせ、退却せしめたのだからな」
おそらく、敵側の大将は力押しでは損害が大きくなりすぎると判断し、一時退却を決意した。ということは、次は何かしらの策を講じて攻めてくる。
しかし、それについて考えるのは今この場での仕事ではない。ひとまず今日は乗り越えた。そのことに安堵しながら、ミカは深く息を吐いた。




