第116話 ルーザス平原の戦い②
純粋派ノーザーランド人たちが異常なまでの奮戦を見せていることは、サンドラの位置から見てもよく分かった。
敵軍がこちらの主力である歩兵部隊と激突するまでに、バリスタとカタパルトは二度の斉射を行った。その間に弓や投石紐、火魔法による攻撃も放たれ、迫りくる敵兵たちに少なからぬ損害を与えた。
物理的な損害のみならず、心理的な衝撃も相当なものだったはず。槍のような極太の矢に味方が盾ごと貫かれ、大きな石が味方をずたずたに引き裂き、火炎が味方を焼き殺し、矢や石の雨が絶え間なく降り注ぐというのは、屈強な者が多いとされるノーザーランド人にとっても恐ろしい状況であったはず。にもかかわらず、連中が突撃の勢い自体を衰えさせた様子はなかった。連合軍本隊を支える遠距離攻撃部隊は、攻撃が命中した不運な敵兵を無力化する以上の成果を上げることはできなかった。
両軍の白兵戦が始まってからも、遠距離攻撃部隊は味方歩兵の頭上を飛び越えるかたちで攻撃を放ち、敵軍を攻撃する。敵の隊列の後衛に矢や石や炎を浴びせ、少しでも敵軍の戦力を削ろうとする。
そうしても、今まさに味方歩兵の最前列と戦っている敵前衛を攻撃するのは難しい。特に細かな狙いを調整するのが難しいバリスタやカタパルトでは、味方への誤射を防ぎつつ敵前衛だけを撃つことは不可能に近い。陣形の維持は、サンドラたちの前に並ぶ歩兵たちの奮戦次第となる。
その歩兵たちは、しかし苦戦を強いられている様子。最前面には領軍軍人や傭兵など戦い慣れた職業軍人が並び、肉体魔法使いなども惜しみなく配置されているが、その隊列もそう長く持ちそうにはない。早くも少しずつ押され始めている箇所もあるようだった。
それほどまでに、純粋派ノーザーランド人は強い。その士気を支えているのは、純粋派という彼らの呼び名の由来にもなっている強い信仰か。信仰のために己の命を捨てることさえ厭わない心理と集団の結束から生まれる熱量が一体化すると、人間とはこれほど激しく戦えるものなのか。
純粋派の連中も生身の人間であり、肉体的にも精神的にも限界はある。戦い続けていれば体力が尽き、損害が増え続ければいずれは士気も挫けるはずだが、そうなる前にこちらの歩兵部隊の方が崩れるのは明らかに思えた。
「まずいな、このままでは主力が崩れる……もう十分に敵を引きつけている。側面攻撃に移るよう騎兵部隊に進言を。ランゲンバッハ卿たちを急かせ」
「はっ、直ちに伝令を送ります」
サンドラの言葉を受け、領軍隊長は直衛の騎士の一人に伝令任務を命じて送り出す。伝令の騎士は遠距離攻撃部隊の右側に控えている騎兵部隊にサンドラの進言を伝え、それを受けてか、あるいは既にあちらも動こうとしていたのか、騎兵部隊は速やかに戦場の北側へと回り込むように移動を開始する。
・・・・・・
「大首長閣下! 敵の騎兵部隊が動き出しました!」
軍勢の先頭に立って敵軍に斬り込み、今は戦列後方に下がって小休憩をとっていたとき。クラウダはミハイルの言葉を受け、彼の指差す戦場北側を向く。
すると確かに、敵軍の陣形後方にいた騎兵数百騎が、こちらの軍勢の左側面に回り込むように動いていく様が遠く見えた。
「やはりそう動くか……横腹を守る同胞たちの勇気を信じよう」
そう語り、クラウダは再び正面で対峙する敵の方を向く。
ダリアンデル人たちがこちらの有さない騎兵を切り札として使うことは、クラウダたちも予想していた。敵の騎兵部隊による側面攻撃が行われる前提で、軍勢の側面にはあらかじめ対応するための兵力――長槍兵と、弓兵やクロスボウ兵を置いている。
ノーザーランド人であるクラウダたちは騎兵と対峙した経験がほとんどないため、未だ実戦で試したわけではないが、長槍による槍衾が騎兵の突撃を阻むことは知識として知っている。狩りで腕を磨いたノーザーランド人弓兵は優秀であり、ダリアンデル人たちから奪ったり奴隷に作らせたりしたクロスボウは、弓兵の数の不足を補うことを期待できる。
そうした効果的な武器に加えて、騎馬突撃に立ち向かう上で必須なのが持ち場から逃げ出さない勇気だが、その点に関しては純粋派の同胞たちを疑う必要はない。彼らは――少なくともその大半は、同胞を裏切り、以て神を裏切ることはしないと断言できる。
自分たち純粋派の信仰が正しく強いものであるならば、神は応えてくださる。数百騎の騎馬突撃さえ受け止める力を与えてくださる。クラウダはそう信じている。
その上で、自分たちが生身の人間である以上、耐えられる限界もあると理解もしている。一度の騎馬突撃を受けて総崩れになることはなくとも、何度も突撃されればいずれは耐えられずに軍勢が崩れ去ると分かっている。
「ミハイル、攻勢を強めるぞ! 一刻も早く敵の隊列を打ち崩し、壊走に追い込むのだ! 敵騎兵部隊に立ち向かう同胞たちの献身に、我らも応えなければ!」
「承知! お前ら最前列に戻るぞ! 弱い異教徒どもを皆殺しにするんだ!」
クラウダは小休憩を切り上げ、味方の隊列をかき分けて前に進み出す。その後ろに、ミハイルを筆頭とした大首長の家臣団が続く。
・・・・・・
ダリアンデル人連合軍の主力たる歩兵部隊。その陣形中央を占めるアルデンブルク王国軍の隊列最後方で、ディートリヒ・アルデンブルク国王は不満げな表情を浮かべていた。
馬上から戦場を俯瞰する彼の前で、アルデンブルク王国軍は敵の軍勢の激しい攻勢に押されつつある。それが、この軍の大将である彼の不快感の原因だった。
「陛下。両翼と比べても、特にこの中央における敵の攻勢は激しいものと存じます。このまま押し込まれれば、騎兵部隊が敵軍を打ち崩す前にアルデンブルク王国軍が崩壊しかねません」
「……そのような結果は断じて受け入れ難いな。我が軍のせいで連合軍が敗北するようなことがあれば、それはアルデンブルク王家の恥だ……まったく厄介極まりない敵だ。異教にのめり込んだ野蛮人めが」
側近の意見を受け、ディートリヒは吐き捨てるように言う。
敵の軍勢の中でも、特に中央先頭に立っている連中は強い様子。最も重要な位置に最も強い戦力を置くのは当然と言えば当然のことだが、そのような敵を相手取らなければならないからこそ、アルデンブルク王国軍は一際苦戦を強いられているようだった。
こちらも先頭に王家の手勢――これまでの侵略戦争で鍛え上げられた正規軍人たちや、肉体魔法使いなどの精鋭戦力を置いているが、それでもなお敵の方が優勢とは。信仰の力というのは恐ろしいものだとディートリヒは痛感する。
そして彼は、それまで戦況が見やすいようにと脱いでいた兜を被る。
「我が兵たちを鼓舞するぞ。王家の誇る勇猛な精鋭たちならば、それで勢いを取り戻すはずだ」
「御意のままに」
ディートリヒが馬の腹を軽く蹴って前進すると、側近と直衛たちは疑問を呈することもなく彼に続く。
これまでの重要な戦いにおいても、ディートリヒは前に出て兵たちを鼓舞してきた。ときには自ら剣を振るい、敵を斬ってきた。大将自らが危険な状況に身を曝して共に戦うことで兵たちを鼓舞し、自軍を勢いづかせ、そうやって勝利を収めてきた。自軍が苦境に立たされているこの状況で、ディートリヒが過去の成功例に倣って前に出るのは当然の選択だった。
敵軍の総大将が、どうやら敵軍中央の先頭集団に身を置いて自ら戦っているらしいことも、ディートリヒの誇りを刺激した。こちらだけ兵たちの後ろに隠れて観戦を決め込んでいては、純粋派ノーザーランド人どもの親玉に負けたような気分になる。逆に、戦場の最前面に出て敵軍の総大将と張り合ってみせれば、後世で語られる歴史においてこの自分こそが連合軍全体を率いていたことになるかもしれない。野心的な王はそのように考えた。
内心から湧き起こった意地と見栄に煽られ、邪魔な民兵たちを押しのけるようにして隊列の中を進み、正規軍人たちの支える戦場最前面に到達したディートリヒは、そこで視線を巡らせながら声を張る。
「我がアルデンブルク王家が誇る勇者たちよ! 王国の命運を握るのはお前たちだ! 働きには褒賞を以て応えよう! 奮って戦え! 王であるこの私が共にあるぞ!」
王からの直々の鼓舞を受け、王家に仕える正規軍人たちは雄叫びを上げて応える。自らを奮い立たせ、闘志を燃やして純粋派ノーザーランド人の猛攻に立ち向かう。
「我らも戦うぞ! 戦列に加われ!」
「はっ!」
ディートリヒはさらに前進し、最前列に立って剣を振るう。馬上からノーザーランド人の頭を叩き割り、彼の愛馬も激しく暴れて目の前の敵兵を蹴り殺す。
ディートリヒの側近と直衛たちも、王と共に戦列を成して純粋派ノーザーランド人たちと激しく戦う。自らも勇猛でなければ、勇猛な王の傍に仕えることは許されない。
王たちの奮戦を見て、アルデンブルク王国軍人たちはますます勇んで戦いに臨む。練度の面では決して敵に劣っておらず、装備の面ではむしろ勝っている。そんな彼ら一人ひとりの奮戦により、戦況は拮抗する。信仰に支えられた純粋派ノーザーランド人の猛攻を、アルデンブルク王国軍人たちは受け止めてみせる。
この様子であれば、味方の騎兵部隊が突撃を成し、その後に連合軍全体で追撃戦を行うまで、アルデンブルク王国軍は十分に耐え得る。ディートリヒがそう考えながら戦っていると、対峙する敵軍中央の先頭集団、そのやや後方から、精鋭軍人らしき重武装の一団を率いる男が進み出てきた。鎖帷子と、派手に装飾された兜と盾を装備し、毛皮の外套を纏った目立つ男だった。
こいつが敵軍の総大将に違いない。他の王や大領主たちでなく、この自分こそが純粋派ノーザーランド人どもの親玉と最初に邂逅し、そして自らの腕で剣を振るって戦おうとしている。自分と敵の総大将、どちらが勝利するかによって、この戦いそのものの勝敗も決まるだろう。
すなわちこの自分こそが、連合軍の中心に立つ主役だ。ディートリヒがそう考えながらほくそ笑んだ、そのとき。
「ぐぁっ!」
横腹のやや背中側に衝撃と熱を感じ、思わず呻き声が零れた。主君の声に反応して振り返った側近は、ディートリヒの様を見ると、血相を変える。
「へ、陛下!」
「何なのだ一体…………何だ、これは」
違和感を覚えた横腹を自らも見やったディートリヒは、怪訝な表情を浮かべる。
横腹からは槍が生えていた。敵がいないはずの後方から槍を突き込まれ、その穂先が鎖帷子を突き破って己の身体に深々と突き刺さっているのだと、把握するのにしばし時間がかかった。
敵がいない後方から、味方の兵に攻撃されたのだと、理解するのにさらに数瞬を要した。




