神託①
教会へ続く回廊は混雑していた。
狭い通路に、武装した近衛兵の群れが犇めき合っている。
御所門へのルートを封鎖し、緊急の厳戒態勢が敷かれているのだろうが、まるで足並みが揃っていない。
誰もが困惑した表情で、右往左往と乱れるばかりだ。
兵の合間を抜けて、兄が駆け寄って来る。
ノープリウス・トプス・コストゥラカ。
生きているだけで希望の星と呼ばれる。極めて希少な、男性の龍人だ。
「キプリス!」
『おまえ! なんて恰好を……』
こんな醜女の肌を見て、照れてくれるのはありがたい。
違うな。吐きそうになっているのか? 顔色が悪いぞ。
まあいい。今はそれどころではないだろう。
「湯浴みの途中だったんだ。裸じゃないだけマシだろう。で? 何の騒ぎだ?」
「キプリス! 聖典の予言を覚えているか?
第二十二章、“ 玉座の返還 ”にこうある。死の山脈より福音を齎す星の王。
祭壇を粛清の血で満たし、咎人の首は黒い唇で語る。狂へる龍は軛の外れる音を聞き…………」
『あれは神だ! 聞いてくれ! 僕は神をこの目で見たんだ!』
また世迷言を。信心深いのはけっこうだが、貴族がこの調子では話にならん。
「忘れたよ」
ドレスの裾を翻し、彼に背を向けて指を鳴らす。
「静まれ近衛共! 水の龍姫の名に於いて、この混乱を超重要影響事態と見なし、法令に則り、只今よりこの私が兵の指揮を預かる! 級1級以上の士官がいるなら前へ出ろ!」
皆が静かに下がる中、青い腕章を付けた女が、名乗りを上げて踵を鳴らす。
「ニベアスベール1ッ級海尉ッ。近衛ではありませんがッ、是より龍姫の指揮下に入りますッ!」
『助かった……。まともなコストゥラカだ』
「ニベアスベール。事態をどこまで把握している?」
「たまたま現場に居合わせておりましたッ! 通報したのは自分でありますッ! 由って一部始終を記憶しておりますッ!」
『龍姫は狂耳の持ち主だ。冷静に…。冷静に…。余計な事は考えるな……』
「僥倖。好きに語る事を許す。簡潔に事の次第を説明しろ」
「祈りの途中、唐突に巫女が神懸かり、儀式用の短剣で自らの首を切断しました」
『切断した……。確かに切断したが、現実味がない。自分で自分の首は切れても、あのような短剣で斬首まではとても……』
「考えるな。見たままを話せ」
「はッ!
首は、それを切断した者の手によって、恭しく祭壇に置かれました……」
苦悶の表情を浮かべ、彼女は続けた。
「そして、首は……。その、自らが……、星の王であると宣いました」
『星の王。オドラデク…………』
「肺が無いのに喋ったのか?」
「そうです……。それは幼子を思馳せる、愛らしい声でした。
神の名を聞いた瞬間、その場にいた何人かが続けざまに倒れました。
高濃度の魔素による、肉の崩壊が死因と思われます。先程も礼拝堂の扉付近で、致死量に近い魔素を検出しました。
その数値は、一〇一Cに達し……、現在も上昇中です……」
『私も退避が一歩遅れたら、同じように死んでいただろう……』
まずいな……。扉の外でその数値なら、礼拝堂の中は猛毒のるつぼだ。
「キプリス。通常の魔素の実効半減期は約十五分だ。しかし御神気、神の放たれる魔力は基本的には減衰しない。この一点を以ってしても、神が降臨され賜うた事実を我々は…………」
鬱陶しいな。兄のさしで口を手で遮り、ニベアスベールに命令する。
「状況は理解した。ニベアスベール。この御方を、ノープリウス閣下を御所門まで退避させろ。貴族の倫理法を逸脱しない範囲での、強制連行を許可する」
「はッ! 手隙の近衛は手を貸してくれ! 閣下を保護する!」
『やれやれ……。閣下の護衛なんて貧乏くじだわ』
「待ってくれキプリス! 話を聞いてくれ! こらっ、よせ貴様ら! 僕に触れるな!」
肩で風を切りながら、左右に割れた兵と兵の間を歩く。
神を信じる者、未だ半信半疑の者、その表情は様々だ。
「私が単独で礼拝堂に突入する! 近衛共は扉を中心に、距離を保って臨戦態勢をとれ! 但し! 扉に近すぎると魔素中毒になる可能性が高い! 頻繁に列を交代するのを忘れるな!」
士官らしきスカートの者が数人、速やかに兵に指示を与えている。
やればできるじゃないか。
「四半刻待っても私が戻らなければ、これを武力攻撃事態と見なし、明白なテロであると捉え、特別対処法を適用し、全権を水龍騎士団に委ねよ!」
さて。
私は神を信じぬとは言わない。
かと言って、この分厚い鉄の扉の向こうに真の神がいるとも思えない。
奇蹟とは、人の手によって如何様にも起こせるものだ。
邪悪な死霊術師ならば、これくらいの芸当はやってのけるだろう。
私は神を信じぬとは言わない。
だが。
これは、龍人の純粋な信仰心を利用した悪質なテロであると私は断言する。
神を騙る重罪人が、私の狂耳を欺けるか。
その化けの皮を剥いでやろうじゃないか。