神託②
軋む扉を開け、ペダル式のドアストッパーを蹴り込む。
「くっ…………!」
超高密度の魔素に噎せ返る。
白い石灰岩の床に転がる無数の屍、そこかしこに咲いた血の痕が、聖なる領域を地獄に変貌させていた。
糞が。
長椅子の列の奥に聳える血塗れの祭壇。そこに鎮座する生首が欠伸をしている。
ゆっくりと歩く。暴れようとする呼吸を整えながら、一歩ずつ。
肌もひりつくが、緊張からではない。全てはこの尋常ならざる魔素の影響だ。
「ほう。臆さぬ者が来たか。猛々しい龍の子よ」
奇妙な声だ。
まず遠近感がおかしい。距離を無視して間近で聞こえる。
変わり果てた巫女の名はゾエア。いい歳の女だ。この幼い声はゾエアのものではないだろう。違和感しかない。遠隔操作での口パクか……?
心の声はない。
狂耳の圏外か。
術者はどこに潜んでいる…………。
「あはれなり。ひどい顔よの。頭蓋がずれておる。そこなじっとしておれ」
戯言を無視して距離を詰める。
歩法を摺り足に移行してゆく。
目の端に、ひしゃげた赤帽子と禿げ頭が飛び込む。
男……。この死体は……、コモド大司教だ。
「利かん坊め。そこへ直れ」
「男性である司教殺しは罪が重いぞ……。神を騙る不埒者め、正体を現せ!」
生首の目がぎょろりと震え、その瞳が黒い星の形に散瞳する。
強烈な圧力に膝が震える。心を無視して肉体が怯えている。だが、退かぬ!
「dragonLAM」
龍気が迸り、髪が波打つ。
頸椎から尾骨まで、背骨に沿って水色の鱗が生じる。
さらに指先から肘、爪先から脛までが鱗の鎧を纏う。
薄着のままここに来たのは、装備の必要がないからだよ。
私はモンク。
素手素足の殴り合いこそが、私の土俵だ。
さあ、隠れても無駄だ。この黄金の瞳に映る全ての存在をぶちのめしてやろう!
「しんどいのう。
コモド・トプス・クリーピは、年端もゆかぬ児童が好きでの。営繕修理費とか、ほれ、寺院の維持費とか称しての、毎年多額の予算を抜き、その半分を己の快楽に回しておった。男でありながら、男を強姦する趣味じゃ」
唇からはみ出た牙が軋む。
こいつ、何を言っている。
「サンカエルにある司教の別邸を洗え。十年に渡る姦淫の証拠があろう。地下には数人の男児が、娼として今も囚われておる。救うておやり。
その脇で事切れておる二名。海軍兵も共犯者じゃ。その上官、ニベアスベールは生かしてやった。じゃが監督不行き届きは叱っておけ。あと酒はほどほどにと。
この場の亡者は皆、儂の信徒として恥ずべき者ばかりじゃ。同時に其方の領地にとっても不利益な害虫であろ。
この巫女、ゾエアに至っては、口にするのも憚れる悪行の数々…………。ふん。開いた口が塞がらん」
そう宣い、大きな口を開けて呆ける生首。
どういう事だ?
粛清を行ったとでも言うのか?
もし、こいつが事実を語っているとするなら、男の子を手籠めにしているなど、許すべからざる前代未聞の大事件だ!
足元に横たわる大司教の顔を見る。
てかりのある禿げた頭、白目を剥き、鼻から血を、口から泡の沸いたベシャメルソースのような液体を垂らして絶命している。
「こいつが…………」
「ほれ。其方の軛を外して進ぜよう」
喋った!
ベシャメルソースをぶちゅぶちゅと吐きながら、司教が喋る。
だのに無垢な少女の声。そのミスマッチさに吐き気を覚える。
なんて悪趣味なトリックなんだ。
私は、私は心底こいつが嫌いだ。
こいつはやはり神じゃない!こんな神がいてなるものか!
こいつは神とは正反対の、人智を超えた、邪悪な何かだ!
司教の咥内から、不快な液体に塗れた黒い物体が現れる。
何だこれは? びっしりと黒い棘に覆われた、八爪魚を思わせる触手だ。
触手は歪に脈打ちながら、ずるずると地を這い、私の傍に迫り来る。
こわい。
可能ならば、悲鳴を上げて逃げ出したい。
だが、動けない。
声を発する事も、呼吸すらも…………。
「よくぞ今日まで生きとったの」
触手の先端が、眼前まで持ち上がる。
二股に割れた漆黒の鎌首が、私の鼻先で揺れている。
よせ、やめてくれ…………。
そしてそいつは、ゆっくりと。両の耳から、私の体内に…………。
「脳がぱんぱんにむくんでおる。血流が滞り、神経の脱落症状もあったであろ」
『其方らは、時間というものが、放たれた一本の矢のようじゃと思うておろう。
ただ進み、進み。過去はかたくなに揺るがず、未来はあやふやに揺らいでおる』
心の、声?
「酷いの。血栓まみれじゃ。下垂体に腫瘍もある」
『時計は丸くないとね。時の流れは円環だからね』
違う。男の声? 誰だ?
「頭は治すが、顔は知らんぞ。そうよの、使徒が晴れて魔王となった暁には……」
『無限大の、時の輪の結び目に在って柱とする。人は儂を星の顔をした者と呼ぶ』
『キプリス。キプリスってかっこいい名前だね。よろしく。俺の名前は…………』
私の名を呼ぶ声がはっきりと聞こえる。一体誰なんだ……君は……。君の名は。
『神託を授ける。
死の山脈の神殿跡地にて、儂の使徒が待つ。
その者に生涯を捧げよ。
章の区分第二十二番、予言の章、玉座の返還。
死の山脈より福音を齎す星の王。
祭壇を粛清の血で満たし、咎人の首は黒い唇で語る。
狂へる龍は軛の外れる音を聞き、真の王の名を請う。
今ここに。予言は成就した。
龍の血に約束の祝福を与えん…………』
lam 〈俗〉〔~を〕強くたたく。〔~を〕ぶちのめす。




