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大江戸・百鬼夜行  作者: 塚本 仁
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第九話

 嫌すぎる可能性に気づいてしまい、大江戸にいるあいだは現実の時間が経過しないのと同様、現実に帰れば大江戸での時間も経過しないという事実を利用し、考えをまとめる時間を稼ごうとログアウトした文昭。

 一晩悩んだが妙案は浮かばず、朝になって登校したものの、なにもやる気が起きない。頭の中が悶々としているせいだ。

 自分になにができるか、なにをすべきか、なにがしたいのか。そんな思考の断片が押し詰まって飽和している。

 そうすることで考えたくない事実から目をそむけている、ともいえる。

「文~、なにしぼんでんの?」

 空気を読んでいないのか、読んでいてあえてなのか、普通に考えたら友達がいがあるからだろうというタイミングで声をかけてきたのは麻魅。見た目は色味が普通に日本人であることを除けば、ゲーム内とよく似ている。

「なんでもねぇよ」

 実に白々しい。

「ふぅ~ん。そんならいいけど?」

 猜疑というより確信的な疑いのまなざしの上に「わかってるわよ」と「しょうがないねぇ」を山盛りにした視線、やけに伸びた前言に、思わせぶりな疑問系の語尾。

 チェシャ猫のようなといえばいいのか、弓形に笑った目が、うざいこと極まりない。

 しかし、それは明らかな挑発なのだ。乗ったら負けである。

 運動神経も良いため「素で猫女」「キャットピープル」などと冗談まじりにいわれることもある麻魅は、策謀を駆使する知略型ではないものの、天然で相手の弱味をにぎり、とどめを刺さずにいじりまわすという、実に性質の悪いところまで猫なのだ。主に幼馴染限定で。

 しかし、なぜか麻魅はそこで引き下がり、深くは追求してこなかった。文昭も、都合がいいのでだんまりを決めこむ。

 この時に視線まではずしていなければ、彼女が向かった先で幼馴染カルテットの残り二人が見ていることに気づいただろうが。

 放課後になったところで状況は変わっていないのだから当然気分も晴れず、鬱々としたまま家路につくことになる。

 世の中、確かなものというのは存外に少ない。

 普段は無意識に絶対だと信じて疑わない常識も、数年前の新聞を見れば真逆なことが書かれている、などということが普通にある。

科学的に証明されたとされる事実も、新たな発見によって容易に覆る。天気予報などがいい例だろう。自然の気まぐれによる異常気象で予測がはずれることなど、日常茶飯事だ。十中九だと思っていたものが、実は十万中の九にすぎなかったとなれば、いかに想定範囲内では正確とされた予報でも、あっさりはずれるのがむしろ当然だ。

 まして大した情報もない目の前の事象に対して最善の回答を出すなどということは、不可能に近い。しかも、結果として次善くらいにはなるよう努力する意味は十分あるにも関わらず、最善でないなら価値もないと錯覚することだってある。特に、人の命がかかっているとなれば。

 どうする。どうしたい。そもそもなにかすることに意味があるのか。かえって悪化させないか。

 そうやってどうどう巡りの思考が煮詰まっていた時だから、不意に感じた悪寒へ咄嗟に反応し、身を引くことができたのは、幸運だったのだろう。

 なにしろ、直前まで自分の頭があった位置のすぐ横、向かいの家の陰がさしたブロック塀の一部が、火種も可燃物もないというのに、いきなり火を噴いたのだ。

 熱いというよりは痛い。前髪が何本か焦げた異臭がする。

 時間的には短かったために火傷をしたわけではないが、直撃を受けていたらただではすまなかっただろう。いや、確実にまずい。

 なにしろ、文昭はいまの発火現象に見覚えがある。

 ゲームで、リアルで、焼影の燃焼攻撃が目標からはずれた時と同じだ。

 はりついた状態で発動すると対象を丸焼きにするこの攻撃は、反応させず飛びのくことへ成功すると空振りし、まるで本当の影のように焼影の位置が床や壁などにずれ、そこで一瞬の炎を吹き上げる。

 この余波だけでも十分に危険だが、命中した時に最も恐ろしいのは対象が可燃物――特に着物や人体であった場合、対象となった部位が直接燃え上がることだ。大江戸の脱ぎやすい木綿の着物ならとっさに脱ぎ捨てることもできるが、化繊の洋服など、即座に水へ飛びこむか消火器でも向けてもらわなければ、大変なことになる。まして皮膚や肉・眼球が対象となったら、人間は絶対に助からない。

 仮想現実の体験が功を奏したものか、そこまでを瞬時に判断した文昭は、即座に全力で走りだした。攻撃の焦点を定めさせないためには、動き続けなければならない。さらにいうなら、影に包まれている状況から脱しない限り、攻撃を視認することが不可能だ。直感に頼った奇跡がそう何度もおこるわけがないのだから、切実だ。

 少しでも光の多いところへ。相手の姿が見えれば少なくとも走り続ける必要はなく、回避もしやすい。

 体力がつきる前にと焦りながら角を曲がった時、道路の向こうに一人の男が見えた。

 さして大きくもない初老の、恰幅のいい男。地味なスーツ姿で、それだけを見ればどこにでもいそうな奴だ。

 しかし、異相。

 口から顎・もみあげと、髭と頭髪が分かれることなくつながり、灰色の毛が老いた獅子のようにたゆたっている。

 眉も同様に長く、量がある。

 にもかかわらず、その下の両眼は丸く炯炯として、強烈な存在感を放っていた。

 そして、すれちがったわずかな時間でも見ることのできた、あからさまな嘲笑。

 なにができるものか、なにもできるものか、という悪意に満ち溢れた、巨大な精神。

 うかつに止まるわけにはいかないため走り抜けたが、文昭は確信した。

 絶対に忘れない。

(あれが、敵だ)

 しかし、現在進行形で命の危機は少しも去っていない。立ち止まることは許されない。むしろ、消えるのはまさに時間の問題である残照が留まっているうちに解決策を思いつかなければ、確実に死ぬ。

 だが解決策といったところで、一体どうしろというのか。

 ゲームの設定どおりなら、リアルの大江戸でもそうだったように、実体のない存在にもダメージを与えることが可能な霊的攻撃でなければ、焼影には傷もつけられない。

(現実で霊的な攻撃? なんだそりゃ。神社の御札でも使うのか? 天羽に念仏でも唱えてもらうか?)

 どちらにしてもいますぐには間に合わないし、効果のほども期待薄だ。

 文昭がとりあえず駆けこんだのは、近くにあった空き地だった。

 古い家がとりこわされ更地になったまま、特に利用されていない。赤茶けた土が露出している。

 西側が道路であるため影が占有している面積は小さい。真ん中にいれば不自然な影が近づけばあるていど分かるだろう。それでも常時視線をめぐらせていなければならない。おまけに、照らしている光はあからさまにオレンジ色だ。

 内心で気がつきながらも考えたくなかった話、その一。現実で起こった不審な焼死事件が東京だけではなく関東全域で起こっていたことがひっかかり、大江戸に流れこむ焼影の出所が府内ではなく周辺諸州にあるのではないかと推測し、それが当たった。

 では、現実の方の事件の真相は?

 状況証拠的には、間違いないだろう。焼影なら火種も可燃物もない状況で、人間を焼き殺せる。

 しかし、ゲームの妖怪が現実世界に現れる、そんなことがありえるのか。

 酷似した異世界があるにしても、一体どうやって。

 頭の隅で逃避気味にそんなことを考えながら、文昭は常に周囲へ視線をめぐらす。

 そうしなければ死ぬ。理性的な判断でもあるが、それ以上に不安と恐怖に突き動かされる。

 他の被害者も、こんな風に追いつめられたのか。

 いや、知らなければ不意打ちで一瞬だろう。ただし、死ぬことが決まっても焼影の殺し方では楽には死ねない。身体の表面から、徐々に焼いてゆくのだ。激痛によるショック死以外は、それなりに長引く。あるいは喉から肺をやられて窒息か。

 篠崎の弟は中学の屋上だった。夜中にはいるような、はいれるようなところではない。校内で襲われて、偶然助かって、逃げた。でも追いつめられ、階段に待ち伏せされ、飛び降りることもできず、やがて屋上全体が夜に包まれ、焼き殺された。

 怖かったはずだ。嫌だったはずだ。

 文昭だってそうだ。こんなところで死にたくない。

 しかもそれだけではない。ここで焼影に殺されるということは、死んだ後も利用されるかもしれないということ。

 あのヤロウ。

 さっきの男。

 絶対に。

 殺してやる。

 恐怖に反抗して吹き上がった怒りが、思考を染める。

 文昭の動きが止まり、それを見越していたかのように、一番近い影から不自然に伸びあがった別の影が、その身体を包みこもうと迫る。

 影は

 飛来した数本の棒状手裏剣・クナイによって、地に縫いとめられた。

「なに?」

 赤く染まった目でクナイの飛んできた先を見ると、燐光でできた人影が、電信柱から跳び降りて来た。隠形系の妖力を使用している対象を火眼金睛で見たのと同じ状態だ。

 相手は文昭のすぐ手前まで来て、立ち止まった。焼影はあれでとどめを刺されたのか、跡形もない。

「いや~、文ちゃん。危ないとこだったね?」

 そういって隠形を解き、黒と見まがう濃い赤の忍び装束から頭巾と口元の当て布をはずして見せたのは、幼馴染の顔かたちを残しつつ、瞳孔が縦に割れた青く光る目と、頭から生えた猫耳を持つ存在、お麻だった。

 考えたくなかったことの二。

 自分はこちらでも、すでに人間ではない。


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