第1話
静まり返った広間に、足音と鎧の音が響き渡る。
黒曜石の床。
高く伸びる天井。
燭台に灯る紫がかった複数の炎がゆらゆらと揺れ、床に反射する。
私は剣を握りしめ、広間の奥の玉座を見据えた。
そこに座るひとつの影。
この城の主であり、そして最後の魔王。
その名を、エンデという。
「……また来たのか、勇者」
静かな声が、正面から刺さる。
私は立ち止まった。
何度、この玉座の前に立っただろう。
いまだ、この剣は届かずにいる。
エンデは玉座から立ち上がった。
ゆっくりと歩いてくる。
こちらへ近づくにつれ、その姿が明瞭になっていく。
まるで人間の男のような見た目。
私よりも、ひと回り大きい体躯。
闇を纏っているかのような外套に、黒い長髪が揺れる。
私は剣先を向け、構える。
「今日こそ、……あなたを倒します」
もう何度、言っただろう。
相変わらず切り込む隙がない。
奥歯を噛みしめながら、踏み出すタイミングを計る。
「そうだな」
エンデは、冷ややかな眼差しを向けた。
「貴様は無駄だと、理解できないようだ」
――無駄なんかじゃない。
隙を見いだせないまま私は息を短く吐き、床を蹴った。
鎧の音が闇に突き抜ける。
全力の魔力を、剣の表面に纏うように走らせる。
「聖光斬!」
エンデめがけ、剣を振り下ろす。
眩い光が、闇に包まれた広間を白く裂いた。
だが、エンデの手元から溢れ出した闇の靄が、瞬時に鋼の剣へと形を変える。
全力の一撃を、音もなく受け止めた。
「雑だぞ」
エンデの退屈そうな声。
それでも、私は攻撃を重ねていく。
腕を切りつけても、足を払っても、攻撃が届かない。
何か、重い力に遮られて、跳ね返される。
エンデの剣から黒い靄が溢れ出し、私の剣を押し戻してくる。
「……く!」
じりじりと後退しても、エンデは表情を変えもしない。
たまらず私が後ろへ飛び、距離を取ったと同時に、エンデの口が動く。
「――影縛」
「あっ」
エンデの足元から影が床を走る。
一瞬で伸びた闇が、私の両脚を絡め取った。
しまった、来ると分かっていたのに。
脚が、動かない。
エンデが歩み寄ってくる。
足の闇を振り払うために、体から光を放出させる。
「まだだ!」
弾けるように闇の縛りがほどけた瞬間、すぐさま剣を構える。
目の前に、すでにエンデがいた。
「力に頼りすぎだ、勇者」
気づけば、首に剣を突きつけられていた。
「貴様の剣は確かに鋭い。だが――俺には、届かぬ」
冷たい剣の切っ先が、喉に触れている。
……終わりだ。
私は歯を食いしばって、その冷酷な瞳を睨み上げた。
「……やるなら、早く斬れ」
エンデは、私を見下ろしたまま言った。
「人間ごときが、指図するな」
喉元の剣が黒い霧に変わる。
形を変え、渦を巻くように私の前で小さく収縮していく。
「――虚無波」
圧縮された闇が、至近距離で解き放たれた。
「――っ!!」
衝撃が、全身を叩き潰す。
防御も、回避も、間に合わない。
視界が反転し、体が宙を舞う。
次の瞬間、私は魔王城の外壁を突き破っていた。
そのまま、背中から地面に叩きつけられ、息が止まった。
「……っ、は……」
体が、言うことをきかない。
痛みを堪えながら、目を開く。
夜の下、城の高みからエンデがこちらを見下ろしている。
次の攻撃が来る……!
防御を取ろうとしたが、剣は離れたところに落ちていて届かない。
「弱いな」
言葉だけを残し、エンデは踵を返した。
その後姿を見て、私は掠れた声を絞り出す。
「まだ……終わって、ない!」
その時、地響きのような低い音が響いた。
首をもたげて見ると、瓦礫がひとりでに浮き上がり、私が突き破ってきたはずの城の外壁が、静かに形を取り戻していく。
継ぎ目も残さず、まるで、何事もなかったかのように。
追撃も何もない。
言葉が、出なかった。
もう数えきれない……完膚なきまでの敗北。
仰向けで剣に手を伸ばしたまま、緊張の糸が切れたように体の力が抜ける。
痛みと、悔しさで息が震えた。
それでも……。
諦めるわけにはいかない。




