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この恋、止まれません! ②

 繁華街から少し離れた一角、ゲイバーやレズビアンバーの連なる通りが入り組んだ中にあるジェンダーフリーカフェ「pasture」が、今日から村瀬実里の勤務先になる。「pasture」は英語で牧草地のことで、いろいろな人の憩いの場になるように、との思いが込められているとショップカードに書いてあった。LGBTQ+や、ヘテロセクシュアルと呼ばれる異性愛者のセクシュアリティの垣根にとらわれずに、誰でもひと息つける場所を目指しているカフェで、スタッフもジェンダーフリーだ。ゲイのスタッフもいれば、レズビアン、バイセクシュアル、ヘテロセクシュアルの人などがいる。店長はバイセクシュアルの四十代男性で、同性のパートナーがいると聞いた。

 実里は男性でも女性でも好きになった相手が好みのタイプで、相手の性別関係なく惹かれる自分に疑問を持ったのは中学生のとき。インターネットで調べてバイセクシュアルという言葉を知り、自分もそうだと自覚した。異性も同性も好きになったことがあるが、恋人ができたことはない。いつも一方通行で終わる。

 カフェの店内は広々としていて地下の窮屈さを感じさせず、オレンジを基調としたインテリアに明るすぎない照明が落ちついた雰囲気を作っている。店の出入り口にある棚にはイベントのフライヤーや近隣の店のショップカードが並ぶ。

「お待たせしました」

 声をかけた女性スタッフがほどなく戻ってきて、更衣室に案内してくれた。グレーの縦長のロッカーには、クリーニング済みの制服がふた組入っている。更衣室の壁際には、ファッションショップの試着室のようにカーテンで仕切られたスペースが五つあり、そこが更衣スペースになっていると説明される。

「着替えたら表に来てください」

「わかりました」

 ボディバッグをロッカーに入れて手早く着替える。更衣室には他に誰もいないが、念のため更衣スペースの一番右側を使うことにした。

 ずっと夢だったこの店で働けることに心が弾んでいるが、それ以上に先ほどの男性が店に入ったことが実里の心を浮き立たせた。うまく行けばお近づきになれるかもしれない。

 制服である白いシャツに黒のスラックス、黒のギャルソンエプロンを身につける。おかしいところがないか鏡で全身を確認すると、緊張気味に表情を硬くしている大人しそうなスタッフができあがっていた。相変わらずの童顔で、二十三歳になってもまだ高校生のように見える。こげ茶色の髪は染めたばかりだ。少しでも大人っぽい見た目になるかと期待したのだが、明るくしすぎることに怖気づいて暗い茶色にしたからか効果はまったくなかった。インドアなタイプなので肌は白く、筋肉のつきにくい身体も相まってひょろっとしていると自分で思う。人に紛れたらわからなくなりそうな地味で目立たない、言い方を変えれば存在感のない平凡な外見だ。

 更衣室を出て表に戻ると、先日面接をしてくれた店長が先ほどの女性スタッフと話していた。実里に気がついた女性スタッフは持ち場に戻り、店長が朗らかな笑顔を見せる。先ほどの男性ほどではないけれど背が高い清潔な雰囲気の店長が、実里の制服姿を確認するように頭から足まですっと視線を走らせた。

「聞いたとおりのサイズで用意したけど大丈夫? 合ってる?」

「はい。大丈夫です。本日からよろしくお願いいたします」

「うん。よろしくお願いします。わからないことがあったら、なんでも聞いて」

「ありがとうございます」

 挨拶を終えると店長がカウンター内にいる男性スタッフを呼び、実里より明るい茶髪がよく似合っている男性が寄ってきた。男性スタッフの顔を見あげると、微笑みを向けてくれた。人懐こい笑顔だ。

「こちらは富永(とみなが)さん。村瀬さんの教育係をお願してるから」

 店長に紹介され、富永が実里にひとつ会釈をする。

「村瀬です。よろしくお願いします」

 実里も挨拶を返したところで店長はカウンターに戻っていった。実里は富永から店の中の説明を受ける。入り口左手のカウンター奥がキッチン、ワンフロアの客席は四人がけのテーブルとふたりがけのテーブルが十席ずつ。オーダーはハンディターミナルへの打ち込み式で、卓番などの説明を聞きながらメモをする。

 客としてはじめて来たときから実里はこの店が好きだったけれど、なかなかスタッフの募集が出なかった。実里が大学在学中から先月まで三年ほど働いていた喫茶店がマスターの都合で閉店することになり、次の仕事を探しはじめたのと同時にスタッフ募集が出たのだ。応募しない理由がない。

 富永の説明を聞きながら店内を見まわすと、先ほどの男性は壁際の四人がけ席にいた。小柄で綺麗な男と一緒だ。

「――こんな感じかな。他にも気がついたら説明するけど」

「はい。ありがとうございます」

 聞いていいだろうか、と悩んでから口を開く。

「富永さん。あの男性はよく来られるんですか?」

 男性を見ながら聞くと、富永も彼に視線を向けた。

「ああ、(はじめ)さんか」

 富永が迷うことなく男性の名前を呼んだ。眉のあいだにしわを寄せてから、小さく首を傾ける。

「うん。よく来てくれるよ」

「そうですか」

「でも悪いことは言わないから、あの人には近づかないほうがいいよ」

 どこか複雑そうな顔をしているので、今度は実里が首をひねる。

「どうしてですか?」

「あの人、すごい遊び人なんだ」

 いつも違う男と店に来ると富永は続ける。目立つ容姿だから寄ってくる男はたくさんいて、その中から適当にその日の相手を見つけているらしい。

「遊び人……。なるほど」

 男性の姿を見ると、向かいに座る男となにか話しながら食事をしている。無表情で、特段楽しそうという感じでもない。淡々と会話をしているように見える。

「わかりました」

 実里がひとまず納得したら、富永はほっとしたように眉間のしわをほどいた。とりあえず今のところは真面目な返事をしただけなので、わずかに申し訳なさを感じる。

 実里は飲食店での勤務経験があるから、「基本的な接客については安心している」と店長が言っていたと富永が話す。前の喫茶店でもこれといった問題もなく勤務していたので、実里自身も若干の安心はある。それでも店が変わるとルールも雰囲気も違うだろうから、一から覚える気持ちでいる。

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