軍の事情
「ぶっちゃければ、婚約破棄をしてほしくて呼び出したんだよね」
勧められるままソファに腰を下ろした日菜子に、この部屋の持ち主である宇根元は挨拶もなく名乗りもなく、そう話しだした。ざっくばらんに一般的ではない要求をされて、日菜子の顔が引きつった。
「だって、隆臣が君と結婚してもこちらには何の利点もないだろう? 隆臣の前の奥さん、いいところのお嬢さまで討伐隊に援助を沢山してくれていたんだ。正直、あの援助がなくなると結構痛いんだ。だから婚約破棄してもらって、隆臣には元鞘に戻ってもらおうと」
「隊長、流石に率直すぎる」
川口が呆れたように口を挟んだ。宇根元は肩をすくめる。
「言葉を飾ったところで、要求は一緒だ。婚約破棄をしてほしい」
そんなことを言われても、というのが日菜子の感想だった。ため息をつくのは申し訳ないが、ため息をつきたい。特に反応することもないので、ただ座っていた。
「もしくはどうしても婚約破棄をしたくなかったら、藤原から何かしらの便宜を図ってもらえないかな?」
図々しいというのか、生理的に無理な人種だった。日菜子は営業用の笑みを浮かべた。
「わたしの方から便宜を図ることはありません。婚約の方もわたしから動くことはありません。すべては中央からの指示ですから」
「うーん、話聞いていた? 確かに婚約は中央の権限だけど、君の振る舞いによっては隆臣が不利を被るということなんだけど」
「まあ、では隆臣さんは軍にとって、穀潰しだという評価なのですね」
隆臣の神力は皇族並みと聞いている。その上、朝香家は帝に近い位置にいる一族だ。コマのように扱うのなら、軍に属していなくてもいいじゃないのではないかという気持ちがこみ上げる。家の付属品のように扱われてきた日菜子にとって、そういう扱いは許しがたい。
「はあ?! なんでそうなるんだ!」
「何故と言われても。あれだけの神力を持っていても、わたしの家から援助を申し込まなければ不利になるほど低評価なのでしょう? 隆臣さんの能力が足らなくて、現在の地位を維持するためにこちらからの援助が必要だというのなら、将来について考えた方がいいのかもしれません」
「隆臣が低評価なわけがない」
「そうなのですか? でも援助をしなければ揺らいでしまう程度のものなら、無理にここに押しとどめていても本人にとって不幸だと思うのです」
にこにこして告げたら、宇根元が怒りをあらわにした。真正面から強い神力が放たれる。遠慮のない威圧に、日菜子はぐっと腹に力を入れた。川口や住吉よりも強い神力であったが、隆臣よりやや劣る。チャラチャラした男に負けたくないという気持ちも働き、表情を変えることなく踏ん張る。
「宇根元隊長の威圧を受け止めるなんて……」
顔色を悪くした住吉が呟いた。宇根元も自分の威圧が効かなかったことに唖然としている。
「お話がこれだけなら、そろそろ失礼します」
負けなかったことにほっとしつつ日菜子は立ち上がった。部屋から出る前に、一度振り返る。
「そうそう。伯父には討伐隊の意向をお話しておきますね。こんなことを言うのは恥ずかしいのですけど、わたし、藤原でとても大切にされていますの。護符の優先順位が下がったとしても、仕方がないと納得してくださいませ」
「ちょっと待て! 川口、引き留めろ!」
日菜子が出ていくのを、宇根元が引き留めた。当然その引き留めに応えるつもりはなく、日菜子は川口の側を通り抜ける。彼は日菜子を止めず、軽く会釈しただけだった。
「では、ごきげんよう」
扉に手を伸ばしたところで、乱暴に扉が開いた。飛び込んできたのは息を乱した隆臣だ。いつもは無表情に近いのに、肩で大きく息をして髪まで乱れている。急いで来てくれたことに目を丸くした。
「日菜子さん、無事か?」
「ええ。特に問題はありませんわ。今から帰るところですし」
「そうか、それはよかった」
ほっとしたのか、脱力して日菜子の肩口に額を当てた。いつもとは違う姿に驚きつつも、嬉しくて自然と笑みが浮かぶ。
「来てくれて嬉しい。でもよくわかったわね?」
「仕事が早めに終わったのでカフェに寄ってみたら、明子さんがひどく慌てていた。軍服を着た男女二人組に連れていかれたと」
常連客の誰かが目撃したのかもしれない。カフェのある場所ではほとんど軍人を見ないため、目立っていたのだろう。
「明子さんにお礼を言わないと」
「そうだな。常連客の先生方も慌てていたから一緒にお礼をした方がいいかもしれない」
それもそうだと頷いた。隆臣は息を大きく吐くと、顔を上げて背筋を伸ばした。
「宇根元隊長」
日菜子に話しかけた時とは違い、冷ややかな声で茫然としている宇根元の名を呼んだ。
「た、隆臣。これはだな」
「言い訳は結構。俺はきちんと言いましたよね?」
「あー、聞いたような、聞いていないような?」
宇根元は視線をやや隆臣から外して、とぼけた。その態度から、わかっていてやったのだと理解する。隆臣が口を開く前に、日菜子が心配そうに聞いてきた。
「そう言えば、ついさっき聞いたのだけども。隊長様はどうやら隆臣さんが穀潰しにならないようにと、心配されているみたい」
「……穀潰し?」
「おい、ちょっと待て! そんなことは一言も」
慌てて宇根元が否定する。だけど日菜子はしれっと先ほどのやり取りを説明した。隆臣は聞いているうちに徐々に険しい表情になっていく。
聞き終わった後、ひどく冷えた視線を宇根元に向けた。
「どうやら俺の予想の範囲を超えていたようだ。それほど俺が邪魔な存在になっているとは思っていなかった」
「そうじゃないんだ。お前だって、この部隊の問題点を知っているだろう? それをだな、少しでも」
「部隊の問題と俺の結婚の問題は関係ないはずだ」
「う、そうなんだが。でも確かに、清水家からの援助はとても大きなものだった。同じだけを欲しいと思っても仕方がないだろう?」
わたわたと言い訳をするが、どれもこれも身勝手なものばかり。
隆臣は首を左右に振った。
「それならば、まず宇根元隊長の奥方の実家から援助をもらってください。それから部隊の既婚者の配偶者の実家にも同じように援助要求を。そこまで実行したのなら、配偶者の家からの援助が必要だと、考えを改めます」
「無理を言うな」
「その無理を通そうとしたのが宇根元隊長では?」
これ以上の話し合いは無駄だと思ったのか、隆臣は日菜子の手を握ると扉に向かって歩き出した。日菜子は特に文句を言うことなく、自然と彼に寄り添う。今度は引き止められることなく、執務室から出ることができた。
「こんなことに巻き込んで、すまなかった」
「ううん。わたしも余計なことを言い過ぎたかも」
イラっとして、最大限に言い返してみたものの、すっきり晴れ晴れとした気持ちになるのは日菜子だけだ。この組織の中で仕事をしていく隆臣にとっては仕事の同僚との間に確執を生んでしまっただけかもしれない。
「問題ない。そもそも、俺の婚約について口を出すことなど、本来は不敬だ。しかも援助がなくなるから? 理由にもならない」
吐き捨てるような呟きに、日菜子はそれ以上言わなかった。その代わり、ずっと気になっていたことを口にする。
「隊長さんのお名前、宇根元さんでよかったかしら? 名乗られなかったから、知らないのよね。ああ、そうだわ。わたし、名前も聞かれなかったわね」
「……知らなくていいんじゃないか?」
紹介されていないと言えば、ますます眉間にしわが寄った。
さらに余計なことを言ったかもしれないと思ったが、もういいかと、思い直した。




