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ちょっとした遭遇


 珍しいことに今日は客入りが少ない。いつもなら学者たちがわんさかといるのだが、今日は重要な会議があるとかで、お昼を過ぎると客は誰一人いなくなってしまった。当然、カフェも開店休業状態。


 開けておくのももったいないからと、店は早めに閉めることになった。帰り支度をしていると、真理が声を掛けてくる。


「ねえ、甘味処に寄っていかない? ちょっと気になるお店ができたの」

「久しぶりでいいわね。でも、少し用事があるのよ」

「用事?」


 真理は身なりを整えながら、説明を促した。


「お祖父さまに注文しているお菓子を取ってきてほしいと頼まれているの」

「あ、もしかして美園屋さん?」


 菓子屋の名前を言われて、頷いた。


「ええ。お祖父さまのお気に入りなの」

「それなら、お遣いを終えてから、甘味処に行きましょうよ」

「真理がそれでいいのなら」

「じゃあ、早く行きましょう!」

 

 日菜子たちは店を出ると、中央の道から一本奥の道に入った。ここにも老舗が店を構えているが、こちらは常連客が良く足を運ぶ。


 専門店が建ち並ぶ中、いつも購入する美園屋に入っていった。店は少し大きめで、伝統的な菓子だけでなく、珍しい異国の菓子も置いてある。


「こんにちは。藤原です」


 店の奥へと声を掛ければ、すぐに美園屋の主人の妻が出てきた。顔なじみのその人は日菜子を見ると、笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ。日菜子お嬢さま、お久しぶりですね」

「ええ。今日は祖父の注文した品を取りに来たの」

「ご用意してありますよ。ちょっと待ってくださいね」


 そう言って、美園屋の夫人は奥に戻っていった。準備ができるまでの間、二人は店の中を見て回る。目新しい菓子があれば、一緒に購入しようと一つ一つに目を向けた。


 花や手毬を模った美しい練り切り、小さめに作られた焼き菓子、他にも美しい金平糖など飴類も置いてある。


「どれもこれも美味しそうね。わたしも何か買っていこうかしら?」

「焼き菓子や飴は日持ちするわよ」


 今まで食べた菓子の感想を真理に伝えているうちに、美園屋の夫人が戻ってきた。風呂敷に包み、日菜子に手渡す。


「お茶で頂くのも美味しいですが、紅茶でも美味しいですよ」

「紅茶、ですか?」


 日菜子は真理と顔を合わせる。真理もまだ紅茶を飲んだことがないらしく、首を小さく左右に振った。


「種類は少ないですけれど、珈琲よりも飲みやすいようです。珈琲が苦手な方が紅茶をお好みになりますね」

「そうなのですね」


 店で扱っているから珈琲を飲む機会が多いが、紅茶はない。同じお茶ならば、緑茶に手が伸びる。曖昧に頷けば、美園屋の夫人は心得ているというように笑った。


「少し試してみてください。きっと好きになりますわ」

「でも」


 美園屋の夫人は断りの言葉を言う前に、二人に小さな紙袋を手渡す。


「淹れ方のメモが入っていますわ。気に入ってくださったら、是非ご購入を」

「もう、商売上手なんだから」


 そんな世間話をしていると、美園屋の夫人は少しだけ声を小さくした。


「そう言えば、お嬢さん方は最近少し物騒だというお話、聞いていますか?」

「え?」


 初めて聞く話に、瞬いた。美園屋の夫人は手を頬に当て、首をかしげる。


「夕暮れ時になると、黒い靄がこう地面から這いあがってきて」


 そう言いながら、手をひらひらさせて下から上へと移動させる。その様子が何とも薄気味悪い想像と重なって、口元が引きつった。真理も怖かったのか、日菜子の側に寄ってくる。真理は真剣な顔で美園屋の夫人に訊ねる。


「怪談話なのでしょう?」

「違いますわ。わたしも実際に見たわけではないのですが、何人かのお客様が遭遇したとかで」

「え!? 実際に目にした人がいるという事?」


 美園屋の夫人は小さく頷いた。そして、声を潜める。その沈み切った表情がまた嫌な想像を掻き立てる。


「大きいものだと足首をすっぽりと隠してしまうようで。ひんやりとした節くれだった手のようなものに掴まれている感覚だとか」

「そういう話、わたし駄目なのよ!」


 真理が小さな悲鳴を上げた。日菜子は怪談話を怖いと思わないが、真理は違うようだ。顔色を悪くして、震えている。安心させるように、彼女の腕をポンポンと叩いた。


「真理、大丈夫よ。ここは帝都よ。心配いらないわ」

「あら、日菜子お嬢さんは怖くないのですか?」

「人を害するほど大きくなるとは思えなくて」


 以前、隆臣に聞いた話を思い出しながら肩を竦める。小さな靄は見たことはあっても、帝都の守りがある限り、あれが大きく育つことはないはずだ。

 確かにと美園屋の夫人は笑った。


「でも、お気をつけてくださいまし。警戒心はあり過ぎることはないのですから」

「お気遣い、ありがとう」


 二人は紅茶のお礼を言って店を後にした。真理は青い顔をして、日菜子にピタリと体を寄せて歩く。その怖がりように、安心させるように彼女の背中を撫でた。


「ああ、怖かった。あの話、本当なのかしら?」

「お客様から聞いたと言っていたから、本当かもしれないわね」

「ええ?! さっきは違うと言っていたじゃない。日菜子も怖いこと言わないで!」

「真理は怖がりね。心配なら護符をあげる」


 日菜子の申し出に、真理はぱっと顔を輝かせた。


「いいの?」

「ええ。でも見習いの護符だけどね」

「日菜子が作ったのでしょう? 嬉しいわ!」


 嬉しそうに笑う真理に、日菜子も思わず微笑んだ。手持ちの鞄からお守りを取り出し、真理に手渡す。


「ごく一般的な魔除けだけど。気休めになるわ」

「素敵な柄ね。お守り袋、日菜子が作ったの?」

「可愛らしいのが欲しくて」


 二人はあれこれと色々な話をしながら目的の甘味処へと向かって歩いた。真理と話すのはいつも楽しい。

 ふと、視界に見知った顔を見つけて足を止めた。


「綾乃さん?」


 少し離れた場所にこちらに背を向けているのは間違いなく綾乃だ。いつもなら洒落た柄の着物を着ているが、今日は落ち着いた紺色の着物。目に留まったのが不思議なぐらい、いつもの華やかな様子が鳴りを潜めている。


 あちらは気が付いていないのか、日菜子を見ることなく女性と話し込んでいた。綾乃とは対照的に華やかな着物を身につけ、透き通った水色の着物地に描かれた白い花がとても美しい。艶やかな黒髪は半結びにまとめられ、着物と同じ水色のリボンが結ばれていた。


 遠目からもはっきりとわかるほどの美しさに、日菜子はなんとなく目が離せなくなった。綾乃に気が付かれたくないと思いながらも、どうしても目が逸らせない。


「どうしたの?」


 突然足を止めた日菜子に、真理が振り返る。日菜子の視線の先にいる二人連れを見て首を傾げた。


「あの方、清水のお嬢さまじゃない」

「清水?」

「ええ。皇族の分家のお嬢さまよ」


 同じ苗字、そして皇族。日菜子は直接会ったことはなかったが、一人だけ思い当たる人がいる。ただそれが隆臣の前妻であるかまではわからない。隆臣の口から前妻の容姿を聞いたことがなかったので、余計に。


「知っているの?」

「ちょっと縁があって。悲劇の人とも言われているわね」


 病弱で、皇族の血を引きながら神力をほとんど持たない悲劇の女性。

 時折、皇族にはそういう体質の姫が生まれるらしい。


 間違いなく、隆臣の前妻だ。


「……よく知っているのね」

「まあね。わたしの神力の色が似ているとかで、子供の頃、お屋敷に上がったことがあったのよ」

「お屋敷に?」


 思わぬ繋がりに、目を丸くする。真理は肩を竦めた。


「当時は両親はすごく興奮していたわね。ご友人に選ばれたら、それなりに箔がつくし。でも、何度か顔合わせをしたけど、気に入らないとかで拒否されてしまったのよね。他にも何人か同じような理由でお屋敷に連れてこられていたわね。結局、気に入った人はいなかったみたいだけど」

「すごく意外。真理のご両親、そういうこと気にしない人だと思っていたわ」

「今はね。そもそもわたし程度で高位貴族と繋がろうなんて無茶だと思い知ったのよ」


 辛らつな言葉を並べながらも、いつもと変わらない朗らかさ。毒を吐いていても毒に聞こえないのは真理の人柄だろう。


「あれ? でも隣にいる女性、カフェに押し掛けてきた女性よね?」


 一度会ったことしかないのに、よく覚えている。日菜子は隠すことでもないので小さく頷いた。


「そうね。繋がりが不明だけど」

「見ている感じ、側仕えのような雰囲気ね」

「側仕えをしていたなんて、聞いたことはなかったけど……」


 綾乃の生家のことは知っているが、何か仕事をしていたとは聞いたことがない。そこまで思い返して、綾乃についてもさほど知らないことに気が付いた。


「今は縁が切れているのでしょう?」


 あっさりとした言葉に頷く。父親の後妻であっても、今はもう縁がない。


「じゃあ、つまらないことはここまで。さあ、甘味処に行きましょう」


 真理は日菜子を引っ張るようにして歩き始めた。

 

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