第64話 作戦開始 その3
網の目を縫うようにトットラの街に吹き抜ける乾燥した突風に思わず小梅とノイエは腕で顔を覆ってしまった。
陽が落ちた事で熱が奪われ、刃物のように鋭さを増したその突風は盆地に良く見られるフェーン現象から生み出された風で、東西が山に囲まれた盆地に作られた街、トットラの特徴の1つだった。
まるで街を守るようにせり上がった2つの山──
ラノフェルがルシアナの監禁場所としてこの街をチョイスしたのは防御に適した地形だったからかも知れないと風を全身で受けながら小梅は思った。
『大丈夫か小梅』
『うん、平気』
小梅の前を行くノイエがそう小隊会話で問いかけた。
まるでビル風のように建物と建物の間を突き抜けてくる突風は、ノイエ達にとって行く手を阻む障害以外の何者でもなかった。
『脱出経路の確認をしてさっさと戻りたいけどね』
『確かに』
ノイエと小梅が教会を離れ、こうして街中を警戒しながら進んでいる理由はそれだった。
ベヒモスメンバーに発見される事無くルシアナとラノフェルの身柄確保が出来れば問題は無いが、発見され、彼らに追われながら東に脱出せざるを得なくなる可能性はある。むしろその可能性の方が高い。
となれば、脱出経路は開けた道を進むのではなく、街の北側に広がる家屋を遮蔽物として活用しながら東へと抜ける必要が出てくる。MAPを見ながらサポートする仲間が居なく、さらに土地勘が無いこの街では事前にルートを確認しておかないと退路を絶たれ、包囲されてしまう危険性がある以上、現場での具体的な脱出ルートの確認は必須事項だ。
ノイエはそう考えていた。
『しかし、こうやって2人で居るのはなんだか久しぶりだな』
『あ〜、そうね』
ノイエと最後に戦場のフロンティアをプレイしたのはこの世界に来る前だったっけ。なんだかすんごく昔のような気がする。
ノイエの言葉に小梅はそう返した。
『悠吾くんといい感じじゃないか』
「……ぶっ!」
何の前触れもなくそう言い放ったノイエに思わず小梅が吹き出してしまった。
『な、何なのよ急に』
『いや、小梅が僕以外の男と一緒に居るのがどうもむず痒くてな』
『……てかこの会話、悠吾達に聞こえて無いよね!?』
向こうは生きるか死ぬかの緊張状態で教会に潜入してる。そんな中でこんな会話をするのは不謹慎極まりないけど、さらに悠吾に聞かれたら生き地獄だわ。
『大丈夫だ。悠吾くんとトラジオさんへは聞こえないようにしている』
『……そんな機能があったんだ』
知らなかったわ。
作為的に会話をそらすようにそう言った小梅だったが、周囲を警戒しながらノイエが続ける。
『はぐらかすな小梅。僕はどっちかというと嬉しい』
『う、うるさい! 妹の交友関係にいちいち首を突っ込まないでよね!』
このシスコン兄貴、と唇を尖らせる小梅。
だけど、ノイエがそう思うのも仕方がないとも小梅は思っていた。
これまで何をするにも一緒だった。ノイエがやることを真似て、ノイエの後ろをずっと追いかけていた。
たぶん依存してたのはあたしの方だと思う。これまではノイエが居ないと不安でたまらなかった。
だけど、悠吾に出会って、そしてあのベルファストの村で突き放す様なメッセージをノイエに貰って、あたしの中で何かが少し変わった気がする。
それに、ぞんざいな対応をしていたあたしに悠吾はノイエと同じように見捨てる事もなく、傍に居てくれた。
そうだわ。少しノイエに似ているのかもしンない。悠吾。
『恋は強敵だからな。いつでも相談に乗るぞ小梅』
『相談なんかしないわよっ! くだらない事言ってないで周囲警戒っ!』
ノイエの尻を蹴飛ばさんかという勢いで小梅がまくし立てる。
ほんとに伝説のオーディンメンバーだったのか判らなくなってきたわ。
そう吐き捨てる小梅に笑顔を浮かべるノイエだったが……ふと前方の1点を見つめたまま身を強ばらせた。
『……ノイエ?』
『静かに』
先ほどまでくだらない事を言い放っていた男だと思えないくらいに瞬間的にノイエの表情が豹変した。
その「モード」に入った事が小梅には判った。
そしてその「モード」に入ったノイエの恐ろしさを小梅は知っている。
『……前方10メートルって所だ。来い、小梅』
壁面に背を付け、ゆっくりとM249 SPWのコッキングレバーを下げ、射撃体勢を整えた後にノイエは壁伝いに歩き出した。
視界には捉えていないものの、ノイエにははっきりと敵の姿が見えていた。
それは視覚ではなく聴覚で捉えた敵の影。
吹き抜ける風に乗り、ノイエの耳に届いたのは小さい声だった。
ベヒモスメンバーと思われる数人の会話。
『……居たわ。茂みの中』
動いて居なかった為に「リーコン」に映らなかったのね。
ノイエが言うとおり、前方10メートル付近でまるで罠にかかる獣を待っているかのように身を潜めているプレイヤーらしき数名の人影が見えた。
『西に向かったはずのプレイヤーだね』
『だけど、西に向かうどころか全くの逆方向でなに芋ってんのこいつら』
「芋る」とはFPSなどにおいて、仲間の戦力にならず「芋虫」のように一定のポイントで全く動かないプレイスタイルの蔑称だ。
西側からは今だセントリーガンの射撃音が街中に響き渡っている。なのに、西側の制圧に向かうどころか関係無い東側に潜むなんて。
『……きな臭いな』
彼らの姿を見てノイエが小さく吐き捨てた。
『どういう意味?』
『彼らはラウルのトップクラン……それもクランで上位に位置する猛者達だ。その彼らが意味もない所で潜む理由が無い』
それに西側から攻撃を受けている今、氷の貴紳の2つ名を持つ策略家のラノフェルが無駄な潜伏を命令するはずは無い。
『……ひょっとして向こうに全部バレてる?』
『かもしれないね。西に向かうと思わせ、メンバーの一部を脱出経路になる各所に配置しているのかもしれない』
『なんで!?』
作戦を知っているのはごくわずかのはず。
内通者が解放同盟軍の中に居たとしてもこの作戦は知らない──
そう考えた小梅の脳裏に1つの答えが浮かび上がった。
『まさか、風太が……?』
『その結論は早計だよ、小梅』
確かに僕達の他にこの作戦を知っているのは風太だけだ。
だけど彼は解放同盟軍の初期メンバーと言ってもいいプレイヤーの1人だ。その彼がラウルに通じているとは考えにくい。
『……ま、誰が奴らに繋がっているかはおいおい調べればいいわね』
『そうだ。今は脱出の障害になる彼らを処理する事が先決』
そう言ってノイエはホルスターから米国コルト社が開発したハンドガンM1911を小型に改良した「デトニクス・コンバットマスター」を取り出すと、銃口に消音器を装着した。
教会内ではないここで彼らを倒す事は攻撃が始まった今、逆に有利に動く可能性が高い。倒されてマイハウスに戻った彼らは、僕達が教会ではなく街の掌握に動いているとラノフェルにメッセージを送る可能性があるからだ。
『遠慮は無しだよ、小梅。全員倒す』
『……了解』
ノイエの考えが理解できた小梅もまた、クリスヴェクターの銃口に消音器を装着する。
シンプルな方法があたしも得意だ。あーだこーだ考えずに脳天を撃ち抜けばいいわけだからね。
ノイエに小さく返事を返した小梅がするするとノイエと逆側の建物の影に身を潜める。
作戦は至ってシンプル。
両翼からの挟撃だ。
その4も本日18時にアップです!