第十四章 王者のプライド、五人だけの挑戦者
「決まった!やはり天野のフックは相馬でも止めるのは無理か!」
「さっきは北条がフェイドアウェイを決めて、今度は天野が決めた。お互いに一歩も譲らない気だ!」
体育館の熱気がヒートアップする。してやられた相馬は拳を握り締め、無言で立ち尽くす。高村が何か言おうとした一瞬先に、久保の声が響いた。
「気にするな!相馬、お前はよくやっている!こういう時こそ、自分を信じることが重要だ!つぎはきっちりブロックして、お前こそナンバーワンセンターだと思い知らせてやれ!」
「はい!」
意気消沈していた相馬が目を輝かせて走り出した。
「相馬さん、久保監督の言葉で気持ちを切り替えましたね」
由真がハラハラしながらコートを見守っている。
「さすがは常勝軍団を率いる名将ね。でも、さつきが決めたのは大きいわよ。いまは焦らず、食らいついていけばいい」
真琴は落ち着き払っている。麻生からパスを受け、鬼神のマークをかいくぐって服部がスリーを打った。リングにはじかれ、リバウンドを制したのは雅和。
「よーし、速攻!流れを呼び込むぞ!」
客席から関本がひときわ通る声で叫んだ。
いち早く走っていた鬼神に、雅和がボールを渡す。力強くコートを蹴り、左手を高く掲げた。
「もらったあ!」
得意のダンクが炸裂した、誰もがそう思った。しかし、長い腕が伸び、ファールすれすれでボールを弾いた。「な!?」
着地した鬼神が驚愕の表情を浮かべている。ダンクを防いだ相馬が鬼の形相で鬼神を睨みつけた。
「俺を舐めるなよ!相手が誰だろうと、ゴール下で好きにはさせん!」
怖いもの知らずの鬼神が圧倒されるほど、相馬の声には迫力があった。さらに、自分のダンクが防がれるなど、今までの経験にない。負けじと鬼神は相馬を睨んだが、相手の目が血走っているのを見て、視線を逸らしてしまった。
「お前のミスじゃない。向こうはさつきと対等にやりあえるセンターだ。まだ前半、勝負どころでのダンク、期待してるぞ」
幻舟が鬼神の肩を掴んで諭した。頷いた鬼神だが、じっと自分を睨んでいる相馬と目を合わせられない。(しっかりしろ!気持ちで負けてどうするんだよ!)
自分に言い聞かせる。さつきがボールを入れ、幻舟が腹から響く声で指示した。
「じっくり時間を使って確実に決めるぞ!ここで離されるわけにいかない!動き回ってマークを外してくれ!」
さつき、鬼神、雅和、小太郎がフリーの状態を作るべく、素早く足を動かす。いち早く高村を振り切った鬼神に、幻舟のパスが通る。そのままミドルシュートを打ったが、高村の手がぶつかり、審判の笛がなった。「ディフェンスファール、ツースロー!」
金田と堀川が苦笑した。
「高村のやつ、手段を選ばないな」
「これでファール二つ目か。問題はこのあとだが……」
フリースローラインに立ち、鬼神がシュートを打つ。が、入らない。二本目もリングに嫌われ、リバウンドは相馬が奪った。
「あれあれ、岩倉ちゃん、どうしたの?こんな大事な場面でフリースローを外す選手じゃないでしょ?」
桑谷がディフェンスに戻る鬼神を見つめるが、その表情は焦燥感に満ちていた。
「さっきのダンクを相馬に弾かれたのがショックだったんだろうが、引きずるのはよくないな」
槙原の口調は落ち着いている。麻生が相馬にパスを出し、受け取ったスキンヘッドのセンターはさつきを吹き飛ばし、ダンクを決めた。
「ディフェンスプッシング、カウントワンスロー!」
尻餅をついているさつきを見下ろし、相馬は低い声でつぶやいた。
「これでさっきの借りは返したぞ。だが、そんなことはどうでもいい。俺たち藤森が、最終的にお前らを倒すこと。それが最強軍団の使命だ」
あまりの迫力に、さつきは言葉もなかった。相馬は冷静にフリースローを決め、藤森の応援席はどっと沸いた。
長い前半が終わった。 スコアは四八対四二。藤森の六点リードは多くの観衆が予想したとおりだ。 両軍のメンバーは控え室に戻り、給水しつつタオルで汗をぬぐった。 青雲の五人に元気がない。少しだけためらったあと、真琴は幻舟に質した。
「どう?膝に問題はない?」
「プレーに影響する痛みや痺れはありません。それより、相手が亮一とはいえ、ダブルエースと小太郎を生かせなかったことが問題です。せっかくさつきがフックを決めてくれたのに」
「何言ってんだよ!」
鬼神が大声で怒鳴った。
「俺なんか、認めたくないがダンクを相馬に防がれたショックでフリースローを二本とも外しちまったんだぞ!だけどな、お前らが許してくれても俺は自分を許さない!必ず、後半はガンガン得点してみせる!幻舟、誰がなんと言おうと高校界ナンバーワンガードはお前だ!相手が亮一だろうが誰だろうがお前を完全に止められる奴はいない!ドリブルで藤森のディフェンスをズタズタにしてアシストを決めろ!それができるのはお前だけだ!」
一気に鬼神がまくし立てる。さつきと真琴が視線を合わせ、無言で頷いた。そう、このどこまでも強気な鬼神のムードメーカーぶりで何度も青雲はハードルを乗り越えてきた。そして、もうひとりの怖いもの知らずがいる。
「小太郎、お前もシューティングガードならもっと大杉さんをサポートしないと!高さでは負けてもお前のクイックモーションには簡単に相手も対応できんじゃろ!リバウンドはわしらが確保するから、どんどん打っていけ!」
雅和が顔を真っ赤にして小太郎の肩を叩く。これよ、これ。真琴は、逆境になればなるほど鬼神と雅和がムードを上げ、理性的な幻舟、さつき、小太郎の闘志に火をつける役割をになっていることを理解していた。「作戦に変更はないわ。ただ、高村が二つファールを犯したことは嬉しい誤算ね。エースキラーといえども、鬼神を止めるのは簡単ではないということ。小太郎、雅和が言ったとおり、スキあらばスリーを打ちなさい。流れを持って来れば、六点差なんてどうということはないわ。ただ、ペース配分には気をつけて。幻舟、亮一も神経をすり減らしているはずよ。後半こそ、あなたのアシストで試合をひっくり返す。泣いても笑ってもあと二十分。力を出し切りなさい!」
いつものように真琴が気合を入れ、五人は控え室を後にした。 藤森の部屋にはスタメンの五人を含め、控えのメンバーも緊張の面持ちだ。久保は腰に手を当ててメンバーを眺め渡した。
「まず、計算通りだな。しかし、高村が前半で二つもファールを取られるなど、今までになかった。岩倉鬼神、彼の攻撃力は本物だ。なにより、麻生をマークする岸川の存在が不気味だ。少しでも油断したらスティールする上に、まだ前半でスリーを決めていないところを見ると、後半のカギを握るのはあの小さなシューターだろう。北条、言うまでもなくお前がうちのエースだ。大杉の膝は必ず限界に来る。一気に突き放してやれ」
亮一は頷いた。
「服部が連続でスリーを決めて、警戒してくるはずだ。無理に外から打たず、ミドルで確実に得点しろ。ただし、青雲の底力はわたしにも計り知れない。リードしていることは忘れて、どんどん攻めていけ。王者の実力を見せつけてこい!」
相馬たちは椅子から立ち上がり、気迫に満ちた表情でコートに向かった。
「永岡くん、ここまでの感想は?」 遠藤に水を向けられて、久美子は慎重に言葉を選んだ。
「藤森が王者の貫禄を見せつけましたが、バスケで六点差は十分逆転可能な範囲です。心配していた大杉選手の膝も今のところ問題は見当たらない。前半でゴールを量産できなかった北条、岩倉のエースが本領を発揮するか。それが勝負の分かれ目になる気がします」
久美子の体が一回り大きくなったように、遠藤は感じた。スポンジが水を吸収するように、どんどんジャーナリストとして成長している。何も言わなかったが、遠藤は久美子の存在を頼もしくすら思っていた。
両軍の選手がコートに戻ってきた。いよいよ残り二〇分。男子バスケット、高校王者を決める決勝も大詰めだ。体育館は空調が壊れているのではないかと思うほど熱気に包まれている。 さつきがボールを幻舟に渡し、青雲の攻撃が始まる。藤森は前半と変わらず、ハーフのマンツーで対応してきた。
「青雲のオフェンスは大杉さえ封じれば怖くない!この点差を広げて、俺たちがナンバーワンだと相手に思い知らせるぞ!」
高村がキャプテンらしくメンバーを奮い立たせる。もちろん、青雲も負けていない。
「幻舟!あなたが亮一に抑えられたら、それはうちの敗北を意味するわよ!相手は二年生、しかもフォワード!自信を持って!一体一であなたが負けるはずがない!」
真琴が高村を圧倒する声量で怒鳴り散らす。百戦錬磨の槙原と桑谷が顔を見合わせて苦笑した。
「長谷川監督、本気で藤森を倒すつもりらしいな」
「見せてもらおうじゃねえの?あの人が信頼する大杉がどんなプレーをするか」
幻舟は視線をぴたりと亮一に合わせたまま、ドリブルをしている。かたや五人しかいないインターハイで実績のないチームの司令塔。かたや一年から名門のレギュラーに選ばれ、天才と呼ばれる逸材。 ふっと息をつくと、幻舟は右手でドリブル突破を図った。亮一は必死に食らいつく。と、幻舟は股下でボールを通した。(クロスオーバーか!)
同じ手は食わない。亮一は冷静にボールの動きを目で追った。 だが、幻舟はその場でジャンプシュートの態勢に入った。腰を落としていた亮一は完全に裏をかかれた。模範的なフォームで幻舟はミドルシュートを打つ。ボールはリングにかすりもせず、ネットに吸い込まれた。
「さすが大杉!あの北条が反応できなかった!」
「これで青雲が勢いに乗るか、藤森がやり返すか!」
スタンドの歓声はどんどん大きくなる。久保がベンチから指示を飛ばした。
「自分のプレーを見失うな!こういう局面でこそ精神力が物を言うはずだ。それぞれがやるべきことをこなせば結果はついてくる。じっくり二四秒使って突き放せ!」
真琴とは対照的な、理知的で抑制のきいた声だが、それが相馬たちを落ち着かせる。麻生はゆっくりとボールを運び、身長差を生かして高村にパスを通した。雅和が立ちふさがる。藤森のキャプテンはシュートを打つふりをして雅和が飛んだその横を鋭いドリブルで抜き去った。
(フェイク!)
真琴が唇を噛んだ。高村はゴール下に切れ込むと、力強くジャンプしてダンクの態勢に入った。「伊達に藤森のキャプテンやってねえんだよ!」
鉄壁のディフェンスだけではない。普段はクールな高村がこの大会で初めてダンクを決める、誰もがそう思った。 長くしなやかな腕が伸び、ファールすれすれでボールを弾く。
(嘘だろ……!)
着地して高村が振り向くと、ブロックしたさつきがにこりともせずつぶやいた。
「僕も青雲のセンターです。甘く見てもらいたくないですね」
こぼれたボールを拾ったのは鬼神。すぐに幻舟に渡して攻撃に移る。
「なんだが後半もすげえ展開だな」
堀川が額の汗をぬぐった。金田も息詰まる攻防に圧倒されている。
「相馬をきっちりマークしていたはずなのに、あっさり高村のゴールを防いだ。スピード、柔軟なプレースタイル、的確な判断力。天野さつき、間違いなく高校最高クラスのセンターだ。しかし、相馬もこれで燃えてくるぞ」
幻舟は亮一のマークにあいながら、真琴に負けじと声を張り上げる。
「この一本は大事に行くぞ!続けてゴールを許せば、藤森とも言えど、精神的にきついはずだ!集中を切らすな!」
亮一は慎重に幻舟との距離を取っている。近すぎればドリブルで突破、遠すぎれば簡単にシュートを決められる。
(同じ失敗は繰り返さない!僕がこの人を止めなければ……!)
天才の気迫は幻舟にも針のように突き刺さってくる。同時に、言い知れぬ高揚感を感じていた。 思えば、亮一がいなければ全中の優勝はなかった。頼もしかった後輩が、名門のエースとしてプライドをかけて必死のディフェンスをしている。
(バスケをやってて、本当に良かったよ。まさかお前と対戦できるなんて夢を見てるみたいだ。しかし、俺は負けない!お前たちが王者として敗北を許されないように、俺はガードとしてゲームを作る責任があるんだ!)
幻舟は亮一の隙を伺った。ここで、一瞬だけドライブを警戒した亮一の足が開いた。
(行ける!)
なんと幻舟は亮一の股間を抜く、強烈なパスを出した。ボールは大きな音を立ててコートを跳ねる。受け取った鬼神がシュートのモーションに入った。
「これ以上好きにさせるか!」
高村がブロックに飛ぶ。鬼神は空中で上半身をひねり、服部のマークを外した小太郎にボールを託す。受け取った小太郎はノーマークの状態でスリーを打った。心地よい音とともにネットが揺れる。
「すげえ、青雲の連続ゴールだ!」
「ついに岸川のスリーポイントが炸裂したな!」
「これで一点差、わからなくなったぜ!」
スタンドのどよめきがヒートアップする中、アナウンスが響いた。
「チャージドタイムアウト、藤森」
ベンチに引き上げた高村たちを、久保はいつものように冷静にたしなめた。
「北条、何を気負っている?相手は高校界ナンバーワンガード、お前の力量を持ってしても簡単には止められない。わかっているはずだがな」
亮一は何も言い返せない。明らかに力みすぎていたことは自覚していた。
「高村、なぜあの場面でダンクに行く必要がある?お前ほど視野の広い選手なら天野がブロックしてくるのを察知できたはずだ」
藤森の四番もうつむいた。久保はいかなる危機においても怒鳴ったりしない。静かな口調は、しかし、的確に選手たちの肺腑に突き刺さる。
「マッチアップを変える。麻生、お前が大杉につけ。高さで劣るといっても、たかだか数センチだ。そうそう上からパスは通るまい。北条、西園寺に気をつけろ。単純にリバウンドのセンスなら彼は相馬や高村に匹敵する。きっちりスクリーンアウトして制空権を握らせるな」
「はい」
亮一がうなずくと、久保はメガネの縁を上げた。
「ここで逆転を許したら一気に相手のペースになる。王者なら、まずは一本確実に決めてみせろ。本当の敵は青雲ではない。自分自身だ。それを忘れるな」
「はい!」
五人は気合充分といった表情でコートに戻った。 遠藤が難しい顔をしている。
「一見、青雲が流れをつかんだように感じるが、藤森の怖さはここからだ。エースの北条がエンジン全開で来ると、一人で彼を止めるのは不可能に近いな」
久美子は食い入るようにコートを見つめている。 相馬がボールを麻生に渡し、すぐに亮一にパスを出した。幻舟の厳しいマークにあいながら、藤森のエースはチャンスを伺う。ドリブルで突破と見せかけて、亮一は一気に後ろに下がった。スリーポイントラインに立つと、クイックモーションでシュートを打つ。
(しまった!)
幻舟が歯噛みした。服部だけでなく、この男も外から打てるのだ。ボールは弧を描いてリングに吸い込まれた。
「来た、北条のスリー!」
「お互いに譲らない気だ!また四点差、わからないぜ!」
ベンチの由真がハラハラしている。
「北条さん、気合充分ですね」
「ええ、幻舟に二度もやられて、天才のプライドをかけて今のスリーを決めた」
真琴はじっとコートを見つめている。
(向こうには外角のシューターが二人いる。こっちは小太郎だけ。これ以上、服部は好きに打たせてくれない。なら)
さつきと鬼神がゴール下で動き回って幻舟のアシストを引き出そうとしている。
(ここ一番で頼りになるのはあなたたちよ。ダブルエースなら、自分の怖さを見せなさい……!)
幻舟が鬼神に強烈なパスを入れる。高村が両手を広げてシュートコースを塞いだ。鬼神は幻舟にボールを戻すと、高村を振り切ってゴール下に切れ込んだ。阿吽の呼吸で幻舟がリングの上にボールを飛ばす。相馬がブロックに飛んだ。
「さっきの借りは返す!」
鬼神は相馬の頭越しにダンクを決めた。二メートルの巨体が吹っ飛び、笛が鳴った。
「ディフェンスハッキング、カウントワンスロー!」
尻餅をついている相馬に、鬼神は低くつぶやいた。
「おい、青雲のエースはさつきだけじゃねえ。俺を甘く見るな。こっちも修羅場をくぐってきたんだからな」
相馬は歯ぎしりするが、自分より小さな鬼神にやられて、何も言えない。 鬼神は冷静にフリースローを決めた。高村と一瞬、目が合った。エースキラーも鬼神の身体能力と幻舟とのコンビプレーに対抗手段を見いだせない。
「岩倉選手、さすがですね」
「恐ろしい奴だ。大杉と天野が理性的にプレーするのに対して、彼は闘志を前面に出す。それでいて、自分をコントロールできるのだから、相手は止めるのが非常に難しい」
久美子と遠藤の視線が鬼神の背中をおっている。青雲の背番号六番が、ひときわ大きく映った。
その後は一進一退の攻防が続いた。相馬が近距離から決めれば、さつきがやり返す。高村がミドルを沈めると、鬼神が点差を詰める。双方、スリーポイントを打たず、確実にフィールドゴールを量産した。 エース、亮一が芸術的なレイアップを決めて再び三点差。残り一八秒。青雲は幻舟がじっくり時間をかけてドリブルし、一瞬の隙を突いて鬼神にパスを出す。何度もやられた高村が必死の形相でシュートコースを塞ぐが、ゴール下に走りこんでいた雅和に鬼神はあっさりボールを渡した。なんなくネットが揺れ、笛が鳴る。ついに第四クオーターを残すのみとなった。だが、異変が起こった。幻舟が右膝を抱えてコートに倒れている。審判が駆け寄った。
「タンカを用意しますか?」
「大丈夫ですよ」 真琴が冷静に応じた。
「さつき、鬼神。悪いけど、幻舟をベンチまで運んで」
右腕をさつき、左腕を鬼神にあずけて青雲の大黒柱はなんとかベンチに座ることができた。
「すまない、二人とも」
「何言ってやがる。お前がプレーできなかったら試合にならないだろうが」
こんなピンチでも鬼神のムードメーカーぶりは健在だ。白石が幻舟にシューズとソックスを脱がせ、丹念に指で傷だらけの膝周り、ふくらはぎ、アキレス腱とかかとを診察する。
「どうです、幻舟の脚は?」
「俺の西洋医学の腕なんて知れてるからな。ざっと触っただけだが相当消耗している。痛みを抑えるツボを押したから、あと一五分はなんとかなるだろうが、大杉。本当にいいのか?この試合が終わったら、最悪、お前は二度とバスケができなくなるかもしれんぞ?」
幻舟は穏やかに笑った。
「その返答はすでに喜多村先生に伝えてあります。僕の使命はこの大会で優勝すること。それだけです」
「幻舟……」
さつきが唇を噛んでうつむいた。参謀役として幻舟を支えてきたさつきも、今は何もできない。
「だめよ!」
幻舟の脚にすがるようにして大声を上げたのは由真だった。
「わたしの夢は、幻ちゃんが日本代表の司令塔として世界選手権やオリンピックで活躍すること!ここで燃え尽きるのは許さない!日本のバスケを変えられるのは幻ちゃんだけなんだよ!」
普段は温厚な由真が涙することなく、幻舟を見つめている。その視線に臆することなく、幻舟は由真に笑顔を見せた。
「そうだね。この歳で引退は本意じゃないな。でも、今は藤森に勝つこと。それができないようでは、代表入りなんて夢のまた夢だからね」
「うん!」
由真が満面の笑顔を見せた。その様子を、横浜西のメンバーが見下ろしている。
「大杉の脚はどうやらもちそうだな」
槙原がキャプテンらしく冷静につぶやくと、桑谷は右手で顎をつかんだ。
「どっちみち、青雲は一人でも欠けたらその時点でおしまいだからな。ただ、藤森の天才くん、北条が残り十分でどうでるか?今のところ、あいつの得点は一八点。どう考えても最低三〇取るペースには遠い」
「かといって、大杉のマークに手こずったようには見えない。北条がスタミナを温存して、第四クオーターで爆発すれば……」
槙原の視線が藤森のエースを捉えた。
「青雲がダブルチームに行っても、抑え切れる保証はない」
久保は給水している五人に指示を出していた。
「予想通りだな。相手の不幸を望むのは不本意だが、大杉の膝は限界だ。ただ、くどいようだが油断はするな。たとえ大杉が万全でなくとも、青雲の怖さは残りの四人が互いにフォローする点にある。ダブルエースはもちろん、岸川のスリー、西園寺のリバウンド。自分たちの実力を出し切れば、勝利という結果は付いてくる。最後に笑うのが我々だと、思い知らせてやれ」
「はい!」
真琴もシューズを履いた幻舟たちにハッパをかけた。
「向こうが一点リードしているけど、精神的にはきついはずよ。幻舟、あなたの使命は二つ。この試合を勝利すること。もう一つは、由真ちゃんに言われたように、この試合で燃え尽きないこと。オフェンスでは無理に切れ込まずに、アシストでさつき、鬼神、小太郎のゴールを演出して。小太郎、幻舟のパートナーはあなたよ。あたしの指示を待たずに、ヘルプに行くなり、ドリブルで相手をかく乱するなり、持ち味を出しなさい。さあ、青雲が王者を倒して頂点に立つわよ!」
「おう!」
運命の第四クオーターが始まる。
「この大会もあと少しで終わるんですね」
高橋が寂しげにつぶやく。関本も幻舟の膝の状態を知っているだけに、眉を寄せた。
「俺もバスケをやってきて、ここまで白熱した試合を見るのも珍しいな。だからこそ、あいつらが優勝するために声を出すだけだ。違うか?」
「そうです!あの藤森を相手に互角に戦ってきたんだから、大杉たちが負ける姿は見たくない。みんな、最後の十分、死ぬ気で応援するぞ!」
団長の高橋がガラガラになった声を絞ると、五〇名ほどに膨れ上がった応援団がメガホンを叩き、その声援は体育館を揺らすほどだ。 相馬がボールを入れ、麻生がゆっくりとドリブルでゲームを作る。亮一が手を挙げてパスを要求しているので、小太郎の頭越しにエースにボールを渡した。 当然、立ちはだかるのは幻舟だ。スリーを警戒してさほど腰を落としていない。
「ここで倒れないでくださいよ!手負いの獅子を倒しても意味はないですから!」
亮一の挑発に、幻舟はにやりと笑った。
「さすが藤森のエース、でかい口を叩くようになったな!だが、俺をかわしてもうちのゴール下は簡単に崩れないぞ!エンジン全開で来い!」
天才、北条亮一とナンバーワンガード、大杉幻舟のマッチアップに観客はもちろん、横浜西のメンバー、試合を見守るマスコミも血液が沸騰する思いだ。 亮一は右手から左手、ボールを自在に操り、幻舟の隙を伺う。と、ノールックで麻生にパスを出した。ほぼフリーになっていた藤森の司令塔はミドルシュートを打つ。これが決まり、再び三点差になった。
「やはり藤森のシュート精度は図抜けているね。それにしても、いまの北条のパス……」
遠藤は亮一がフォワードでありながらガード並みのスキルを披露したことに感嘆した。
「大杉選手がいくらぴたりとマークについても、あっさりほかの選手が決めてしまう。地力の差でしょうか?」
久美子は額からにじむ汗を拭おうともせず、亮一の変幻自在のプレーを振り返った。
「いや、単純にゴール下の攻防では青雲に分がある。問題は、藤森がシュートを落とさない限り、天野、岩倉、西園寺のリバウンドが無力だということだ。おそらく、久保監督はその辺を計算に入れていると思うよ」
師匠の指摘に、久美子は大きくうなずいた。当たり前のことを当たり前にこなす。それが勝つための条件であり、亮一が意表を突いたパスを出しても麻生が外したら意味がなくなる。そして、相馬以外の四人がミドルレンジから確実に決め続ければ、青雲は逆転不可能なのだ。
「まだ時間は充分ある!焦らずに食らいついていくぞ!」
幻舟の怒声がひときわ大きく響き、藤森のメンバーを圧倒した。高村はさつきたちほかの四人のギラギラとした目つきを見て、戦慄を覚えた。
(なんだ、こいつら……気持ちが折れるどころか、本気で俺たちに勝つつもりだ……疲れきっているはずなのに、どこからエネルギーが湧いてくるんだ?)
ベンチに座っていた白石が立ち上がり、満足そうに笑った。となりの真琴はコートを見守りつつ、久保の様子を伺っている。
「はは、今頃になって滋養強壮の漢方が効いてくるとはな。しかし、あいつらの顔つきを見ていると、敗北など微塵も考えていないようだ」
「ええ、先生に由真ちゃん、応援団の後押しがあって、たとえ足がつってもあの子達は試合を捨てないでしょう」
「長谷川、お前も随分指導者らしくなってきたじゃないか?」
「そうですか?まあ、監督が弱気になってはその時点で試合は負けです。それに、鬼神と雅和に怒鳴られたくありませんから」
本気とも冗談とも取れる真琴の発言に、白石も苦笑するしかない。 幻舟からさつき、鬼神にパスが回る。シュート体勢に入る鬼神のすぐそばを、雅和が走った。
「何度もやらせるか!」 亮一が雅和へのパスコースを切る。と、鬼神はボールをふわっと浮かせ、受け取った幻舟がそのままレイアップを決めた。
「よし!」
真琴が拳を握る。麻生は亮一に詫びた。
「すまん、油断したわけじゃないんだが」
「麻生さん、こういう場面の大杉さんは怖いですよ。あのサイズで、いきなりトップスピードに乗ってきますから」
再び一点差。両軍とも体力は限界だが、精神がプレーを支えている。
両チームともスクリーンをかけてシュートを沈めた。藤森が三点差に突き放せば青雲が一点差に戻す。息詰まる攻防が続く。残り四分を切り、七六対七五で藤森がかろうじてリード。いきなり、藤森のベンチから怒声が響いた。
「北条!何をやっている!膝がボロボロの大杉に手こずって、それでもうちのエースか!」
冷静沈着な久保が厳しく亮一を叱責する様子に、コートの一〇人はもちろん、スタンドも言葉を失った。
「二三点!お前はこの数字に満足か!高校バスケの王者、藤森のエースなら、単独で局面を打開して見せろ!それすらできないようなら、わたしはお前をコートから外すぞ!」
久保のカミナリに、亮一は怖がるどころか、うっすらと笑みを浮かべた。
「麻生さん」
亮一はなんとも穏やかな声でパスを要求した。
麻生からボールをもらうと、ふっと息をついて、気が付けば幻舟は置き去りにされていた。
(速い!)
槙原が亮一の突破力に息を呑む。天才はそのままゴール下に恐るべきスピードで迫ると、ジャンプしてシュート体勢に入った。
(僕が止める!)
さつきが右手を伸ばして完全にシュートコースを塞いだ。 だが、亮一はボールを手首のスナップだけで高々と放る。さつきのブロックを超え、リングより一メートルほど上がってから、ボールはネットを揺らした。
「なんだ、今のは!」
「大杉を簡単に抜いてあのシュート!本当に高校生か……!」
観客が亮一のプレーに驚愕している。豪胆な鬼神、真琴も口をひらき、度肝を抜かれた様子だ。
「すみません。まさか亮一くんがあんな隠し球を持っているなんて」
「さつき、とうとう俺たちはあいつを本気にさせてしまった。たとえダブルチームにいってもいまの亮一を止めるのは不可能だろう。なんとか俺が踏ん張るから、リバウンドは頼む」
「はい」
真琴がベンチから指示を出した。
「苦しいだろうけど、ここが踏ん張りどころよ!残り時間を考えるとこれ以上さを広げられたらまずい!確実に一本返そう!」
しかし、真琴は亮一のスーパープレーに内心、危機感を抱いていた。ここで一点差に戻しても、亮一なら必ず突き放し、結局は逆転できないのではないか。案の定、鬼神のミドルシュートは外れ、リバウンドは高村が確保した。
「北条、頼んだぞ!」
なんの迷いもなく藤森のキャプテンはエースにパスを出す。受け取った亮一はまず小太郎をかわし、幻舟を抜き、一気にゴール下に迫った。
「これで五点差!」
力強くステップを踏むと、亮一はボールをリングに叩きつけた。
「出た、ついに北条のダンク!」
「完全にエンジン全開だ。もう、勢いに乗ったあいつはファールしても止められないぜ!」
観客も亮一の連続ゴールに沸いている。関本が太い息をついた。
「まずいな。こういう状況では個人技でやられると精神的にきつい。まして、北条は外からでも打てるし、いまのようなダンクもお手の物だ。天野、岩倉にパスが通らないと、ズルズル離されるぞ」
高橋たち応援団も意気消沈してしまった。素人目に見ても、亮一の凄さはわかる。幻舟の力強さ、鬼神の身体能力、さつきのしなやかさを全て兼ね備えたような、超高校級の天才、北条亮一。横浜西の桑谷も、顔は笑っていても背筋に冷たい汗をかいている。
「ついに天才くんが本気モードか。槙原、お前ならどうする?」
「どうにもならん。持って生まれた素質に加えて、一番厳しい環境で練習しているんだからな、北条は」
幻舟はドリブルしつつ、精神的に追い詰められていた。麻生は自分の癖を読んで、突破は難しい。高さの利を生かしてシュートを打っても、外れたらリバウンドを取れる保証はない。あっという間に一五秒がたち、一瞬の油断をついて麻生がスティールした。
「もどって!ここで決められたら致命傷よ!」
真琴の声が悲痛に響く。小太郎がいち早くディフェンスにつき、麻生は速攻を諦めてゆっりとコートを眺め回した。亮一がかなり下がった位置でパスを欲しがっている。麻生はエースを信頼し、ボールはワンバウンドして亮一の手に渡った。 大きなスライドで亮一はインサイドに切れ込む。またしても幻舟は対応できない。だが、鬼神が左手を、さつきが右手を上げてブロックに飛んだ。 亮一は空中でいったんボールを下げ、ダブルエースをかわすと華麗なレイアップを放った。ボールはバックボードに当たり、そのままリングに入った。
槙原が亮一の芸術的なゴールに心中でつぶやいた。ついに七点差。幻舟たちの両肩にどっと疲労感がのしかかった。懸命に食らいついてきたが、地力の差が出てしまった。真琴はタイムアウトを取ったが、疲れきっている五人に対し、かける言葉がない。 応援団長の高橋がそっとつぶやいた。
「関本さん、大杉たちは頑張りましたよ。仕方ない。相手は高校バスケ界の王者、俺はあいつらを誇りに思います」
「そうだな……」
関本がため息をつく。なまじ、幻舟たちの努力を知っているだけに、苦い気持ちだけでなにも言えない。 青雲のスタンドが通夜のようなしんみりした雰囲気になって、藤森側も静まってしまった。遠藤が腕組みしたまま黙り込み、久美子は唇を閉ざしている。 体育館が重く湿った空気で包まれている。バスケを知る者も、知らないものも青雲がどれほど頑張り、死ぬ気でプレーしたのは理解していた。それだけに、亮一の個人技だけで粉砕された五人は十字架を背負って坂を上る聖人にも見えた。ただただ悲壮感だけが漂い、後味の悪さが残っている。
「まだじゃあ!」
突然、青雲のベンチから怒鳴り声が轟いた。観衆はもちろん、藤森のメンバーも思わず振り向いた。
「まだ試合は終わっとらん!一分半も残っとる!」
タオルを握り締めて叫んだのは雅和だった。両肩を震わせて自分を奮い立たせるように熱い息を吐いた。「わしは体力だけの男じゃ!ろくにシュートも入らん!ディフェンスも下手!だけど、大杉さんたちは、小太郎は、センスが!スキルがあるでしょうが!」
幻舟、さつき、鬼神、小太郎は座ったまま半ば呆然として雅和の言葉を聞いた。
「この大会で三年生は引退じゃ……来年、新入部員が入ってくれる保証はありません……青雲バスケ部はもう終わりかもしれんのです……それなのに!試合を捨てるんですか!本当にそれでいいんですか!わしは……納得できません!」
雅和が必死に涙をこらえているのを全員が察知していた。幻舟がドリンクを飲み干し、立ち上がる。
「雅和の言うとおりだな。すまない、キャプテンの俺が諦めかけていた。けど、まだ負けが決まったわけじゃない」
幻舟はいつものように、淡々と、しかし威厳のある態度でメンバーに語りかけた。
「残り一分四五秒、まともに考えれば逆転は不可能に近い。しかし、俺たちが最大限の集中力を発揮できれば、藤森といえども同じ高校生だ。一つのミスで崩れる場合だってある」
何度も苦しいハードルを乗り越えてきた司令塔の言葉には説得力がある。雅和に喝を入れられて、幻舟に諭されて、さつきたちの顔に生気が戻ってきたのを真琴は満足そうに眺めていた。
「どうやら、死んだ魚が生き返ったみたいね」
「ですが、具体的にどんな作戦で行きますか?」
参謀格のさつきが真琴に問いただす。もう一度五人の表情を確認したあと、声のトーンを、真琴は抑制した。
「一つだけあるわ。作戦というより、ギャンブルだけどね」
真琴の話を聞いて、鬼神は反射的に叫んだ。
「無茶ですよ!リスクがでかすぎる!」
「ええ、鬼神の言うとおり。それでも、いちかばちかの賭けに出るしかないのよ」
若き指揮官は全員の顔を見渡した。
「この作戦のカギを握るのは、小太郎。あなたよ。覚悟はいい?」
一六〇センチの体で生き残ってきたシューターは厳かに返答した。
「みなさんが僕を信じて下さるなら、僕も信じます」
「よろしい。泣いても笑ってもこれが最後の試合よ。力を出し切りなさい!」
「はい!」
タイムアウトが終わって、両軍がコートに戻る。青雲の攻撃だが、観客席がどよめいた。
「おい、ボールを運んでるの、あの小さい一年だ!」
「大杉は……ポストにいる!」
藤森のメンバーも自分の目を疑った。青雲は、小太郎がドリブルして、ほかの四人はゴール下に構えている。
(何を考えているんだ?まさか!)
麻生と服部がボールを奪いに行く寸前、小太郎はシュートを打った。
ボールはリングに弾かれた。リバウンドはさつきが確保する。すぐさま、小太郎へ返した。
(やはり!)
高村が危機感を募らせる。桑谷が槙原に質した。
「おい、まさかこれは……」
「ああ、長谷川監督はあいつに賭けるつもりだ」
真琴の作戦。小太郎がスリーを打ち、残る四人がリバウンドの制空権を握る。 遠藤もすぐに意図を察知したが、あまりにリスクが大きすぎるだろう。
「もし、岸川がボールを奪われたら大杉はいない。ここでリードを広げられたら試合は決まるぞ」
「でも、これしかないと思います」
久美子がハンカチをつかんでいる。汗でぐっしょりと濡れ、彼女の興奮度を物語っていた。
「ここで岸川選手が決めれば……」
その眼前で小太郎がスリーを放った。観衆が見守る中、ボールはリングにかすりもせずに吸い込まれた。「よし!」
真琴がこぶしを握る。これで四点差。しかし、遠藤たちを驚愕させたのは、青雲の五人がプレスをかけてきたことだった。
「正気かよ、王者を相手に!」
「大杉の膝はボロボロだろ!あいつら、マジで藤森に勝つつもりだ!」
ボールを入れようとする相馬にさつきが立ちふさがる。麻生には幻舟がつき、服部には小太郎。時間ぎりぎりで高村が青雲のコートに入ったが、一瞬のすきを突いて雅和がスティールした。
「来い、雅和!」
鬼神がボールを要求する。雅和が矢のようなパスを出したが、すぐに亮一がディフェンスについた。
「速攻はさせませんよ、岩倉さん!」
「ふん、俺を止めたところで!」 鬼神が幻舟のお株を奪うようなノールックパスを出した。
「あいつを止めなきゃ意味ねえだろうが!」
ボールはコートを跳ね、スリーポイントラインに立っていた小太郎の手に収まった。
(しまった!)
亮一がつぶやいた時、既に小太郎はシュートを打っていた。
真琴、白石、由真、槙原、桑谷が固唾をのむ。ボールは美しい軌跡を描き、リングに沈んだ。
「なんだあ!」
「あの小さい一年、あっさり一点差まで詰めやがった!」
「おいおい、相手は藤森だぞ?しかも決勝、こんなことがあるのか?」
体育館が歓声で大揺れする。幻舟は殊勲のシューターに歩み寄った。
「小太郎、お前ってやつは……」
息を弾ませながら、一年生はスコアボードを指さした。
「まだ、向こうがリードしてます」
幻舟は小太郎が何を言わんとするか、理解していた。
「この試合、必ず勝ちましょう。勝って、大杉さんたちの、最高のフィナーレにしましょう!」
「ああ!みんな、ディフェンス一本!小太郎の頑張りを無駄にするなよ!この試合、俺たちが勝つ!」
「おう!」




