第11話 「ごちそうさまでした」
一晩明けた翌日、カーテンを開けた窓から朝日が差し込んでくる。本日も快晴だ。
澄み切った青空とは反対に、凛音の気分はどんよりしていた。新品のはずのジャージもどこかくたびれて見える。
結局、昨日は色々ありすぎて家に着くなりすぐに寝てしまった。
「シャワー浴びよ」
重い足取りで浴室へと入る。が、ファスナーを下ろした瞬間に昨日の傷跡が目に飛び込んできた。サッパリするつもりが、かえって気分が悪くなってしまった。
5分も経たずにリビングへ戻ると、布団の中へと潜り込む。
そろそろ登校しなければ間に合わない時間。頭では分かっていても身体は上手く動かない。
サボるのは良くないことだが、わざわざ危険に飛び込む必要はないだろう。武器になるカードも意味が無いと知った今、外に出ることすらおっくうだ。
目を閉じても寝れないものだから、凛音はゴロゴロし続けることにした。
なにも食べていないが、まるでお腹が空かない。何もかもする気が起きなかった。
半端なまどろみは、突然打ち破られた。沈黙の中に短く轟く電子音。
越してきてから初めて聞いたので、布団の中でビクリと肩を震わせた。だがそれで終わりだ。布団から出て、ましてや様子を見に行くなど怖くてとても出来ない。
ピンポンピンポンピンポンピンポン。
ガッガタガタッ……ガチャ……ガッ!
怖い。
凛音は力の限り耳を塞いで、騒音の嵐が止むのを待った。
自分はこの街では無力だ。精一杯の虚勢ももう限界。せめて次に目を開けたら全て夢であってほしい、本土の自分の部屋であってほしい。
音が止んでしばらく経っても、凛音は動かずにいた。そーっと亀のように頭だけ外に出す。戻ってきた静寂に安堵したーー
カチャリ。
先ほどの嵐に比べれば、そよ風とも思えるほどの物音。だが凛音の感じた恐怖はかつて無いものだった。
タタタと何かが近づいてくる。音だけではない確かな気配を前に、息を殺して侵入者を出迎える。
「やっぱり……生きてるじゃないか」
涼しげな顔に藍色の瞳。部屋の入ってきたのはクラスメイト(予定)の市道司だった。
口はパクパク、頭はグルグル。指をブルブルさしながら凛音は尋ねる。
「どこから入って来たの?」
「玄関から」
「どうやって?」
「ドアを開けて」
昨日を思い出す、この煮え切らないやり取り。額に手を当てながらも、構わず質問を続ける。
「なんで鍵を開けれたの?」
「私はえらーー
「あと選ばれしものって答えは禁止ね」
「ムッ……下に行って管理人から借りてきた」
「そんな簡単に貸してくれないでしょ」
「そうでもないよ。死亡確認引き受けるんだから、むしろ感謝されるくらいだ」
司は得意げに答えた。
なるほど、この街ならではというわけか。
「じゃあなんで私の家が分かったの?」
「先生に聞いた。今日からクラスに来ると思ってたのに、姿がなかったから心配で」
強引な侵入方法の割に、訪問の理由は純粋なものだった。
時々会話が噛み合わないが、やっぱり司は優しい子だ。心の奥がジーンと温かくなる。
「そっか。クラスのみんなにも心配かけちゃったね」
「そんなことないよ」
「え?」
司は静かに首を横に振る。
「みんな転校生が来ること自体知らない」
「えっ?」
それはどういうことだろうか。意味は分からないがとにかくショックだ。
「先生も泣きそうな顔でこの場所を教えてくれた。多分死んだと思われてる」
「えっ……えぇっ!?」
「落ち着け」
「はうっ!」
脳天チョップ。
司はズイと顔を寄せてくる。
「なんで学校をサボった。もうお昼過ぎだぞ」
時計の針はいつのまにか12時を回っていた。
「そんなんじゃないよ。ただ……怖くて何もする気がしないだけ。だってあれからーー
頭を抑えて凛音は俯く。昨日、司と別れてからのことをポツリポツリと話しはじめた。
カードが使えないこと、再会したギャルに酷い目に遭わされたこと、櫻子に脅されて何とか切り抜けたこと。思い返してもロクなことがない。
「そうか。辛かったんだな、リンネ」
凛音の肩に、白くて小さな手がそっと置かれた。思わず藍色の瞳を見つめ返す。
「……司ちゃん」
「顔色悪いな、今日は何も食べてないだろ」
「うん」
「待ってろ、あるもので何か作ってやる」
「いや、食欲ないから」
「遠慮するな」
司は台所へ向かうと、躊躇なく冷蔵庫の扉を開けた。中には野菜や豆腐などが入っている。せっかくの一人暮らしということで、引っ越してすぐに凛音がスーパーで揃えたのだ。調理器具も一式、両親が送ってくれたものがある。
色々と心配になって眺めていたが、司の手際は目を見張るものだった。
米を研ぎ、湯を沸かし、空いた時間に玉ねぎを切る。トントンと響く軽快なリズムとともに、料理はあっという間に完成した。
計量も味見もせずに調味料をぶち込むのだけは気になったが、出来上がった味噌汁からは美味しそうな湯気が立ち昇っている。
「空腹時に詰め込むのは良くない。味噌汁一品だけだが食べてくれ」
「……なんか色が赤いんですけど」
「トマトを入れたからな。サッパリするぞ」
そういえば、冷蔵庫から出していたのを見た気がする。
手を合わせていただきます。箸を手に取り啜ってみると。
「美味しい。味噌の味わいが口の中で広がると、その中をトマトの酸味が駆けていく。玉ねぎのシャキシャキ感もいい感じで、爽やかな後味だわ」
「そうだろう、そうだろう。ご飯も炊きたてだ。ドンドン食え」
「うん!」
体は正直なもので、茶碗の中身をかきこむと、最後は所謂『ねこまんま』にして平らげてしまった。
「ごちそうさまでした」
「これで少しは頭も働くようになるだろ」
空いた食器を洗い終えると、司は誇らしげに笑うのだった。




