第九話 水不足
僕が王宮に来て何週間も過ぎた。
その間、僕はサタナリア教官の教育を受け、学び続けた。
特に、文字が読めるようになってきたことは嬉しかった。
僕はまだ簡単な文章や、数字しか読めない。
けれども、教官がいない間も、少しずつ本を読めることは嬉しかった。
季節は夏の乾季に差し掛かっていた。
暖かくて、過ごしやすい日が続く。
王宮の中庭の噴水がいくつもの水のしぶきを作っている。
そんな時、女官たちが、王都を流れる河、サベルナ河の流量が減っていると噂話をしていた。
僕は教官に河を確認したいと相談し、午前中の授業を中止にしてもらう。
そうして、馬屋からアルト号を出し、それに乗ってすぐに河を見に行った。
サベルナ河にはいつもの透明な水はなく、茶色く濁っていた。
そして、その流量は明らかに少なくなっている。
僕は河岸に行き、馬を降りて水面を触った。河の水に混じって、土の汚れが指についた。
僕は周囲を見る。
河から水を汲んでいる人々が見え、彼らは桶を持ち、泥の混じった水を汲んでいる。
僕は拳闘士だった頃を思い出す。
河の水が綺麗だったから、水を飲むことには困らなかったし、水浴びもできた。
けれど今は。
僕は泥で汚れた水で洗濯をする人々を見つめる。
僕が今着ている服は白い。
でも、少し前までは、白くは無かった。僕もこの河の異変に苦しんでいたかもしれない。
僕は細くて頼りなくなった河を見つめ、その解決を決意した。
午後、教室で教官に出会った僕は、自らの思いを打ち明ける。
「サタナリア教官。サベルナ河の流量が減り、清浄さが失われています。対策を取りたいのですが、どのようにすれば良いのかわかりません。教えてください」
教官は耳を向け、僕の話に注目してくれた。
「何故、サベルナ河の水の清浄さを気にしていますか?」
「王宮には泉があります。貴族などの富裕層は、井戸を掘ることができると思います。けれども、王都に住む貧しい人たちの水はサベルナ河だけです。その水の清らかさが失われれば、彼らの生活や健康に悪影響が出ます」
教官の耳はピクリと動いて、また僕に向いた。
「なるほど。下層民のため、働きたいというのですね。それはあなたがカーン王国の使者との交渉で見せた王道に沿うものです」
教官の耳は少し垂れた。
「けれども、王族や貴族の生活。そしてその収入源である農園には、井戸が掘られ、水の心配をする必要がありません。これがどういうことかわかりますか?」
少し考える。
「王や貴族、兵隊たちの助力を得られないということですね。理解しました。けれども、僕は河を元に戻したい」
教官の耳が立った。
「わかりました。どこまでできるか分かりませんが、調査をすることにしましょう。グレイ、私も手伝います」
僕は教官に礼をする。
「ありがとうございます。あの、一つ気になっていることがあります」
教官の耳が動き、僕に注目した。
「以前、鷹狩りをしたことがあるのですが、その時、サベルナ河の上流にある湖。その周囲に不審な足跡を見かけました。まずはそこを調査してみたいのですが、どう思いますか?」
教官の耳が左右に広がる。
「なるほど、違和感というものは、大切な感覚です。まずはそこを調査しましょう。私も同行します」
「ありがとうございます。サタナリア教官」
教官が話を真摯に受け入れてくれた。僕はそれがたまらなく嬉しかった。
馬に乗り、地元の猟師に案内を頼み、僕たちはサベルナ河の上流の湖にやってきた。
僕は違和感を感じる。
数週間前に鷹狩りで来た時よりも、湖が大きくなっている。今は乾季で雨は少ないのに。
「サタナリア教官。湖が大きくなっています。今は乾季であるにも関わらず。です」
教官の耳が湖に向いた。
そして下馬して、湖に手をつける。教官の体が青く輝いた。教官の魔法だ。
「グレイ。水の流れが止まっています。何らかの原因でダムができ、河への水の流出が止まっているようです」
「ダム……サタナリア教官。それを解消する方法はありますか?」
「ダムを一度に取り除くと、洪水が起きてしまいます。私が土魔法でダムに徐々に穴を開けるようにします。少し時間がかかります。あなたはどうしますか?」
教官は片方の耳を湖に向けたまま、もう一方の耳を僕に向けた。
「僕も残ります。長くかかるのであれば、食事の準備をいたします。サタナリア教官、よろしくお願いします」
教官は頷き、両耳を湖に向けた。教官の両掌から褐色の光が湖に向けられ、湖底へ潜っていった。
少し時間が経つ。
僕の耳にも、水の流れが聞こえ始めた。
段々と日が傾いてくる。僕は案内してくれた猟師と共に食事を作る。その背後では、水の流れる音が徐々に大きくなっていった。
僕は教官に、冷ましたお茶を持って行く。
教官の額には、玉のような汗が浮かんでいる。
教官にカップを手渡すと、一息に飲み、カップを返された。
僕は教官の額の汗だけ拭いて、そばに寄り添った。
そのまま日が暮れ、夜が更け、深夜になり、空が白み始めた。
教官の体は時折ふらついたが、僕は支え、冷めたお茶を差し出した。
日が昇り始める頃、教官の手のひらから出る光が止まった。それと共に、教官は倒れ込む。僕は教官を抱きしめて、抱え上げた。
「少し休憩してから戻ります。もう案内は大丈夫です。ありがとうございました」
僕は猟師に金貨五枚を渡した。猟師はそれを受け取り、ふもとへ帰っていった。
僕は地面の上に蝋を塗った防水シートと毛布を敷き、その上で教官を休ませた。焚き火を保ち、暖かなスープを作る。
教官の疲労は強いようで、その日は、そこで休むことにした。
翌日、教官は目を覚ました。
「サタナリア教官。魔法でダムを除去していただき、ありがとうございました。水の流れも再開できたようです」
教官の耳は、両方とも先が垂れている。まだ疲れているのだろう。
「いや、グレイ。君が違和感に気が付かなければ、私は対処することもなかった。私は君のような弟子を持てて嬉しいよ」
教官は背伸びをして、僕の頭に触れた。本を読んだ今ならわかる。これは褒めてくれているんだ。そう、褒めてくれている。僕のことを。
僕の胸が暖かくなる。教官は長い間、僕の頭を撫でてくれた。
街に戻る。教官はまだ体力が元に戻っていないため、僕と相乗りだ。
見ると、サベルナ河の流量は元に戻り、河の色は以前と同じ透明になっていた。
アルト号に乗って、サベルナ河にかかる橋から河を眺めていると、周囲が騒がしい。
「グレイだ!」
「サベルナ河を復活させた男だ!」
「魔法使いのサタナリアもいらっしゃるぞ」
僕たちはあっという間に人々に囲まれてしまった。
「グレイ! 猟師のオヤジから聞いたぜ! なんでサベルナ河を復活させてくれたんだ?」
若い男が大声で僕に尋ねる。僕も大声を張る。
「みんなが困っていたからです! 僕はそれが嫌だったからです!」
人々は沸いた。そして、酒樽が開けられたようで、僕たちに酒杯が差し出され、なんだかお祭りが始まってしまった。
教官は笑顔で僕を見上げた。それが堪らなく嬉しかった。
「グレイ! お姫様との結婚式はいつなんだ?」
別の若者から声をかけられる。
「もうすぐです! 今、準備をしながら吉日を占っています!」
「そうか! じゃあ、今日はそれの前祝いも兼ねるぞ! 酒、持ってこい!」
騒ぎは王都の中、どこまでも広がっていく。
ふと、王宮の窓を見上げる。
窓からアントワネット姫が僕を見ていた。なにか用事があったのだろうか。
そう思っていると、僕は人混みに巻き込まれた。




