172:トレガレーの市場
「ミーメ嬢。こちらがトレガレー公爵領領都旧街名物の一つである旧街市場です」
「これは……凄いですね」
公爵家の屋敷を出たワタシが、ヘルムス様の案内の下、まずやって来たのは大きな市場だった。
規模としては王都の市場と同じか少し小さいくらいだが、賑わいは王都以上であり、極めて細かい金額の値引きも求めるような丁々発止のやり取りも聞こえてくる。
だが何よりも目を惹いたのは、王都が比較にならないほどに豊富な品揃えだった。
小麦粉やジャガイモ、各種豆と言った王都でも手に入る品。
王都では少し珍しい部類に入る種類の野菜たち。
初めて見る姿の生魚に、それを加工して作られたと思しき干物。
長期間の保存が出来るように塩漬け燻製された豚肉や鶏肉。
見た事も無ければ、嗅いだこともない香辛料たち。
袋詰めにされた大量の塩に、砂糖や油と言った調理に必要な品々。
どうやら、食品に関わる屋台だけでも、グロリアブレイド王国中の品々と舶来品が入り混じっているようで、名物になるのも納得の光景だった。
きっと、種類の豊富さで競うなら、グロリアブレイド王国内で一番の市場が此処になるのだろう。
「そうですね。公爵家としても自慢の光景です。とは言え、此処は旧街市場の中でも素材を扱う場所ですので、調理をしない私たちが入ると邪魔になってしまいます。ですので、ミーメ嬢。私たちはあちらへ向かいましょう」
「あ、なるほど。それは確かにそうですね」
ヘルムス様の言う通りで、此処にある物は買って直ぐに食べられるようなものではない。なので、護衛も引き連れているワタシたちが入ってしまうと、確かに邪魔になってしまうだろう。
なのでワタシはヘルムス様に連れられて、旧街市場の一角、特にいい匂いがしているエリアへと向かう。
どうやら、食べ物の屋台が並んでいる場所のようだ。
「ゴクリ……」
「朝一番の漁を終えた漁師たち、領都に滞在する異国の人間、小腹を空かせた子供たち、今はもう時間が遅いので居ませんが、仕事場に向かう職人たちも此処には立ち寄ります。言ってしまえば、旧街全体の食堂と言うところですね」
「なるほど。でも、この匂いなら納得ですね」
そこは、とにかく美味しい匂いと音で満たされている場所だった。
肉が焼けている。スープが煮込まれている。饅頭が蒸されている。油が跳ねている。焼き立てのパンが運ばれてきて、客の目の前でサンドイッチに加工されていく。酒かジュースが注がれていく。飴を演技しながら商品に変えていく商人も居た。
混沌としているけれど、その全てが美味しさを目指している為か、何処か秩序があって、朝食をしっかりと食べたはずなのに小腹が空いてくる。
そして、実際に口へと運び、楽しみ、喜び、驚き、称賛する客の声と身振りが感じられる。
うん、これは凄い。
色々と食べてみたい。
「ここをじっくりと楽しむのはまた後日にしましょう。動けなくなってしまいますからね。今はこれだけにしておきましょう」
「あ、はい。美味しいですね……。海鮮饅頭と言うところですか?」
「ええそうです」
ヘルムス様に手渡された饅頭を食べる。
中身にエビや魚の切り身が混ぜられた餡を用いた饅頭で、熱々のそれを一口食べるだけでも、口の中に魚介のうま味と初めて嗅ぐような香辛料の香りを感じる。
うん、とても美味しい。
これがこの市場の中でどの程度のグレードの品なのかは分からないが、もしもこれが普通の品だと言うのなら、確かに食べ過ぎで動けなくなるほどに食べてしまいそうだ。
本格的な攻略をするなら、もっとちゃんとした準備をしてからでないといけなさそうだ。
「こちらは個人で持ち運べる大きさと量の食品以外の品ですね」
「ふむふむ。魔物の素材もあれば、装飾品、布、魔道具、置物……色々とありますね」
続けてやってきたのは、先ほどまでの市場に比べれば、少し落ち着いた雰囲気の一角。
売られているのは、様々な魔物の牙や毛皮と言った物から、それらを加工して装飾品や魔道具にした物まである。
また、羊の毛や絹糸らしき物も売られているし、それらで作られた絨毯やタペストリーと言った物も売られている。
たぶんだが、外国の商人や船乗りが個人的に買っていく……だけではないな。
この品ぞろえの豊富さなら、王国内の商人も普通に居るだろう。
そして、何よりワタシの目を惹いたのは、王国以外の国に生息している魔物の素材だった。
「何か欲しい物などありますか?」
「少し待ってください。全く見た事がない物が多いので、少し真剣に見てみたいです」
「分かりました。では待ちましょう。流石はミーメ嬢ですね」
名前も知らなければ、外見も想像し難い魔物の素材。
長い船旅の影響で質が落ちているのは感じるし、そこまで貴重でもないから、この市場に流れてきているのだろうけど……それでも興味が惹かれるのは確かだった。
例えば『レドクンバン』の角。真っ黒で鉛のように重い角で、見た目だけなら巨大なカブトムシの角と言う感じだが、果たしてどんな魔道具に使えるだろうか?
他にも『スノウルフ』と言う魔物の真っ白でフワフワな毛皮や、『コミミゾワム』なる魔物のブヨブヨとしたゴムのような皮、明らかにドラゴンより質が劣るし小さいが『ココドラゴン』なる魔物の牙などなど、見ているだけでも飽きないくらいだ。
そして、地元産の魔物の素材もまた見た事がない物ばかりで、魚型の魔物の骨やヒレだけでなく、鮫の肝臓と思しき物の瓶詰や、巨大な海老やカニの鋏、綺麗な貝殻などが売られている。
どれも水属性魔道具に加工する用途を主としつつも、他の使い道も多そうだ。
うん、ここだけでも一日過ごせるかもしれない。
「ちなみにミーメ嬢。先ほどの食べ物の方には、食べられる魔物の素材もありました。どうやら、一部の魔物の素材は香辛料になるようで、そう言う素材はアチラに売られているのです」
「!?」
植物系と言うか、食べられそうな魔物の素材が見当たらなかった理由はそれか!?
いや、当たり前の事ではあるけれど、そんな当たり前に直ぐには思い至らないくらいには、目の前の素材たちにワタシは目を奪われていたらしい。
ワタシの驚いた様子にヘルムス様は喜ばしそうな笑みを浮かべている。
「ヘルムス様」
「なんでしょうか、ミーメ嬢」
「トレガレー公爵領は本当に凄いところですね……」
「ええそうですね。何でも揃うとまでは言いませんが、大抵の物は手に入ると思いますよ」
表……それも、この市場に出ているだけでも、これだけの種類がある。
倉庫でやり取りして、目的地にまで直接運ばれていく品まで含めれば、いったいどれだけ品がトレガレー公爵領を行き交っているのか……流石は王国の貿易を担っているトレガレー公爵家の領都だけの事はある。
「それでミーメ嬢。何か欲しい物などありましたか?」
「そうですね……。では、この『レドクンバン』の角を一本、後は『スノウルフ』の毛皮に、この貝殻もお願いします。量は……そうですね。これくらいで。お金はワタシの方で……」
「分かりました。では、お金は私が払いますね」
「ヘルムス様!?」
「婚約者ですよ。これくらいは払わせてください」
「……。分かりました。お願いします」
とりあえず色々と購入した。と言うか、購入してもらった。
金額的には何の問題もなく払える額だったのだが、ヘルムス様がそう言うのなら、ヘルムス様の顔を立てるためにも、譲る他ない。
うん、後で色々と調べてみて、ヘルムス様の役に立ちそうな物が作れるのなら、作って贈るとしよう。
さて、此処で買うべき物は一先ずこれくらいだろう。
買ってもらった品は屋敷へと届けてもらうとして、次は何処へ行くのかとヘルムス様に視線を向けた時だった。
「お? ヘルムスじゃねえか。久しぶりだな」
聞き慣れぬ声と共に、見た目からして王国以外の人であろう男性がヘルムス様に声をかけてきた。
「オイゲンか。そうか、ちょうど時期だったか」
「おうよ。ソッチは……もしかして例の年下師匠様か?」
「ああ、その通りだ」
「実在したんだな……」
男性はとても気安そうな雰囲気で、ヘルムス様経由でワタシの事も知っているようだった。
ただいったい何者なのだろうか?
それが分からないワタシとしては、どう対応すればいいのかも分からない。
「オイゲン。ミーメ嬢が戸惑っている」
「おっと失礼。レディ相手にはちゃんと名乗らないとな」
なので戸惑っていると、どうやらちゃんと名乗ってくれるようだった。
「オレの名前はオイゲン・クローブ。マギアサル王国所属の交易船『オイゲノール号』の船長だ。ああそれと、一応はマギアサル王国のクローブ公爵家の末席に名前を置かせてもらっている」
「!?」
ただ、行われた自己紹介の内容は、ちょっとワタシの想定の外にある物だった。
『レドクンバン』:ナマリカブトムシ。超重量級の巨大カブトムシのような魔物。
『スノウルフ』:ユキオオカミ。寒冷地に生息する狼型の魔物。群れで行動するので、沢山獲れる。
『コミミゾワム』:ミミズ型の魔物。皮がブヨブヨしている。ミミズだが目は口周りに目視できるサイズでしっかりと付いている。
『ココドラゴン』:小型のドラゴンのように見えるトカゲ型の魔物。翼は体温調整だったり、魔術の始点に使ったりする。
05/02誤字訂正




