第58話 聖母
6月25日。金曜日。先勝。
放課後。
僕は圭太と良司の誘いを断って、
本所町へと向かった。
『本所町第二公園』に着くと、
片隅のベンチで、
本を読んでいる
制服姿の少女が目に入った。
まるで映画のワンシーンのようだった。
殺風景で寂れた公園が、
煌びやかなスクリーンへと変わっていた。
そんな少女の姿を見ていると、
僕はふと良司の話を思い出した。
マリアの家は、
秦町の外れにある古い教会らしい。
その話を聞いた時、
マリアのあの神聖な雰囲気は、
そこから生まれたものかもしれないと、
僕は妙に納得したのを覚えている。
「ご、ごめん。
待たせたかな?」
僕が駆け寄ると、
マリアは本から目を上げた。
アーチ眉の下にある二重の大きな猫目が
僕をじっと見据えた。
「いいえ。
それよりも。
私に何の話があるのでしょうか?」
「・・ご、誤解を解きたくて」
僕がそう言うとマリアは本を閉じた。
その時、
本のタイトルがチラリと見えた。
『氷点』
という文字が目に入った。
「座りませんか?」
マリアに促されて
僕は躊躇いがちに
彼女の隣に腰を下ろした。
「グーグーポッポー」
どこかで雉鳩が啼いた。
「『ピーピングトム』っていうサイト。
知ってるよね?」
僕はいきなり核心に触れた。
「主に未成年の盗撮画像を扱っている
掲示板ですね」
マリアが事もなげに答えた。
僕は一度コホンと咳をした。
「・・君はそこで。
立夏姉ちゃんの画像を見つけた。
だから。
妻鳥を盗撮したのも
僕だと考えたんだよね?
でも。
立夏姉ちゃんの部屋を
盗撮してたのは僕じゃなくて、
そ、その・・兄ちゃんなんだ。
だから。
そ、その・・。
妻鳥の画像は僕の仕業じゃない」
僕は畳みかけるように言葉を重ねた。
「そう・・ですか」
マリアは気のない様子で小さく頷いた。
「グーグーポッポー」
どこかで雉鳩が啼いた。
「小絵と付き合っていましたね」
ふいにマリアが口にしたその言葉に、
僕は思わず目を見開いた。
「・・知ってたんだね?」
「ええ。
私と小絵の間に秘密はなかったので」
マリアは僕の方を見ず、
真っ直ぐ前を見つめていた。
僕は小さく息を吐き出した。
「付き合ってたのかと言われると・・。
2人で出かけたのは1度だけだし・・」
僕は・・。
妻鳥と手を握ったこともない。
当然キスなんて・・。
僕達は付き合っていたのだろうか・・。
僕は頭を振った。
「・・小絵は。
貴方のことが
好きだと言ってました。
・・私が。
貴方が盗撮犯だなんていう、
いい加減な推測を
小絵に話さなければ。
小絵はそこまで思い詰めることもなく、
命を絶つことはなかったのかも
しれません・・」
マリアの横顔が悲しそうに見えた。
僕は大きく首を振った。
「・・それは違うよ。
君は妻鳥のことを思って、
話したんだろ?
それに。
妻鳥は・・。
自分の意志で死を選んだわけじゃない。
誰かに・・」
そこまで話して僕は慌てて口を噤んだ。
「誰かに・・?」
「い、いや・・。
兎に角。
君と妻鳥は親友だったんだろ?
妻鳥のためにも。
君は自分を責めちゃ駄目だよ」
マリアが僕の方を見て微笑んだ。
その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「・・人を愛することは、
罪深いことですね。
1人を選べば、
選ばれなかった者は、
悲しみに暮れるでしょう。
この世にある愛の数だけ、
同じかそれ以上の悲しみもまた
存在しているのかもしれません」
その言葉の意味が掴めず、
僕はぎこちなく微笑み返した。
「グーグーポッポー」
みたび雉鳩が啼いた。
「望月さんってどんな人ですか?」
ふいに幻夜の名前が出てきて、
僕は戸惑った。
「そ、そんなこと。
僕に聞かれてもわからないよ・・。
それこそ本人に聞けば、
いいんじゃないかな?」
「私は彼女に避けられているようなので。
貴方は彼女の隣の席でしょう?
何か心当たりはありませんか」
「・・残念だけど。
僕も・・。
そ、それほど
親しいわけじゃないから」
「そうですか。
私の勘違いですね」
「う、うん」
僕はゴホンと大袈裟に咳払いをした。
決して嘘を吐いているわけではない。
同じ屋根の下に住んでいて
時折部屋に来ることはあるが、
だからと言って、
親しい間柄とは限らない。
「・・貴方は正直な人ですね」
その言葉に僕はハッと息を呑んだ。
「そ、それは・・どういう意味?」
僕は思わず聞き返した。
マリアは黙って
ただ僕の目を真っ直ぐに見つめていた。
僕は気まずさを覚えて、
そっと目をそらした。
「・・今でもまだ。
小絵のことが好きですか?」
「えっ?
・・ど、どうして。
そんなことを聞くのかな・・?」
マリアの質問の意図がわからなかった。
「貴方は私と小絵の関係を
誤解しています」
「えっ?」
僕は改めてマリアを見た。
マリアの瞳に吸い込まれそうになって、
僕は急に息苦しくなった。
「私と小絵は・・。
親友ではありません。
少なくとも。
私はそう思っています」
そう言うとマリアは立ち上がった。
「えっ・・?」
僕は若干混乱した。
「そ、それは・・どういう意味?」
「さあ。
どういう意味でしょうか」
マリアは微笑むと、
足音を忍ばせて去っていった。
「グーグーポッポー」
どこかで雉鳩が啼いていた。




