カフェキュウビの日常2話2
「ねえ光太、面白いところに行こうよ」
キヌが突然そう言ってきた。昼前のカフェキュウビ、今日は臨時休業だ。椿が慌ただしく出て行ったあと、店内には暇を持て余した空気が漂っていた。
「面白いところ?」
「そうそう、すーっごく面白いところ!」
キヌはいたずらっぽく笑って、光太の手をぐいっと引く。細い腕にしては力が強い。ポニーテールが左右に跳ねるたびに、その足取りの軽さが伝わってきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ……どこに行くんだよ……」
そう言いながらも光太は逆らわずによろよろとついていく。2人はカフェを出て、水天宮の階段を上がっていった。平日の昼間、人通りはまばらだ。
「いいところって、水天宮?」
「もーっといいところだよ、きっと驚くよ」
キヌはにししと笑う。何か企んでいる子供みたいな笑顔だ。
やがて、キヌは女子トイレの前に立ち止まった。
「……ここ?」
光太が困惑する間に、キヌは周囲を見回し、誰もいないのを確認する。
「今なら行けそうね」
「いや、女子トイレはさすがにまず……」
「いいから、ほら!」
キヌは躊躇う光太を無理やり手を引いて女子トイレに押し込んだ。
「奥から2番目……」個室の前で立ち止まり、キヌは指先で壁に何やら印を描き始める。指先は空気に波紋のようなものを残しながら、まるで見えない鍵穴を開けるように、すばやく舞った。
「よし、できた!」
次の瞬間、キヌが扉を開くと、そこにはまったく別の世界が広がっていた。
光太は目を見開いた。
目の前にあるのは、まるで時代劇の中の風景──土と木の匂いが混ざった、あたたかく賑やかな街並み。江戸風の長屋や商家がずらりと軒を連ね、縁台には豆腐屋が声を張り上げ、行商人が天秤棒を担いで歩いている。道が舗装されていないので少し埃っぽい。
しかも、人間だけじゃない。
狐や狸、兎に猫、カラスまで、いろんな妖怪や動物が二足歩行で商売や買い物をしていた。みんな人の姿だったり動物だったり、その中間のような姿だったりする。ごく自然に共存しているのが不思議だった。
「安いよ安いよー!今朝取れたばっかの鯖だよ!」
「おお、これは良い品だ。ほら、旦那、見てってくれ!」
「どいてどいて、急ぎの荷物だよぉ!」
大八車を狸が、ヒイヒイ言いながら車をひいていく。台の上にはてんこ盛りの酒樽。今にも崩れ落ちそうだ。
井戸端では、長い耳をもつ兎の娘たちが笑いながら噂話に花を咲かせている。
角を曲がれば、屋台の前で狐の親子が団子を頬張っていた。
光太はただただ、ぽかんと立ち尽くしていた。
「……すご……」
「でしょ?」とキヌが胸を張る。「ここが“買い物横丁”。いろんな妖怪たちが物を売ったり買ったり、にぎやかに暮らしてるんだよ。いわば、妖怪の世界の商店街ってとこかな」
その声を聞きながら、光太の目には、泣いている小さなカッパの子どもと、それを必死であやす巨大な山のような妖怪の姿が映った。道端では酔っぱらった狸が行き倒れており、隣では真面目そうな猫又が通行人に説教をしていた。
混沌と秩序が入り混じる、不思議で、どこか懐かしい世界。
「光太もきっと気に入ると思ってたんだ。さーて、なに見ようか!」
キヌはまた手を引いて駆け出した。光太は目を輝かせたまま、その後ろ姿を追いかけた。