第二十七話 暴食のベルゼブブ
サリオス帝国の北、イエンス平原は再び戦禍に見まわれた。
今度の相手は、暴食のベルゼブブである。
率いる魔物は、三つ首の犬、ケルベロスだった。
暴食のベルゼブブは七魔将の中でも最も恐れられ、そして忌み嫌われていた。
まず単純に魔物が強い。
犬型の魔物であるケルベロスは、俊敏な動きで相手に近付き、鋭い牙で噛みつくのである。
憤怒のサタンの配下であるドラゴンも攻撃時には予想外に俊敏な動きを見せる。しかし移動速度は比較的ゆっくりなので兵士は有利な立ち位置を取りながら迎え撃つことができる。
しかし、素早く走り回るケルベロスは気を付けないとこちらの陣形を乱され、バラバラになったところを個別に攻められてしまうだろう。動きが速くて遠距離攻撃が当たり難いことも厄介だった。
そして攻撃の主体となる牙は、三つの首にそれぞれついているのだ。一体を相手に戦っているつもりが、三体分の攻撃が来ると思った方が良い。
さらに単体でも強いケルベロスが、数体の群れで連携しながら攻めてくるのだ。
迂闊に孤立してしまうと、味方と合流できないように追い立てられ、そのまま嬲り殺しにされてしまう。それはもはや戦いではなく、狩りだった。人がケルベロスに狩られてしまうのだ。
もちろん兵士の側もケルベロスに付け入られれないようにしっかりと連携を取って迎撃しているのだが、それでも被害は後を絶たない。
今回攻めてきたケルベロスは三千体ほどとみられていた。しかし、ホートリア王国に攻め入った数千体のサキュバスよりも、その前に攻めてきた五万体のゴブリンよりも、サリオス帝国軍に大きな被害を与えていた。
だがそれだけではない。ケルベロスにはその強さ以外にも恐れられ、忌み嫌われる要素があった。
「うわぁ、く、来るなぁ! ギャアァァー!」
今もまた一人、隊から引き離された兵士がケルベロスに囲まれ、断末魔の叫びをあげた。
しかしそれだけでは終わらない。確実に兵士の息の根を止めたのに、群がるケルベロスはまだその場を離れない。
「くそ―、あいつら!」
「よせ! 陣形を乱すな! 離れれば次はお前がああなるんだぞ!」
いきり立つ兵士を隊長が抑える。
ケルベロスは倒した人間を喰らうのだ。
場合によっては息のあるうちから手足を食い千切られる。どうにか救出されても、手足を失った兵も多い。
仲間から引き離された兵士は、肉の一片も残さず食いつくされる。
ケルベロスは強い相手を喰らうと、その能力の一部を吸収し、さらに強くなると考えられている。
見てわかるほど急激なパワーアップはないが、戦闘が始まってすぐよりも終盤近くの方が手強くなることが歴史的にも知られていた。
暴食のベルゼブブも色欲のアスモデウスと同様、戦いの前半ではあまり出て来ることのない魔族なのだが、ケルベロスを強化するために共食いさせているとか、魔大陸で魔物を食い散らかしているのだとか云われていた。
戦闘が始まってからそれなりに時間も経ち、戦死者もそれなりの数が出ているにもかかわらず、イエンス平原に遺体はほとんど見当たらない。すべてケルベロスが喰い尽してしまうからだ。
兵士に倒されたケルベロスの死体さえ、塵と化して消える前に他のケルベロスが食べてしまうのだ。共食いをさせているという説に納得してしまう光景だった。
人々の悲鳴も血肉も命すらも食い散らかして進む、まさに暴食の軍団だった。
ケルベロスも厄介な魔物だが、暴食のベルゼブブもまたそれに輪をかけて厄介な相手だった。
「うっ、これは!」
「来やがった! 煙幕用意! 撤退するぞ!」
基本的に魔族の主戦力は魔物だ。魔族がいくら強くても、自ら一人一人手にかけるのでは効率が悪すぎる。
だから最前線に出て来る場合も人間側の兵士を弱体化させ、魔物の戦いを優位に進めるためであることが多い。ただそこにいるだけで戦いが優位に進むのだから楽なものだ。
しかし、暴食のベルゼブブは違う。
「オラァ! 強い奴はどこだ!」
「くっ、煙幕を張れ! 逃げるぞ!」
ベルゼブブは積極的に戦場に出て、人を殺し、喰らう。
「は、放せ! グワァァァァー!」
暴食のベルゼブブの能力は『暴食の吸収』。ケルベロスと同様、喰えば喰うほどに強くなるのだ。
魔族の持つ特殊能力のうち、強欲のマモンの『強欲の強奪』や色欲のアスモデウスの『色欲の誘惑』のように相手に影響を及ぼす能力は勇者に対しはまず効かない。
一方で、憤怒のサタンの『憤怒の一撃』や暴食のベルゼブブの『暴食の吸収』ように自己を強化していく能力は勇者が相手でも無効にはならない。
だからベルゼブブは積極的に人を喰らう。歴史上、勇者を上回るほどに強くなった例はないとしても、少しでも強くなろうと強者を求めて喰らい続ける。
実際に暴食のベルゼブブに食い殺された人間は戦死者の中の極一部に過ぎないとしても、それでもできたら戦いたくない嫌な相手だった。
◇◇◇
押し寄せるケルベロスの群れと気まぐれに現れる暴食のベルゼブブに対して守りに徹する戦場で、積極的に攻撃に打って出る一団が現れた。
それはサリオス帝国の兵士ではなかった。
「あ、あれはもしや!」
「勇者様だ! 勇者様が来て下さったのだ!」
強者を求める暴食のベルゼブブを誘い出すために積極的に戦う行為は歴史的にも何度もあったという。けれどもそんな真似をして生き残れるのは勇者だけだ。
そしてその集団の中心にいる全身鎧の人物。その手にした剣の特徴的な形と大きな理力。
「あれは聖剣! 間違いない、勇者様だ!」
実物を見たことが無くても、聖剣の形はよく知られていた。それに勇者を選ぶために多くの人が聖剣の元へと集まったのだ。直接聖剣を見たものもいるだろう。
その一団は何度か出撃しては、ケルベロスを蹴散らして一人も欠けることなく帰ってきた。勇者でないとすれば相当の精鋭部隊でもなければこのような真似はできない。
その集団を目撃した者を中心に、サリオス帝国の兵士の士気が向上して行った。
幾度目かの出撃でそいつは現れた。
身長は三メートル弱。憤怒のサタンに次ぐ巨躯だ。
真っ黒な皮膚。
真っ黒な頭髪。
全身はやはり真っ黒な体毛で覆われ、ケルベロスと同じような尾が生えていた。
そして体毛で覆われていない顔の、額から伸びる一本の角。
これが暴食のベルゼブブである。
ベルゼブブは問いかけた。
「お前が勇者か?」
「そうだ! オレが勇者クリストファーだ!」
全身鎧の男は、堂々と死者の名を名乗った。
魔族を前にして勇者を騙る者はやはり勇者――勇気ある者と言えよう。勇者を恐れた魔族が引いてくれなければ、その先に待つのは死だけである。
一方で、勇者であると思って近付いてくるベルゼブブもどうかしている。
普通の人間が魔族を倒せないように、魔族が勇者に勝てないことも歴史的に例外のない事実。
魔族は勇者との直接対決を可能な限り避け、人間に多くの被害を出そうとするのが常だった。
暴食のベルゼブブが勇者と思いつつも姿を現した理由はおそらく……
「勇者にしては弱そうだな。やはり怪我を押して出てきたのか?」
本来勇者の持つはずの圧倒的な理力が感じられなかったからだろう。
「弱っているとはいえ、勇者を喰らえばどれほどの力を得られるか。クックックッ……」
もしかすると、暴食のベルゼブブは純粋に強さを追求するタイプなのかもしれない。
「ハン、お前ごときこの程度で十分倒せるさ。」
こちらの自称勇者も自信たっぷりに返し、聖剣を抜いた。
周囲のケルベロスが、ベルゼブブに指示されたのか、やや距離を取って取り囲む。ベルゼブブは勇者と一人で戦うつもりのようだ。
勇者に随伴していた兵士達も、少し距離を取って勇者の背後から半円形に並ぶ。魔族に対して一般の兵士にできることはないのだ。
剣を構えた勇者と拳を構えた魔族が対峙する。
互いに隙を窺っているのか、なかなか動かない。
そして――
――バァーン!
銃弾は、半円形に取り囲んだ右端の兵士から放たれた。
悪魔ベルゼブブと言うと蠅の王ですが、ここではケルベロスの親玉と言う扱いにしました。
モフモフです。




