後輩との出会い
幸葵くんと一緒に途中まで帰った家には、誰もいなかった。まだ哀音も帰っていないようだ。
「はあ、楽しかったなぁ」
幸葵くんがうちの庭に興味を持ってくれて嬉しい。春子さんの緑化委員意識改革案も、実はちょっと嬉しかったりする。やっぱり仲間が増えるのはいい。
夏帆さんの態度や幸葵くんと春子さんの間のばちばち感が気になるところだが、なんとかやっていけるだろう。
花に水をやったり、土の状態を見たりしながら、みんなと花を囲むのを想像する。
楽しげな風景だった。
夏に、ちゃんと咲くだろうか、向日葵。
ちゃんと咲いたら、記念撮影しよう。幸葵くんに見せるんだ。
「そういえば、オープンキャンパスとか言ってたなぁ」
大学。
僕は進学しないことに決めている。趣味を発展させて花屋になろうと考えていた。ちょうど花屋をやっている伯父もいるから。
そう考えると、僕はやはり普通の高校生からは遠いのだろうか。
「あ、やっぱ兄貴ここいた。また妄想?」
「だから妄想っていうのやめて。実現させるんだからただの想像では済ませないさ」
それよりただいまでしょ、と哀音に微笑みかける。哀音は苦笑いを潜ませながら、小さくただいま、と言った。
「そういえばさ、哀音は将来とかどう考えてるの?」
「おれ? うーん」
中学生に答えを求めるのは難しいか、と思ったが、哀音は悩む表情から一転、名案を思いついたように手を打つ。
「兄貴と一緒に花屋やる!」
「ええ?」
不満はないが。
「それ、哀音がやりたいこと?」
「そりゃもちろん。おれがやりたいのは兄貴の傍にずっといることだもん」
ずっと、ね。
夕暮れの方に目をやりながら、苦笑混じりにこぼす。
「難しいと思うなぁ」
「やる気になりゃどうとでもなる。おれは兄貴から離れないからな」
そう言ってくれる弟は可愛いけれど、
やっぱり、難しいと思う。
ずっと一緒にいることは難しい。
僕も小学生の頃、ずっと一緒にいようと誓った子たちがいたけれど、高校進学に当たって、見事にばらけてしまった。
それに、僕らは一度転校を経験している。ずっと一緒というのが難しいのを、身をもって知っているのだ。
そう諭しても、哀音は頑として譲らない。
「おれが兄貴を守るんだ!」
「へぇ?」
「兄貴に変な虫がくっつかないように、なんか寄ってきたら、こう、ばしんと叩き落としてやる!」
「物騒だなぁ」
知的な印象の哀音とはかけ離れた幼子のような表現を微笑ましく思う。哀音は恥ずかしかったのか、わやわやと言い訳を並べ立てるが、顔が赤い。
止め……のつもりではないけれど、そこに言い足す。
「綺麗な花も虫がいないと咲かないんだよ」
哀音が唸って黙ったところで、中に入ろうと促した。
「ってかさぁ、今日もなんか匂いつけてきてんじゃん」
哀音の部屋で二人で机を付き合わせていると、哀音がふと不満そうにこぼした。
匂い、とは。本当に犬なのか我が弟は。
「あ、信じてないだろ?」
「そんなことないよ」
「馬鹿にしてる?」
「あり得ない」
「……なら、いいんだけどさ」
哀音はまだ納得していなさそうな顔で自分の手元に目線を落とす。右手がくるりと器用にシャープペンシルを回した。
宿題のプリントをつまらなさそうに見ながら、哀音が吐露する。
「……兄貴は、おれだけの兄貴だからな」
「お兄ちゃんはみんなのものです」
「違うよ。どんなに誰かの傍にいたって、おれの血の繋がった兄貴だってことだけは、変わらないんだからなってこと」
随分と複雑なことを考えているようだ。
確かに、血縁という意味での哀音の兄は僕しかいないし、僕の弟もきっと哀音しかいないだろう。それは揺るぎようのない事実だ。
だというのに何故、哀音は不安そうな顔をするんだか。
──世間には、兄弟という形が様々ある。血の繋がりに限らない。兄弟子弟弟子、ヤンキーなんかの兄貴分弟分、義兄弟だってあり得る。
哀音が不安がっていたのはもしかしてこれのことなのか? とある朝の昇降口、自分の下駄箱を見て呆然とする。
差出人は一年と書いてある。年下だ。西園秋弥というのはおそらく「にしぞのしゅうや」と読み、十中八九、男の名前だろう。
便箋である。ラブレターのようなあからさまなデザインはしていないが、男が使うにしては少し洒落た四葉のクローバーの柄があしらわれている。
内容はこうだ。
「汀相楽様
お噂はかねがねお伺い申し上げておりました。
ぼくは緑化委員の者です。
委員でもないのに貴方様が花壇のお世話をする姿に憧れておりました。
よろしければ、今日の放課後、ちょうどぼくの当番ですので、ご教示いただけませんでしょうか?
一年三組 西園秋弥」
春子さんの仕込みだろうか。
教室に着くと、やはり幸葵くんの方が早く登校していた。
今日はラブレターびりびりはやっていないようだ。少しほっとする。が……
「おはようございます、相楽」
何故だかわざとらしく見える幸葵くんの笑顔が怖い。
「お、おはよう。今日も早いね」
「ええ。相楽、お手紙ですか?」
「え、ああこれ?」
そういえば例の便箋を持ったままだった。デザインが可愛いから、ラブレターとでも勘違いしたのだろうか。
「春ですねぇ」
「今は夏だよ」
「洒落ですって」
他愛のない言葉を交わしていく。あらぬ誤解を受けないように僕は補足する。
「残念ながら、春じゃないんだなぁ。男の子からだよ」
「……へぇ」
あれ? どうして幸葵くんの目が据わっているのかな。
と思ったが、その表情は束の間に消える。
「同級生ですか?」
「ううん。一年の子みたいだよ。緑化委員って書いてあるから春子さんから何か聞いたんじゃない?」
「ほう?」
「言葉遣いも綺麗だし、悪い子じゃないと思うよ」
「ふぅん」
相槌に全く感情がこもっていない幸葵くん。どうしたのだろうか。
朝日が二人きりの教室を影絵のように切り取っていく。
なんだか気まずい。
沈黙ばかりが降り注ぐ。
「相楽、座ったらどうです?」
「そ、それもそうだね!」
何を焦っているのか、座るときにかたんと音を立ててしまった。静寂の中にやけに響く音はやはり、気まずさを生む。
こっそり便箋は机に仕舞った。
誰か早く来てくれないかなぁ、と思いながら、時が過ぎるのを待つ。
沈黙を破ったのは、幸葵くんだった。
「相楽は花が好きなんですね」
「ん、そうだよ」
意外に自然な言葉が来て、ほっとした。
「小さい頃から花屋になるのが僕の夢なんだ」
「いいですね」
微笑ましそうにする幸葵くんはいつも通りだった。さっきのは考えすぎだったんだろうか。
「夢、今も変わっていないんですね」
「そりゃもちろん。高校出たら花屋に就職するんだ」
「そしたら俺、必ず買いに行きます」
「嬉しい」
穏やかな陽光の中で、僕は笑った。
小指を差し出す。
「約束だよ?」
「はい」
幸葵くんも小指を絡めてくる。
高校生男子が指切りなんて、人前じゃ恥ずかしくてできないけれど、幸葵くんとする「約束」の形としてはいいんじゃないかと思う。
「そういえば指切りって昔の花魁がやっていた約束ごとなんですっけ。破ると本当に小指を切り落とすんです」
「幸葵くんなんでこのタイミングでそんな物騒な知識引っ張り出してくるのかな!?」
何はともあれ、指切りができたのはなんとなく嬉しかった。「そんな子どもっぽいことしたくありません」とか言われたらどうしようかと思った。言いそうだし。
とんでも豆知識披露されたけどね。
「はりせんぼん飲ますっていうのは針を千本飲ますの? ハリセンボンを飲ますの?」
「針を千本じゃないでしょうか。相楽の知識って時々斜めを走りますよね」
「ええ? 幸葵くんだって人のこと言えないよ」
「まさか。俺は知識が広いだけです」
「さらっと自画自賛」
そんな他愛のない会話を交わしているうちに、クラスメイトが登校してきて、「お前ら無駄に仲良いよな」と茶々を入れてきた。
無駄には余計だよ。
そうして一日を過ごしていく中、僕はやがて、机の中に入れた便箋の存在を綺麗さっぱり忘れることとなる。
習慣で放課後、花壇に向かう。
するとそこには一年下のバッジをした男子生徒が。ちょっと背が低く、くりっとした目をしている可愛らしい男の子だ。
気配で気づいたのか、こちらを振り向き、その大きな目を見開いて、きらきらとさせた。
「貴方がもしかして、汀相楽先輩ですか!?」
「あ、はい。えと」
期待に満ちたきらきらの瞳になんだか圧される。
聞くまでもなく、少年は名乗った。
「西園秋弥と申します。是非お会いしたいと思っておりました!」
感動もひとしおといった表情で僕の右手を両手で掴み、ぶんぶんと上下に振った。こんな漫画みたいなことを現実にする人がいたことに驚きだ。しかも年下の男子。
チャラいところは全くない。女子で言うところの清純派のような雰囲気が漂っていた。男子に向かって清純派というのはどうかと思うが、西園くんはそう表現するのに相応しい純粋さだった。
西園くんの純粋さに、ふと、懐かしさを覚える。
──二、三年前まで哀音が僕に向けていた眼差しとそっくりだ。
今でも哀音は僕に甘えてくるけれど、以前よりドライな感じというか、一歩引いた感覚になっている気がする。
部活動に特に所属することもなく──中学も高校も園芸部がなかった──先輩後輩関係を築くことのなかった僕は、西園くんという存在に新しい風を吹き込まれたような気がした。
髪の長さと背丈がちょうど今の哀音くらいだから、少し重ねてしまうところがあるのかもしれない。
「先輩、聞いたところによりますと、おうちでも花を育ててらっしゃるとか」
「うん、誰情報?」
個人情報の漏洩が著しい。
けれど彼には悪意が一切感じられないので、許せてしまう。
どうやら夏帆さん情報らしい。ぺらぺら喋るのが頭に浮かんだ。
だが、まあ、いいだろう。
花好きに悪い人はいない。
「まずはごみ拾いだよー」
和やかな雰囲気で花壇の整備を始める。当然のように捨ててあるガムやちり紙を拾って三角袋に入れていく。
西園くんが怪訝そうな顔をした。
「結構あるものですね……ひどい」
僕はもう手慣れたものだが、西園くんは拾うたびに痛ましげな表情になる。タイムロスはいただけないが、気持ちはわかる。
「こういう人がなかなか絶えないから、ちゃんと毎日整備しなくちゃいけないんだよ」
「なるほど……相楽先輩はいつも一人でやってらしたんですか?」
「うん、最近は春子さんとかが手伝ってくれるようになったけど、やっぱり大変だよ。あと、そこの植木の下とか見てごらん」
西園くんが植木を首を傾げて覗き込む。数秒後、うわ、という悲鳴が上がる。
手でわさわさとかき集めたそれはペンやら消しゴムやらの文具の他、煙草の吸殻なども混じっていた。
「なんでこんなところにこんなにものが……」
「わからないよ。でもたまに見てあげないと結構ひどいことになってるから。吸殻に関しては、教師のマナーだね」
生徒のマナーも悪いのだが、それは指導する大人である教師のマナーの悪さに起因するのではないかと僕は考えている。
けれど、緑化委員でもない僕が何か訴えたところで、どうにもならない。僕には何の地位もなかったし、地位権力に興味もなかった。
けれど、必要なことはある。
「春子さんが緑化委員の意識改革をするって言ったときに思いついたんだけど、
緑化委員のみんなにこの現状を知ってもらうことで、学校に改善の訴えができるんじゃないかなぁって思うんだ」
「なるほど! それは名案ですね」
ふむふむ、と西園くんは結構聞き入ってくれる。賛同もしてくれた。これはいい方向に行きそうだ。