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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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兄弟だから

 相楽が、知らない誰かと笑って話している。

 教室の窓から花壇を見下ろし、俺はその光景を眺めていた。胸は痛むなんてもんじゃない。許されるなら、暴れ回って教室中の机や椅子をぐちゃぐちゃにしたいくらいの感情が俺の中に凝っていた。




 こんなことをすることとなったきっかけは、今朝のことだ。

 相楽が手に四葉のクローバーがあしらわれた可愛らしい便箋を手にしていた。

 自分もそういうのを受け取ることがざらにあるから、相楽の元にもとうとう来るようになったのか、とざらついた心で認識していた。

 相楽は魅力的だ。いつも花のいい匂いを纏っているし、綺麗な鶯色の目も持っているし、笑顔は太陽のように眩しい。

 花のことを語る姿も思う姿も愛しかった。

 そんな相楽の溢れんばかりの魅力に、勘づかない方がおかしい。まあ、天は二物を与えないという格言が表す通り、相楽は特段目立つような人物にはなり得なかったが、それでもいつか誰かが気づくだろうと、俺は警戒していた。


 その懸念がとうとう、と思い、春が来たんですね、とかまをかけてみたが、どうも違うらしい。




「男の子からだよ。緑化委員なんだってさ」




 男。

 やけに胸がざわついた。女子と関わるときより、警鐘ががんがんと頭に鳴り響く。

 朝はそれとなく流したが、俺は相楽が雉撃ちに立った昼休みに、机に仕舞われた便箋を見た。




 西園秋弥。




 自動的にそれは「敵」の名前と認知した。

 言い過ぎかもしれないが、それでも俺は警戒せずにはいられなかった。




 そうして、今に至るわけである。

 ……随分と二人は仲睦まじく見える。今日が初対面とは思えないくらいだ。




「西園秋弥……」




 相楽が放置していった便箋を俺は無意識に握りしめ、西園秋弥へと冷たい視線を送った。






「っ!?」




 西園くんが不意にぶるりと震え上がる。




「どうしたの?」

「いえ、急に悪寒が走っただけで……」

「風邪かな。早く帰って休んだ方がいいんじゃ」

「いや、でも委員会の仕事中ですし」

「体が資本だよ」




 西園くんの体調が心配になって、彼の前髪を退け、額を付き合わせた。熱はないようだ。

 西園くんの頬が赤らんでいたけれど、なんでだろう?


 額を合わせた西園くんからは、霧吹き型の消臭剤の匂いがした。爽やかな香りだ。ミントかな。

 ……なんとなく匂いを嗅ぎ取ってしまった辺り、僕も哀音や幸葵くんのことは言えない。




「熱はなさそうだね」

「あ……はい」




 西園くんは未だに赤くぽやんとした様子だ。夢現というか。

 ぼんやりとしたまま、ぽつりと西園くんが呟く。




「汀先輩って、綺麗な目をしていますね……」

「ああこれ? 覚醒遺伝だーってことらしいんだ」




 よくわからないけれど、綺麗って言われるのは嬉しいなぁ。

 僕は目を細めて西園くんに笑った。




「ありがとね」




 そういえば、目のことについては、あまり褒められた記憶がない。

 人間って幸せな記憶からなくなっていくらしいから、そのせいかもしれないけれど、やっぱり褒められた記憶がないのは寂しいし、褒められると嬉しい。






 そんな僕たちを誰かが見ているなんて、思っていなかった。


 それから西園くんと水やりをして、今日は解散となった。

 最後までしっかり敬語だったものだから、少し感じている距離感の違いを悲しく思ったが、また次に一緒にやるときには敬語を外してもらうように提案しよう。

 世の先輩後輩がどうしているのか、僕は知らない。別段世の中の常識の軛にばかり囚われる必要はないと思う。せっかくできた友達と壁を作りたくはないしね。

 るんるんで帰宅すると、今日は台所に母さんはいなかった。代わりに、哀音の部屋の前で何事かを話している。その扉は、固く閉ざされていたが。




 反抗期。

 僕はなかったから全く理解できないのだけれど、無条件になんだか親が嫌になるという現象らしい。




「哀音、勉強したの?」




 扉の向こうに語りかける母の言葉は一般家庭のお母さんが口にするものと相違なかった。

 けれど、こういうのが気に障るんだろうなぁ、と思う。僕ならともかく、哀音は勉強ができて学年トップなのだから。


 人は頑張っているのに「頑張れ」と言われると傷つく。

 最近ではもはや常識だ。既に頑張っているのに、これ以上何を頑張れというのか。




 つまり、母の改善すべきは哀音への声のかけ方だと思う。




「ただいま、母さん」

「あ、相楽」




 僕を見てあからさまに救世主が来た、みたいな顔をする母。少し情けないと思う。事実、この家の中で哀音とまともに言葉を交わせるのは現在僕だけだけれども。

 僕は苦笑いを浮かべる。




「また喧嘩?」

「喧嘩ではないわ。哀音がちっとも返事をしてくれないの」




 なるほどそれでは喧嘩は成立していない。




「気がつくと部屋に篭りきりになっているから、心配で……」

「……だってさ。哀音、うんとかすんとか言って安心させてごらんよ」




 冗談混じりに言うと、数秒の沈黙を持った後、扉の向こうからぶっきらぼうな声が聞こえてくる。




「うん、すん」


 これはコメディだったのか。

 僕は噴きそうなのを必死にこらえながら、母に向き直る。




「ほら、哀音ちゃんと反応したから安心してよ」

「そうね……」




 まだ不安そうな母に一押し。




「ねね、今日の夕飯何?」

「……そうねぇ、きんぴらごぼうを作ろうかと」




 すると母は「あっ、夕飯の仕度をしなくっちゃ」と扉の前からいなくなる。

 しめしめ。

 話題を変えると流されやすいのがうちの母の特徴だ。

 僕が自分の部屋に行こうと足を踏み出しかけたとき、哀音の部屋の扉がかちゃりと控えめに開いた。小さく空いた合間から、哀音が僕を見上げる。




「兄貴、話、聞いて……」




 まだ背の低い弟。あどけなさが残る顔。上目遣い。

 うん、これで悩殺されない方がどうかしているね。




「いいよ」




 今日もまた、何かあったんだろうな、と思いながら、鞄を持ったまま、部屋に入った。


 部屋の中央に据えられた小さな卓袱台の前に落ち着くなり、哀音は僕を見てこてんと首を傾げた。




「兄貴、今日、変わった匂いつけてる?」

「香水はつけてないよ」

「知ってるよ」




 また匂いって、やっぱり哀音は犬なのか。

 しかし、今日の変わった匂いというやつには、僕も心当たりがあった。

 試しに聞いてみる。




「どんな匂い?」

「ミントっぽい。ついでに言うと消臭剤っぽい」




 ただの犬じゃないな。警察犬だな。この子恐ろしい。

 必要最小限の家具が置かれた殺風景な部屋はさして広くもないが、狭くもないはずだ。そこまで正確に判別できるほど匂いを漂わせている自覚はない。

 ……自分の匂いほどわからないものはないっていうけれど。

 まあ、疚しいことはないので、西園くんのことは話した。




「今日、後輩くんと交流する機会があってね。たぶんその子の匂いじゃないかな。花好きないい子だよ」


「……へぇ」




 哀音の目が据わっている。さて、何か怒らせるようなことを言っただろうか。後輩と楽しく過ごした放課後の話をしただけの気がするのだが……

 哀音が醸し出す冷たい空気は、どこか幸葵くんのそれに似ていた。たぶん気のせいだと思うけれど。

 ……と、呑気に弟観察をしていたら。

 哀音は徐に卓袱台を避け、僕に、


 抱き着いた。


 僕は慌てて受け止める。一歩反応が遅かったら、後ろに倒れていたところだ。弟に押し倒される兄、という絵面はなんとも情けない。

 ほっとしている僕の胸元で、哀音は頬擦りをしてくる。その姿はなついてすり寄ってくる子犬のようだった。可愛い。




 弟をペット感覚で見るのはどうかと思うが。


 哀音の頭を優しく撫でてやる。さらさらした髪は手入れが行き届いており、指通りがよく、心地よい。哀音もすりすりとしてくるから可愛い。


「……安心してよ。僕はどこに行ったって、誰と喋ったって、哀音のお兄ちゃんであることに変わりはないからさ」




 そう声をかけると、哀音はほっとしたのか体から力を抜き、僕に体重を預けてくる。

 その温もりに、僕もどこか安心していた。




「そう、だよな……」




 掠れた声で哀音が言う。




「何があろうと、兄貴はおれの兄貴だよな……譬、目の色が違ったって、おれは、兄貴のたった一人の弟で、兄貴はおれのたった一人の兄貴なんだよな……」



 

 涙に震える声に、不穏なものを感じた。

 珍しく眉間にしわが寄っていくのがわかった。




「学校で何か言われたのか?」




 声に険が滲んでしまうのがわかる。けれど、これは重大事だ。

 哀音は僕の胸元で、小さく頷いた。




「目の色が違うし、頭の出来も違うから、血なんて繋がっていないんじゃないかって……

 兄貴の目は覚醒遺伝で、頭の出来は後天的に変わるものだって論破したけど、でも、不安で……っ!」


 僕は腕の中で震える、素直に泣けない弟を包み込むように抱きしめた。

 その泣き顔を、誰にも見られないように。


 悔しかっただろう。苦しかっただろう。


 それを飲み込んで仕返しする辺りがさすがは哀音だが、それでも怖かったにちがいない。

 自分の今、最も信じている存在が否定されたなら。

 遺伝子検査なんかが手続きを踏めばさくっとできてしまう今では、血の繋がりの有無なんてあっさりわかってしまう。

 けれど、「兄と本当に血が繋がっているのか確かめたい」と哀音は言い出せなかったのだろう。確かめたいということは、疑っているということになるのだから。

 きっと、一寸たりとも、僕との繋がりを疑いたくなかったにちがいない。




「怖かったね、辛かったね。──よく、頑張ったね」




 僕は哀音の背中をさすりながらそう告げた。

 哀音は、声を殺して泣きじゃくった。

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