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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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夢現

 夢を見ていた。

 いつも靄がかかって見えない過去の夢を。

 夢の中で僕は色んな人に囲まれて、よく笑っていることが多かった。誰と話したかまでははっきり思い出せないけれど……




 夢は、闇は、今日は深く深くなって──






 目が覚めて、最初に見たのは白い天井。清潔感のある白はすぐに病室を連想させる。それをなんとなく不思議に思いながら僕が目を覚ますと、ぴっ、ぴっ、という定期的に義務のように刻まれる電子音がした。何の音だろう、と起き上がろうとして、上手く動けないことに気づいた。

 拘束されていたわけではないが、長く眠っていたらしいから、体が「動くこと」に鈍っていたのと、とつとつと僕に繋がれている点滴の管、心電図の管が僕の行動を妨げていたらしい。

 だが、僕以外の人物にとっては僕が動くことはどうでもよかったらしい。目を覚ましただけで充分だったようだ。

 傍らにいた弟の哀音が、僕と目を合わせた瞬間、ぶわりと泣き出したから。


「兄貴、兄貴、よかった……」


 普段はポーカーフェイスなところのある弟の哀音が、久々に感情の奔流を見せて、兄としてはなんかほっとした。と同時、心配させてしまったという罪悪感が湧いた。

 上手く動けない中で傍らに伏して泣く弟の頭をどこかぎこちない仕種で撫でると、弟は更に泣いた。


 どうやら僕は昏睡していたらしい、というのはわかった。しかも、そこそこに長い期間。でなければ弟がこんなに表情を歪めることはあるまい。

 僕は持病はないから、外的原因で倒れたのだというところまでは推測できたけれど、それ以上は目覚めたてだからか頭が足りない。まあ、頭が足りないのはいつものことのような気がするが。

 泣きじゃくる弟を宥めながら、原因を考えてみる。倒れる直前、何があったかを。思い出そうと頭を働かせた、が。




 途端に目眩がした。


 頭が痛い。くらくらする。立ち眩みにでも遭ったみたいだ。立っていないけれど。

 僕は頭を抱えて踞る。哀音が不安そうに顔を上げたのを視界の隅で捉えたのが最後、僕はまた意識をふっつりと途切らせた。




 意識の底は暗い暗い闇の中だった。

 本でよく見る表現だし、そんなものなんだろう、と軽く考えていた僕に突然ばちんと光が見えた。

 それは映画のテープの映像を流しているようなものだった。映写機がからからと回り、音もなく、映像だけを僕に見せてくる。その中には当然のように僕がいて、

 もう一人、幸葵くんが出ていた。

 まだ二年の付き合いだけれど、そこそこに交流のある彼。前後の席という、隣の席とはまた違った関係性を僕は好んで、彼といる日々を過ごしていた。そんな、なんでもない日常の映像。




 それが途端に流転する。

 僕は教室の床に叩きつけるように、押し倒されていた。


 記憶がフラッシュバックしただけだというのに、頭には鈍痛が走った。

 僕は、幸葵くんに押し倒されて、それから、それから……


「ぐ……」


 思い出そうとすればするほどに両の瞳から涙が零れ落ちていく。何故だかはわからない。ただただ悲しかった。

 そう、押し倒されて、僕は初めて、彼の想いに気づいたんだ。それで、自分がどれだけ鈍感だったのか、思い知らされた。

 ちゃんと話せば、想いは通じたというのに、僕が気づかなかったばかりに、幸葵くんに罪を着せてしまった。




「好きだ……好きなんだよおっ、相楽……!」




 泣きながら彼がこぼした独占欲を、僕は首が絞められるままで、受け止める言葉を発することができなかった。




 僕も、好きなのに。




 そう、意識のなくなる間際に思ったのは、やけに鮮明に覚えていた。


「は、はは……」


 僕の口から乾いた笑いが零れる。思い出した。思い出したよ、自分の愚かさを。


 何故、ここに彼がいない?

 何故、僕は昏睡していた?

 誰が、哀音を泣かせた?

 誰が幸葵くんを泣かせた?


 悪いのは、全部僕じゃないか。他人の気持ちを省みなかった僕のせいじゃないか、みんな、 みぃんな……


「う、ふくくっ……っあっ」


 僕に繋がれた管を無理矢理に引き千切る。哀音が目を見開いて固まり、機械が異常を感知して警告音を出す。そんなことなど関係なしに、僕は管を抜いた。

 自分を縛る管から解き放たれた。


 さあ、解き放たれたなら、もう、死んでしまおう。

 大切な人に罪を負わせて、大事な弟を泣かせた。そんなやつなんかいらない。

 だから、死んでしまえ。

 いなくなってしまえばいい。この世のどこにも、塵も残さず。


 僕は点滴を倒すような雑な歩き方で、屋上に向かった。


「兄貴っ」


 哀音が羽交い締めをしてきた。それを振り払うように言葉を吐く。


「少しは僕を自由にしてよ」


 そう言って笑うと、哀音は怯えたようにびくりと震え、畏怖を含んだ眼差しで僕を見た。

 弟、として、兄を束縛している自覚はあったのだろう。僕もそれは気づいていた。気づいていて、今まで黙っていたのだから、これくらいの言葉は許されるだろう。

 ……哀音は僕から手を離してしまった。

 自分は残酷な人間だと思う。弟の好意さえ利用しようという狡猾な人間だ。……こんな人間を好きになんてなってくれなくていいのに、みんな、どうかしている。


 いや、みんなをどうかしていると揶揄するのは筋違いか。おかしいのは僕の方なんだから。



 裸足で歩いていた僕は、誰にも追いつかれないようにと次第に足を早めて、階段に差し掛かった。


 階段を駆けていく。さすがに目覚めてすぐだから、そんなに体力はなかったけれど、ぜぇぜぇ言いながら登っていった。

 屋上の扉には、当然のように鍵がかかっていた。えい、と力業で思い切り開ける。すると、ばきいっという快音がして、扉が開いた。転がるように屋上に飛び出た僕は、青い青い空を見上げることになった。泣きたくなるくらいに、空は青くて、雲一つない。

 こんな天気のいい日に死ねるなんていいな、と僕は口角を吊り上げた。それは些か歪んだ笑みだったかもしれない。でも、誰も見ていないからいいじゃないか、と僕は笑って、よろよろとフェンスに向かう。次は落下防止用であろうそれを落下するために乗り越えなくてはならない。

 重労働が重なるが、まあいいか、と僕は適当なところからよじ登り始めた。

 少し大きい穴に引っ掛かって、足がじくりと痛んだが、気にしない。


 フェンスは思ったより高い。体力が保つかな、とは思ったが、火事場の馬鹿力とかいうやつで頑張ってやろう、と登っていった。

 力尽きるなら、フェンスの頂上がいいだろう。あそこがこの病院で一番高いところだ。

 快晴の青い空の下で、そこそこに美味しい空気を吸って迎える最期。──うん、悪くない。

 幸葵くんが首を絞めたからとか、そんな理由じゃなくて、僕は自主的に死ななくちゃいけないんだ。

 あとの人に、大切な人たちに罪を着せないためには。




 そんなことを考えながら登りきったフェンスの頂上はやけに清々しかった。これで、死ねる。

 そう思ったら、力が抜けて、意識が混濁してくる。まずい、落ちるな、と思うところだが、全然まずくなんかない。僕が死ぬだけなのだから、問題なんてありはしない。

 僕は闇に身を委ねた。




 遠くで、誰かの声がした。

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