再びの過ち
「おかえり」
「……」
あれ?
なんだか幸葵くん、むっすりしている? 怒らせるようなことをしただろうか。笑顔で出迎えたつもりなのだが。
それとも。
「遅かったね。何かあった?」
「いいえ、何も」
答える声が冷たい。高校時代の、まだ出会ったばかりのときのようなつれなさだ。
どうしたんだろう? と思いながら、全部の シャッターを閉め、住居スペースに入る。
気まずい沈黙。
なんだかいたたまれなくなって、お茶でも淹れようか、と立ち上がりかけたとき、沈黙を守っていた幸葵くんがようやく口を開いた。
「女の子と、随分親しげでしたね」
「まあ、お客様だからね」
あっという間に途切れる会話。増すばかりの険悪な雰囲気に僕はあたふたとしようとしてやめた。なんだか場違いだ。
すると、そこにぽん、と一つ何かが放られた。
それはリナリアの花束だった。
リナリアの花束。花言葉は「この恋に気づいて」
なんとも告白向きの花言葉である。
「これがポストに投函されていました」
……その意味くらいは察することができる。
誰かが僕にとてつもなく間接的だが、告白をしてきたということだろう。誰なのかはてんで見当がつかないが。
「変わった人もいたもんだねぇ。こんな一介の花屋に惚れてくれるなんて」
けれど、僕には今、幸葵くんがいる。
幸葵くんに対する「憧れ」という気持ちが「恋」に相当するものなのか、確証は得られないけれど、幸葵くん以外からの恋のアプローチは受け取らないと断言できる。
だから、大丈夫だと思っていた。
世界が流転するまでは。
かたーん、という、昔聞いたような椅子の倒れる音と、床の固さにぶつかる頭。乱雑に倒された僕の首には17年前を想起させる体温が巻きついていた。
「相楽は、本当にわかってない」
静かな中で僕の首を絞め上げながら、幸葵くんが滔々と語る。
「相楽は何にもわかってない。相楽がどれだけ魅力的か、どれだけ人を惹き付けるか。全くわかっていやしない。
だから、他人を見てほしくないのに、他人に見てほしくないのに。相楽のその笑顔は人を幸せにするけれど、それは、俺に向けてほしいのに、俺だけに向けてほしいのに、俺以外に向けないでほしいのに……!」
一息でそこまで言うと、幸葵くんの手の力はぎちぎちと僕の気管支を蝕み、呼吸を遮る。僕に言葉を紡がせないどころか、息をすることすら許していないような……
けれど、そこで僕の中に沸き上がったのは、怒りでも悲しみでもなく──愛しさだった。
幸葵くん、また泣きそうな顔をしている。17年前のように。
きっと、17年前のあの表情も今日と同じで僕のせいだったんだ。
そう思うと、愛しかった。
だから、僕は自分の首が絞まることも厭わず、幸葵くんの体を引き寄せた。
僕の上に跨がり、苦しそうな顔で僕の首を絞めるその体を抱きしめた。けほ、と咳が零れる。
思いがけないことだったのか、幸葵くんの手が緩み、僕の首からするりと外れる。幸葵くんはされるがまま、僕に抱きしめられていた。
僕はその温もりを愛しむように抱きしめて、背中を撫でた。声になったかはわからないけれど、ありがとう、と囁いた。
こんなに想われることが幸せだとは思わなかった。そんな幸せを教えてくれたことに僕は感謝した。
首を絞められたとか、殺されかけたとか、僕には関係ない。
僕は僕を想ってくれる人がいるだけで嬉しいし、それが幸葵くんであるなら、尚のこと嬉しい。
掠れた声でそう紡ぐと、緊張していた幸葵くんの体が弛緩し、温もりと共にその重みが僕を包んだ。
彼は嗚咽しているようだった。
「17年前の過ちですら許さなくていいのに……
あまつさえ、また同じ罪を繰り返す俺を、君は許してくれるというんですか……」
涙と共に服に染みてきた言葉に、僕は間髪入れず、もちろん、と頷いた。
それを聞くと、彼は泣いてしまった。最初はおろおろと戸惑っていたけれど、泣き声を聞いているうちに、いいんじゃないか、と思えてきた。
臆面もなく、声を上げて泣きじゃくる幸葵くん。出会ったばかりの18年前からはとても想像できないほどの感情の発露。
幸葵くんはこうやって、感情を自分の中に押し込めてしまうから、行動が極端になってしまうんじゃないか、と考えた。
それなら、たまには声を上げて泣くのだっていいじゃないか。
それを聞けるのは、僕だけの役得。……なんてね。
……と、泣きじゃくる幸葵くんを介抱していたのはいいのだが。
斜め上に見える時計は、夜の8時が過ぎたことを示していた。そろそろさすがに晩御飯の準備をした方がいいように思う。
ここで問題。
「う、動けない……」
結構な時間、同じ姿勢で固まっていたせいか、動けない。体が、つったのとはまた違う感じで、強制的に動けなくされている、みたいな。
「ごめんなさい、重かったですよね」
ようやく落ち着きを取り戻した幸葵くんが退いてくれても、なんだかしばらく上体を起こすことができなかった。
「ごめん、なんだか動けないや」
「いえ、仕方ないです。俺、首絞めた上に乗っかってたし……」
そんなに罪悪感を感じなくてもいいのだが、幸葵くんはお詫びにと台所に立ってくれることになった。
幸葵くんの手料理とは楽しみである。
なんだか相楽が動けなくなってしまったようで、俺は申し訳なくなりながら、台所に立つことにした。二晩もお世話になる上、色々面倒な俺の気質の部分を相楽はいとも容易く受け入れてくれたのだ。これくらいじゃ礼には足りない。
相楽をソファまで運ぶと、相楽が「ごめんねぇ」とへらりと笑った。そんなに申し訳なさそうにする必要はないのに。今日のことは嫉妬を募らせ、爆発させてしまった俺が全面的に悪いのだ。
実を言うと、俺は午後には帰ってきていた。どうやらクリーニング屋の由良さんが俺と哀音くんが鉢合わせないように調整してくれたらしく、午前中いっぱいお茶に誘ってくれた。
そうして午後、哀音くんと出会さないように帰ってきた俺の目に飛び込んできたのは、想像以上に繁盛している相楽の店。
どのタイミングで入っていったらいいだろうという悩みをうやむやにしたくて、携帯端末を弄っていたら、あるインスタだかSNSだかが出てきた。
そこに写っていたのは、花に囲まれ幸せそうに笑う相楽の写真だった。
その写真はいくつかあった。色が抜けた髪に覚醒遺伝の鶯色の美しい瞳。日本人離れした相楽の容姿は人目を惹いたようで、女子高生と思われる投稿に、何枚もその端麗な写真が載っていて、拡散されていた。
その事実に俺の心の奥に仕舞い込んでいた感情が疼いた。
相楽は、俺だけのものなのに。
17年前から変わらずある、俺の相楽に対する恋愛感情であり、粘着質な執着気質。
封じてきた感情が溢れてきて、路地裏で一人耐えるのに苦しんだ。
そんな俺に止めを刺したのは、薔薇を買いに来た少女との親しげな会話と、郵便受けに丁寧に差し込まれたリナリアの花束。
相楽が好かれるのはわかっていた。
けれど、それが引き金になって、俺は耐えられなくなって、また17年前のように相楽の首に手をかけてしまったのだ。
でも、そんな俺を、相楽は優しく受け入れてくれた。
俺は神様なんか信じちゃいないけれど、このときばかりは感謝した。
やっと想いが通じたんだ、と俺は満たされたのだ。




