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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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名前は選べない

「毎日これの相手とは……お疲れさまです」

「ありがとよ、弟くん」

「さりげなく先輩を『これ』って言った! ひどいぞかなくん」

「食いながら喋るな」




 和気藹々とした空気の中で繰り広げられる会話にほのぼのとして笑う。こんな日常みたいな会話が楽しい。

 哀音と秋弥くんが作ってきたサンドイッチも美味しいし。




「腐れ縁って言ってたけど、二人はどのくらいのときからの付き合いなの?」

「んー0歳」

「えっ」

「誕生日近いんだよ。同じ産婦人科で生まれた」

「ええっ」




 それだと名前がおかしくないだろうか。

 春子さんが春の子どもで春子。

 夏帆さんが夏の帆で夏帆。

 季節に合わせてつけられた名だと思ったのだが。

 すると春子さんが渋面を浮かべる。




「あたしの名前は親がフィーリングでつけたんだよ。あたしの顔が『はるちゃんっぽい』っていう理由で」


 それは……ひどい。

 春子さんは少々視線を外しながら罰が悪そうに続ける。




「だから誕生日は春だと思われているみたいでな……夏生まれと言いにくい」

「夏休みの中盤くらいだよ。一日違いなのなー」




 少し落ち込む春子さんとお構い無しな夏帆さん。春子さんが夏生まれなのは驚きだった。

 秋弥くんががっくり肩を落とす春子さんを慌ててフォローする。




「だっ、大丈夫ですよ、ぼくの秋弥って名前だって秋って入ってますけどぼくは春生まれですし!」

「へぇ、ちなみに由来は?」

「代々親から字を一つもらうという決まりがあって」

「立派な決まりじゃないか。こちとらフィーリングだぞ、フィーリング」




 まずい、ますます落ち込んでしまった。上手くいかなかったフォローに秋弥くんがあたふたする。ついでに言うと、僕もあたふたした。

 そんな謎の窮地を救ったのは、哀音の一言だった。




「名前は選べないっすよね。おれなんか哀しい音ですよ」


 悲しげに笑う哀音に僕は言葉を失う。さすがの夏帆さんも軽口は叩かなかった。




「うそ……かなとっていい響きなのに、そんな字……」




 夏帆さんが目を見開いている。その話に僕は顔を背ける。




 哀音の名前がそんな字になったのは、僕のせいだからだ。




 親が相楽の文字と対になるようにと選んだのが「哀しい」だったのだ。

 何故楽しいの対義語を選んだのかは知らないが、その話を親に振ると罰の悪そうな顔をする。

 名前を選べないとは、哀音も上手いことを言ったもんだ。親が選べないのと同じ。自分で自分を名付けることなど、できはしないのだ。




 いつの間にか、昼食の手が止まっていた。皆、静止画であるかのように一様に動かない。時が止まってしまったかのようだ。

 そんな止まった時間を動かしたのは哀音だった。珈琲でも淹れる、と立ったのだった。慌てて春子さんが手伝う、とついていった。


 僕と夏帆さんは隣に座っていた体温がなくなり、なんとなくむず痒くなる。

 まさかこんな空気になるとは思っていなかった。




「ごめん、話題選択を間違った」

「ええっ? 汀先輩は悪くないですって!」




 謝る僕を必死で宥めてくる秋弥くん。夏帆さんが珍しく困ったような表情になった。

けれど、やがて、




「ったく、親ってばデリカシーがないんだから」




 とからから笑った。




「春子も哀音もいい名前だし、それでよくない?」




 そう言って笑える辺りが非常に夏帆さんらしかった。

 もぐもぐとサンドイッチを頬張る。話題を変えながら。




「にしてもこれ美味いよねー。なんだっけ? ミモザサラダ風?」

「ミモザって花の名前にもある! 可愛い花なんだよー」

「ミモザサラダというのは茹で卵を賽の目というか、花みたいに刻んで混ぜたやつで」

「詳しいね、秋弥くん」

「かなくんもにっしーもきっといいお嫁さんになるよ」

「そうだねぇ」

「そ、そうですか?」




 ツッコミが不在の重篤な会話。


 相楽たちが混沌としている頃。




「ふえー、相楽ん家って珈琲豆挽くところからなの? 本格的ー」

「親父が珈琲好きだから。無駄に凝るんすよ。このミル付のメーカーもいくらしたんだか……」




 お袋がこの機械見たときにいくらしたのよ!?と珍しく夫婦喧嘩になったのを思い出しながら話していた。

 だが、ふと春子さんに目をやると顔を俯けていた。




「悪かったな、変な空気にして」




 そんなことを気にしていたのか。

 まだ背の低いおれでは兄貴と同じくらいの背丈のこの人の頭には手を目一杯伸ばさないと届かないが、どうにか撫でた。

 撫でられたことに驚いたのか、はっと顔を上げる。必死に手を伸ばしているのはダサい気がしたため、下ろした。




「気にする必要はないっすよ。おれ、この名前、ちょっと気にいっているから」




 何故、と問いたげな瞳に答える。




「おれが生まれた日、親父が道端で竜胆の花を見つけたんです」


 竜胆の花言葉は、




 悲しんでいるあなたを愛しています。




「花言葉が由来だなんて、花好きの兄貴を持つ身としては嬉しいじゃないですか」




 そう言っておれは、笑ってみせた。

 すると、春子さんも笑った。




「血は争えないってやつだな」




 今度は春子さんがおれに手を伸ばした。兄の手より指が長い、綺麗な手が、おれの頭にぽんと置かれ、それからわしゃわしゃと乱雑におれの頭を撫でた。




「ちょ、先輩」

「……手が暇だ。ここは心地いい」




 ちょっと横暴な台詞にも聞こえたが、まあ悪くないかな、と思って身を委ねた。

 あまり人の頭を撫でたことがないのだろうか。撫で方が不器用で、おれの髪がぐしゃぐしゃになったが、まあそれも、なんだか許せた。




 珈琲が入る10分くらいの間、そうしていた。


 その一日は楽しかった。

 夏帆さんの宿題は、結局本人の集中力が続かず、途中で終わりになってしまったが。

 夕方、といっても日が長いため、まだ明るいうちに今日の勉強会はお開きになった。




「またやりたいな」

「勉強会は勘弁」

「汀先輩の育てた花、もっと見たいです!」




 純粋な秋弥くんとは対照的に、春子さんはにやりと擬音がつくような、人の悪そうな笑みを浮かべ、肘で夏帆さんをつつく。




「夏帆の赤点回避勉強会っていうのもありだね」

「なああっ、春子ひどい!!」

「でも赤点ばっかり採ってると進級できなくなるよ」

「いいもん! そしたらにっしーと同級生だ」




 都合よく秋弥くんに抱きつく夏帆さん。秋弥くんは突然の彼女の行動に、ひょえ、と奇声を上げていた。

 その様子に春子さんは、自分の背丈を存分に使って見下ろすように夏帆さんを眺めてほほーん、と挑戦的に告げる。




「つまりあたしはいらないと」

「……いる!」




 春子さんにも抱きつく夏帆さん。二人は仲がいいのか悪いのか。

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