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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
18/67

険悪

 時間はちょうど正午。太陽がほぼ真上に行くのは正確には午後2時くらいだけれど、この時間でも結構向日葵は上を向いている。




「わあっ、すげぇ」

「夏帆、語彙力」

「いや、語彙力失ってもおかしくないですって……」




 庭の一角に咲き誇る向日葵を見て、三人は各々の反応を示していた。春子さんの台詞が夏帆さんへのツッコミになってしまったのはきっと習慣だからだろう。春子さん自身は魅入っていた。夏帆さんも感動している。本当に感動すると人はちょっと静かになるらしい。


 自分が育てた花が、人を魅了している。その事実が僕には誇らしかった。

 花を育てるというのは大抵自分のためなのだと思っているけれど、人に見てもらうことに、僕は喜びを感じていた。

 やっぱり僕は花屋に向いているんじゃないかな、と個人的には思う。


「にしてもさあ」




 一分ほど続いた沈黙を破ったのは夏帆さんだった。その目はじっと、太陽を見つめる向日葵に注がれていた。




「こうも見事に全部上向くもんかね」

「事実向いてるでしょうが」




 春子さんがコンマも入れずに突っ込む。

 そこに哀音が口を挟んだ。




「向日葵が太陽を向くのは、向日葵がかつて、太陽の神アポロンに恋した乙女だったから」




 何々、と夏帆さんが興味深げに突然語り出した哀音を見る。春子さんは頭の上に疑問符を浮かべていた。

 秋弥くんは知っていたようで、相槌を打つ。




「ギリシア神話ですね。確か、その少女は太陽のところから事故で落ちてしまったんですよね」

「そう。落ちてから花にされた少女は一途に太陽を見つめ続けているのさ」




 ひょえー、と夏帆さんが二人の蘊蓄に感嘆をこぼす。




「毎日首が疲れるな」

「夢のないことを言うな」


「しっかし、弟クンもにっしーも詳しいね。ロマンチスト?」

「ロマンぶっ壊した直後によく言えたな、夏帆」




 夏帆さんが空気感度外視なのは通常仕様のようだ。

 夏帆さんに褒められた(?)二人の反応はまちまちだった。秋弥くんは照れ笑い、哀音は別にこんなの大したことないですよ、とつれない。

 哀音の知識量からしたら、確かにこんなのは大した知識ではないのかもしれない。ただ、知っているという事実は誇るべきだと思う。




「結構神話とかに由来する花の話は多いですよ。有名なところだと、水仙のナルキッサスの話とか」

「ナルシストの語源ですね」

「え、何それ何それ、弟クンとにっしーだけわかり合ってるのずるい」

「あー、あの話か」

「春子もわかるの!?」




 頷く春子さんにがっくりと肩を落とした後、最後の希望と言わんばかりに夏帆さんは僕を振り仰いだ。

 だが、残念。




「僕の花好きを舐めたらいけないよ?」


 夏帆さんが愕然とした表情になる。




「さがらんまで知っているとは……どれだけ有名な話なんだ……」

「失礼な。まるで僕が頭悪いみたいじゃないか」




 どこかの神童さまのような出来ではないが、頭は悪いと謗られるほどではないはずだ。

 その証拠にナルキッサスの話をかいつまんで説明してみせる。




「ナルキッサスもギリシア神話の人物で、とてつもない美少年だった彼はある日湖に映った自分の顔に惚れて、それを追い求めた結果湖に落ちて死んだんだ。それを憐れに思った女神さまが彼を花にした。それが水仙」

「自分の顔に惚れるとかマジヤバいんだけど。どんだけナルシー」

「だからナルキッサスがナルシストの語源。そして水仙の花言葉は『自惚れ』だよ」

「なんと」




 上手い具合にできてるんだねぇ、と答えた夏帆さんは、果たして本当に理解したのだろうか。


 こちらでわいわいやっている間に、秋弥くんはあちこちから向日葵を見て回っていた。興奮しているのか、顔が上気し、動きが忙しない。よく見ると茎の太さやら土の質やらまで確かめているようで、誇らしさより気恥ずかしさが勝った。

 けれどそんな僕の心情などつゆ知らず、秋弥くんは愛しげに地面を撫でて言う。




「本当、向日葵っていいですよね。直向きで……」




 何か、思い入れがあるのだろうか。

 僕はそう思って眺めていたが、珍しく春子さんが茶化す。




「そうやってるとなんか変態っぽいぞ」

「ええっ、そんな、先輩、思っても言わないでくださいよぉ」




 秋弥くんは半泣きだ。きっと無意識に土に触れているのだろう。そんな彼の自然体を僕は好ましく思っていた。

 さて、そろそろ戻りますか。


「えー、もうちょっと見ようよー」




 中に入ろうと促すと、夏帆さんが駄々を捏ね始めた。春子さんが冷えた視線を送る。夏帆さんだけ宿題が終わっていないこの状況。絶対勉強に戻りたくないだけだというのが見え透いていた。

 それを察したのか否かは不明だが、哀音が別なことを切り出す。




「お昼食べません?」

「食べる!!」




 尾を振る犬の如く、話に飛びつく夏帆さん。じゃあ中に入りましょうという哀音の提案に異議もなく従う。どうやら哀音はたった数時間で夏帆さんの扱い方を覚えたようだ。

 一人でカバーするのが大変だったらしい春子さんが胸を撫で下ろすのを見た。幼なじみと言っていたから、もしかしたら小さい頃から夏帆さんのこの調子に付き合っているのかもしれない。本当にお疲れさまという他ない。




「ところで、昼食ってどうするの?」

「おれが作ります」

「うわぁ、女子力」

「だから何故あたしを見るんだ夏帆」


 もはや恒例になってきた光景を見ながら、僕は食卓の周りの椅子を勧める。うちは父、母、僕、哀音の四人家族だから、ちょうど椅子は四つある。……ん? 四つ?




 よく考えてみよう。今家にいるのは、僕と哀音と、お客さんの、春子さん、夏帆さん、秋弥くん。

 ……五人だ。

 僕が一人、焦っていると、哀音がさりげなく耳打ちしてくる。




「ほら、ソファの方に」

「あ」




 なるほど、盲点だった。

 リビングにはL字型のソファが置いてある。その前には低めだが、テーブルもある。ソファは大きいから、みんなで座れるだろう。

 弟の策を採用し、僕はなんとか春子さんたちにソファを勧めることに成功した。春子さんたちも不自然には思わなかったらしく、春子さんはL字の片端に、夏帆さんはその隣に座った。

 L字の曲がっている辺りに秋弥くんに座ってもらおうと思ったのだが、止める間もなく、哀音の手伝いに行ってしまった。お客様だからいいのに。


 おれは台所に入り、調理の準備をしながら、おれを追って入ってきた人物を一瞥する。

 西園秋弥。こいつがこちらに来たことに、驚きはない。先程庭にいる間に、後で話がある、と誘ったのはおれだったから。

 手伝います、と自然におれの行動から推測を立てて調理器具を準備するそいつとは、今日が初対面のはずなのに妙に息が合っている気がしてなんだかむず痒い気持ちになった。




「それで、お話ってなんですか?」




 作業をしながら問いかけてくる。表情は生真面目なものだった。

 おれは兄貴に不機嫌そうと評される無表情で応じる。




「兄貴のことだ」

「汀先輩の?」




 心当たりはないようで、目を丸くして首を傾げる西園。その所作がなんだか気に食わなくて、口調が荒くなる。




「兄貴にあんまりべたべたすんなってこと」




 ぶっきらぼうにそう言うと、西園はきょとんとした後、やけに朗らかに笑った。


 西園は笑って返してくる。




「お兄さんのこと、お好きなんですね」




 少し、動揺した。

 サンドイッチを作るためにパンを切っていたパン切り包丁を取り落としそうになり、慌てて手に力を入れる。

 会って数時間そこそこのやつに、見抜かれたのかと思った。






 おれの兄貴に対する、親愛を越えた感情を。






 そんなわけないのに。こいつはろくすっぽ互いのことも知らないほとんど他人の人間だ。見たところ素朴な雰囲気で、勉強を見た感じでも「普通」という印象だ。

 そんな普通のやつに一発でおれの「異常」が見破られるなんてあり得ない。




 そう思った通り、西園はおれの動揺に気づいた様子もなく、「サンドイッチですね」と昼食作りを手伝っていく。

 少し、おれは後悔した。こんな人畜無害そうなやつを一瞬でも疑って敵と見なしたなんて。




 兄貴に変な虫がつかないように、なんて言い訳だ。






 本当はただ、兄貴と親しいやつに嫉妬しているだけなんだ。


「さがらんの弟ってイケメンだよねー」




 そう切り出したのは、暇を持て余した夏帆さんだった。

 唐突な話題に、僕はどう切り返していいかわからなかった。故に、咄嗟に出た一言はこの上なく奇妙なものとなった。




「なぁに? 哀音に気でもあるの?」

「いや、そういうことじゃなくて。フツーにイケメンだなぁって思っただけっていうか」




 少し棘を孕んだ僕の返しに、夏帆さんは戸惑った様子を見せる。茶々入れによく動く口が言い淀んだ。

 春子さんが呆れ顔でフォローのようなことを言う。




「ほら夏帆、考えなしで言うから話題が発展しないんだよ」

「なっ、春子はそもそも話題を作る努力しないじゃん! そんなのにダメ出しされたくないね!」

「話題が浮かばないんだから仕方ないだろ」




 普段は仲良さげな雰囲気の二人の間に暗雲が立ち込めてくる。


 険悪な雰囲気になっていく二人。




「そもそも話題を広げようとしないから春子は友達少ないんだよ」

「だったらあんたは多いのか」

「春子よりは人脈広いですー」

「どうせ、間違った日本語とか使って恥ずかしい思いとかしてるくせに」

「んなっ、春子がいなくたって喋れるもん」




 といった具合に口論になってきている。

 幼なじみのじゃれあいというにはちょっと二人の口調が厳しくなってきている気がするんだが……




「じゃあ夏帆はあたしがいなくてもいいってわけ」

「そうだね、口うるさい小姑を好く人がいたら会ってみたいわ」

「ほぉ?」

「ちょ、ちょっと二人共落ち着いて」




 さすがに仲裁に入った。いくらなんでも言い過ぎだろう。

 そう思って割って入ったのだが、春子さんはぎろりと睨んできて、夏帆さんはそっぽを向いた。


「相楽が困ってるじゃないか夏帆」

「春子が悪いんでしょ。春子が謝ればいいじゃん」

「そもそもお前に端を発した喧嘩だろうが」

「喧嘩に発展させたのは春子」




 二人の機嫌はみるみる悪くなっていく。夏帆さんは案外何食わぬ顔で辛辣なことを言うらしい。

 もうどうやって止めたらいいものやら。

 険悪な状態のまま数分が経って、哀音と秋弥くんが戻ってくる。どうやらお昼はサンドイッチらしい。…… が、秋弥くんは雰囲気を察し、戸惑っている。

 一方、哀音は無表情だ。状況がわかっているのだろうか?

 僕の疑問はよそに、哀音が口を開いた。




「うちの兄貴を困らせてるのは一体どこのどいつですか?」




 にこやかな問いかけ。完璧なまでの綺麗な笑顔に、一同の顔がひきつる。その笑顔から発されるのは和やかさなどではなかった。

 怒髪天を突く怒りである。


 哀音の表情と、台詞に滲み出た険悪さに、春子さんも夏帆さんも気勢を削がれたらしく、ええと、と言い淀んでいる。




「兄貴を困らせるならどうぞお引き取りください。おれは兄の友人であろうと報復には抜かりないつもりですので。兄と友人のままでいられると思うなよ?」




 最後の挑発的な言葉が空気を凍らせる。

 だが、ようやく僕が口を開ける場面が回ってきた気がした。




「哀音、言い過ぎだよ」

「……兄貴」




何 か言いたげに僕を見てくるけれど、哀音はそれ以上は何も言わない。




「みんなでお昼食べるんでしょう? 喧嘩なんてしてたら哀音と秋弥くんがせっかく作ってくれたものが美味しくなくなっちゃうよ」




 すると二人は閉口し、少し考えてから軽く僕に頭を下げた。




「ごめん」




 二人の声は揃っていて、とても先程まで言い争いをしていたようには見られなかった。




 哀音はこれを狙っていたのだろうか。


 口喧嘩は見事に止んだ。哀音が僕が場を収める言葉を発しやすいように仕組んだのなら、なかなかの策士だと思う。


 春子さんが改めて謝ってくる。




「ごめんね。つい熱くなって」

「まあ、そういうこともあるでしょ」

「さがらんまじ天使だわ。でもあんまり気にしないでー。アタシと春子の喧嘩はよくあることー」

「え、あのレベルで?」




 ぎょっとして二人を見ると、二人はこくりと頷いた。

 春子さんが苦笑気味に続ける。




「幼なじみで腐れ縁だし、こんなことは一度や二度じゃないさ。でも止めてくれてありがとう」




 そこに哀音が視線を突き刺す。




「次はないですからね」

「わかったわかった」




 春子さんが苦笑いし、夏帆さんが「マジ卍ー」と意味不明なことを言っている。哀音は呆れたように溜め息を吐いた。

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