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青い景色に空いた穴  作者: 香久山ルイ
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勉強会

 向日葵が咲いているうちに、と勉強会は夏休みの初期に催された。

 哀音がやたらもてなし用の準備に励んでいたけれど、勉強は大丈夫なのだろうか。準備は哀音がやってくれるので、こちらは楽といえば楽だが。

 仕事には残念ながら夏休みがないようで、平日の昼間、両親は仕事でいない。

 母がしきりに「皆さんによろしくね」と会ったこともないのに言っていた。僕が友達を連れてくるのは初めてだし、哀音は友達を作らないし、だから、親戚以外の人様がうちに上がるなんて初めてなのかもしれない。会うわけじゃないのに母がやたらと心配していた。




 かくして、その日は来る。




 ぴんぽーん




 なんだか間延びしたような呼び鈴。さては押したのは夏帆さんか、と阿呆なことを考えながら出ると、なんと当たって、夏帆さんが呼び鈴を連打せんと構えて春子さんに手刀で突っ込まれていた。

 秋弥くんが折り目正しくお辞儀する。




「お邪魔します」


「いらっしゃいー」




 笑顔で三人を迎え入れる。

 春子さんはきょろきょろしながら、夏帆さんは自宅のように何の構えもなく、秋弥くんは靴を整えたりと各々の有り様で上がってきた。




「なんかいい匂いする」

「だよねー、相楽っぽい花の香りー」

「そう言われると、照れるなぁ」




 花の香りが僕っぽいと言われるのはこの上ない誉れだ。

 けれど、春子さんは夏帆さんと見解が違ったらしく、中空をすんかすんかと嗅ぐ。




「クッキーと紅茶?」




 この人も犬か、犬なのか。

 哀音と気が合いそうで何より。




「そうだよ。僕が友達呼ぶって言ったらなんだか張り切っちゃって」

「え、クッキーってまさか手作り」

「そうだよ」

「相楽の弟、女子力パない」

「何故あたしを見ながら言うんだ夏帆」

「楽しみです」




 秋弥くんだけがぎこちなかったのも少しずつほどけてきたようだ。

 さて我が家の王子様とご対面。


「哀音ー、お客様来たよ」

「あ、はい」




 哀音も緊張しているのだろうか。僕に対して敬語だなんて。可愛いな。

 台所から紺色のエプロンをつけたままとてとてと出てくる哀音。こんな格好ですみません、と前置く。




「相楽の弟の哀音と申します。兄がいつもお世話になっております」




 ぺこりと頭を下げる。僕との会話では全員呼び捨ての哀音がここまで礼儀正しいとはびっくりだ。緊張しているのだろうか、やはり。

 ただ、礼儀正しいのは兄として鼻が高い。

 そこに飛び上がるようにしてからぺこぺこと秋弥くんが頭を下げる。




「いえこちらこそお世話になっているというかむしろお世話になりっぱなしで申し訳ないです」

「ん、こちらこそお世話になってます、だけでいいんじゃないか? 堅いぞ、西園」

「ヤバいイケメン」

「夏帆は挨拶しろよ」




 ツッコミお疲れさまです、春子さん。


 ひとまず、リビングの椅子を勧めて、哀音が手作りクッキーと紅茶を出したところで、一段落。

そこで初対面同士の紹介をした。




「哀音、この人たちは緑化委員会の人たちで、今荒んでいる緑化委員会を改革しようとして、僕と協力関係にある人たちだよ」




 僕が言うと、まずは先陣を切って春子さんが名乗る。




「あたしは東雲春子。相楽と同い年だけどクラスは違う。たまたま花壇の世話をしている相楽を見かけて、それから一緒に活動することになった。

 敬語はいらないぞ。堅苦しいのは苦手なんだ」




 懇切丁寧な自己紹介に、哀音も少し考える様子を見せる。春子さんの口調はほとんどタメ口だが、丁寧な説明に、いつも僕に問い詰めるように呼び捨てにするのはいかがなものだろう、と思い直したのだろう。一応、先輩でもあるしね。

 少し考えて、哀音はこう答えを出した。




「春さん、とお呼びしても?」


 春子さんには呼び名にさしてこだわりがないのだろう。哀音の提案を快諾してくれた。

 春さん、という呼び名は新しかったらしく、少し嬉しそうだ。




 次いで、夏帆さんが名乗る。




「アタシは南夏帆ー。春子とは幼なじみの腐れ縁だよ。一応緑化委員」

「一応じゃなく、れっきとした緑化委員だろうが」




 すかさず春子さんにツッコミを入れられる辺りが夏帆さんらしい。

 二人の漫才のようなやりとりに、哀音は目を白黒させていた。夏帆さんを理解するには至らなかったようだ。

 こっそり聞いてみる。






「ずばり、夏帆さんの第一印象は?」

「馬鹿っぽい」




 デスヨネー。




 そんな漫才はさておき、唯一の男子である秋弥くんの番が回ってくる。

 まだ緊張が残っているのか、あの、ええと、と繰り返し、ようやく言葉を紡ぐ。




「緑化委員の西園秋弥です。汀先輩のことは尊敬しています!」




 尊敬しています、に力が入っていたが、純真無垢なその眼差しに突っ込むものはなかった。


 そんな秋弥くんに近づき、頭から足先までじっくりと見回す哀音。




「ああ、こいつがミントの匂いのやつか」




 哀音が落とした爆弾を理解するのに数秒かかった。




「え、ええと」




 秋弥くんが何のことやら、と戸惑っている。

 ここは僕がフォローしてあげないと。




「あの、秋弥くん制服のジャケット貸してくれたじゃない? あれについてた匂いのことで……哀音は人一倍匂いに敏感でさ」

「な、なるほど?」




 一応は納得したようだが、まだ戸惑いが隠せないらしい。

 秋弥くんによると、ミントの香りの消臭剤を使っていたのは確からしい。恐るべし、我が家のシベリアンハスキー。

 そんなシベリアンハスキーはまだ秋弥くんを警戒しているようで、鋭い視線を向けていた。それに敏感に反応する秋弥くんは人畜無害だと思うのだが……何故哀音はそこまで警戒するのやら。


 少しのティータイムをしてから、本日のメインイベントの一つ、勉強会についての話題に入った。

 夏帆さんは遊びたいと駄々を捏ねていたのだが、それは春子さんの一言により撃沈。さすが幼なじみというだけはある。ただ、ちょっと夏帆さんがこうも阿呆っぽいのは春子さんという存在があるからなのかな、とも思った。

 嫌がりながらもちゃんと勉強道具を持ってきている辺りは夏帆さんもやる気があるのか。はたまた春子さんに頭が上がらないだけなのか。




「ところでさぁ」




 夏帆さんが切り出す。




「勉強会ってどこでやるの? 相楽の部屋?」

「あ、えと……」




 その話題に思わず僕は口ごもる。

 代わりに哀音が我が部屋の惨状を説明してくれた。




「兄は植物全般が好きでして。兄の部屋は観葉植物などに埋め尽くされて、軽くジャングルみたいですよ」




 すると客人は少々顔をひきつらせた。

 ジャングルは言い過ぎだと思うよ、哀音。


「ジャングルは言い過ぎだよ哀音」

「じゃああの部屋で五人で勉強できるの? 兄貴」




 苦し紛れの反論は一撃で論破されましたとさ。




「じゃあ、勉強会は弟くんの部屋?」

「そうなりますね」




 確かに哀音の部屋は整っている。殺風景とも言えるが、学生五人は充分に集えるだろう。兄としてどこか腑に落ちないが。

 そう思っていると、秋弥くんがちょっとそわそわした。




「どうしたの?」

「いえ、その……先輩の部屋、気になります」






 同志いたぁぁぁぁぁっ!!

 思わず秋弥くんに抱きついた。これには哀音のみならず、他二人にも引かれた気がするが気にするまい。 貴重な同志を得たのは紛れもない事実。




「じゃあ、ちょっと覗いてく?」

「是非!」




 秋弥くんだけ僕の部屋を覗いてから、哀音の部屋に集合となった。


「汀先輩の部屋、すごかったですね。観葉植物があんなに並んでいるのは初めて見ました」

「緑溢れるっていいよね!」

「兄貴、口より手を動かした方がいい」




 哀音がつれない。

 春子さんと夏帆さんは保護者と子どものような関係になっており、そっちはそっちといった感じで僕は秋弥くんや哀音とノートを広げていた。

 秋弥くんと年が近いからか、哀音はだんだん敬語を崩し、今やいつも通りの口調になっている。

 そしてなんだか機嫌が悪いような気がする。口調のせいだろうか。




「ええと、ここは……」

「xを代入して求める」

「わ、本当だ」




 哀音に僕が教えられるという醜態を完全に見られているのだが、秋弥くんは「仲がよろしいんですね」とにこにこ流している。感謝しかない。

 というか、哀音はこの中で一番年下なのに一番頭がいいんじゃないか。




「兄貴、心配ないよ、南先輩よりはましだから」

「心を読まないで、というかそれはフォローなの!?」


 夏帆さんには悪いが、夏帆さんの成績は芳しくない。池掃除のときに出てきたテストの解答用紙を見ながら、「あはは、アタシの点数もポイしちゃいたいくらい」と乾いた笑いを浮かべていたのは記憶に新しい。




「夏帆、2×5は」

「10」

「5×2は」

「わかんない」

「なんでだよ!?」




 というようなやりとりが窓際の席で繰り広げられている。この人は一体何年生なのだろうか。

 僕が少しそちらを見やると、不意に携帯電話が震えた。

 驚いて見ると、メールが入っており、差出人はなんと南夏帆。

 内容は、




「春子がおかんすぎてマジ卍ー」




 実に女子高生らしい文面である。春子さんがおかん気質なのには同意しかない。

 と、携帯を眺めていたら、哀音にサボるなと言われた。ちらりと夏帆さんを見やると、にひひと笑っていたので、ちょっと報復することにした。


「春子さん、夏帆さんがサボって携帯弄ってます」




 すると春子さんの表情が般若の面に変わった。夏帆さんの顔がひきつる。




「さがらん、一体何を言ってるのかしらん?」

「夏帆、相楽は関係ないから机の下に忍ばせた左手を出してみようか」

「関係ないじゃん!」




 有無を言わせず、春子さんがずいっと夏帆さんの左手が引き揚げられる。そこにはしっかりと携帯電話が握られていた。開かれている。

 勢いで送信ボタンが押されたらしく、僕に再びメールが届く。




「相楽、弟に注意されてやんのwww」




 ぴきっ




 この場を誰かが凍らせた。いや、誰かはわかっている。空気を凍りつかせるほど、僕は怒ることがあまりないし、秋弥くんは場の空気に敏感で固まっているし、この状況下で一番怒りを発露しそうな春子さんは呆れ顔になっている。

 もちろん、夏帆さんが怒っていたなら理不尽だ。

 怒ったのはそう、




「東雲先輩、南先輩をお借りしますね?」




 哀音だった。


 哀音の醸し出す雰囲気に、元々顔をひきつらせていた夏帆さんが、更に不自然な表情で笑う。




「ど、どうしたのかな? 弟クン」

「お話があります」

「もしかしてアタシに惚れちゃっいだだだっ握力パないっ」




 夏帆さんは哀音にどこかへと連行されていった。

 30秒ほど沈黙が落ちる。

 それから、残った三人で計ったかのように揃って溜め息を吐いた。そのことにツボる。




「ちょ、今の」

「ふっ、くくっ」

「あ、合いましたねぇ」




 肩を震わせながら、三人でしばらくけらけらと笑っていた。

 何が面白かったのか、自分でもいまいちよくわからないが、とりあえず楽しかった。




 ちなみに、哀音とちょっとげっそりした夏帆さんが帰ってくる頃には、僕と春子さんと秋弥くんは宿題を粗方終えていた。


「気分転換に庭を見に行こうか」




 僕がようやくそう切り出したのは夏帆さんが宿題の半分を終えたところだった。

 別に今日一日で終わらせる必要はないじゃない、という夏帆さんの反論も虚しく、夏帆さんは哀音と春子さんにがっちり横を固められながら、泣く泣く問題を解いていた。ちなみに終わった僕と秋弥くんは、哀音の手作りクッキーに舌鼓を打っていた。

 僕の提案に、きっと人生の中で一番みっちり勉強させられたのであろう夏帆さんが救世主を見るような目で見られたのは言うまでもない。調子に乗るなよ、と言わんばかりの脇の二人に視線で威圧されていたが。




「一気にやるより休憩を挟んだ方がいいって聞くし」

「そう! その通りだよさがらん」

「お前は黙っとれ」




 すかさず夏帆さんに突っ込む春子さんだったが、まあ一理あるわね、と賛成のご様子。

哀音も、兄貴が言うなら、と賛成してくれた。




 かくして、僕たちは庭に向かった。

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