3-6 俺だって辛いよ
俺たちは坂芝さんのパトカーに乗り込んだ。鶴喰が呼び出した春日井さんに会いに行くためだ。
待ち合わせ場所まで送ってくれると坂芝さんは言ってくれたので、その厚意に甘えている。しかし、車内は重い沈黙で満たされていた。
「それで、どういうことなの?」
坂芝さんが痺れを切らしたように言った。
どうでもいいが、いや、よくないのだけれど、この人の運転は妙に怖い。とても危うい。
「転化の呪いですよ。響子さんが言っていた」
「それって、藁人形と五寸釘の? 今回の標的は鶴喰さんということ?」
「標的と言っていいかはわかりませんが」
俺はどう説明したものか、と頭を巡らせる。
すると、隣に座って俯いている鶴喰が声をかけてきた。
「いつ、気づいたんですか」
「最初におかしいと思ったのは、田城さんのところだ。確かに俺は鼻が利く方だけど、鶴喰ほどじゃない。お前の狼の神なら田城さんの香水に気づけたはずだ」
アイヌに生まれた者がその身に宿している憑神、あるいは守護霊と呼ばれる存在を、鶴喰は自在に操れる。
あの香水の匂いに気づかないはずがない。なにせ、今日このときはその能力を最大に活かすべきときであり、それがわからない鶴喰ではないからだ
「ですけど、それでも私には普通の匂いに思いましたよ?」
「お前、鼻の調子も悪いだろ?」
俺が自分の鼻を指しながら言うと、鶴喰は目を丸くした。
「田城さんも、鼻が悪い?」
「そうだろうな。見た感じ、化粧にかなり慣れてるみたいだった。そんな子が香水の量を間違えるかな、と思ったんだ」
「……考え難いですが、あの教室でタバコとか吸ってたかもしれません。臭い消しに香水というのは不自然ではないのでは?」
「だったら最初に出てきた子も、香水がきつくないとな」
確かに、と鶴喰は納得する。
「それで鶴喰が自覚してたのは、その左腕だけだった。だから荒木さんが左腕を怪我してるのを見て、まさかって思ったんだろ」
「その通りです。左腕に痣ができたのは今朝のことで……どこかでぶつけたんだろう、と思ってましたが、ノンノが『これは呪いだ』と言ってました」
「犬の言うことがわかるのか」
「狼です!」
「まあいいや。それで、お前は憑神を呪術防御に回してたわけだ」
だから、今日に限って鶴喰は勘も五感も鈍っていたのだ。
鼻が悪い程度で抑えられているのは、それこそノンノのおかげだろう。田城さん自身は匂いもまともにわからないのではないはずだ。
「なら、どうして鶴喰さんが呪われたの?」
「それはコックリさんで占われたのが、鶴喰だったからです」
「……私?」
意外そうな顔をする鶴喰であった。
このコックリさんという占いによって、呪いの転化が起こっているのだから自明の理だろう。
「私はてっきり、克くんだと」
「それは違いない。というか、本当はあいつを占ったはずなんだ」
きっと、だけれども。憶測でしかない。そもそも占術によって何が占われたか、など本人の口から聞く他に本当のことを知ることはできないのだから、状況証拠から理のない推論を言うしかないのだ。
オカルトに通る筋はないのだ。あるのはただ、そうであろう、ということだけ。
けれどもその結果や背景から見えてくるものはある。
その内容を口にするのは、少し憚られるけれども。
「言ってください、ぱいせん」
「良いのかよ。捜査とは関係ないだろ」
「知らなければ、琴音ちゃんに会っても仕方ない気がするんです」
鶴喰の決意の言葉に俺は負けた。
まっすぐな目で、まっすぐな言葉でそんなことを言われてしまえば、口を割るしかない。
「船戸くんの好きな人は誰、とかそういうことを占ったんだろうな。それで結果が鶴喰だった」
意外、という顔はしなかった。むしろ、俺の言葉によって確信を得たかのようだった。
「だとしたら、呪われるのは克くんのはずです」
「そうだ。だから、厳密には占われていない」
「煙に巻く気ですか?」
「違う。参加者の中で、占うまでもなく、船戸くんの好きな人が誰か知ってる人がいたんだ」
それは荒木さんだろう、と思う。バスケ部ということで船戸くんとの接点も多いし、体育館に鶴喰が訪れることで自然と船戸くんの名前を出してきたのは、そういう理由からだろう。
特に彼の話し振りは……まるで鶴喰を囲い込むようだ、と感じた。ゆっくりと包囲していって、逃げられないように。「付き合うしかない」という状況に置くように、だ。
荒木さんはその様子をずっと前から見ていたんだ。
「だから、コインは鶴喰の名前を示したんだろう。荒木さんの手によって」
コックリさんによって不思議な動きをするコインは、真に降霊術でなければ筋肉疲労が理由とも考えられるが、そもそもそういう風に誘導する誰かがいたならば、結果は自ずと出ると言うものだ。
それに対する参加者たちの反応はわからない。やっぱり、と思ったのだろうか。それとも鶴喰に反発心を抱いたのだろうか。
荒木さんは言わずもがな。田城さんは呆れ、矢部さんは何かを悟ったのかもしれない。
そして春日井さんは何を思ったのだろう。
わからない。知っている人ほど、わからなくなってしまう。
俺は頭を振って、雑念を追い出す。
「一方で降霊術としてのコックリさんは成功したんだと思う。そしてみんなが去った後、本当のコックリさんを行ったやつがいる」
「それが琴音ちゃんだって言うんですか?」
「そうだよ」
その内容はわからない。逆に、鶴喰の好きな人を知ろうとしたのかもしれない。
俺の視線と鶴喰の視線がかち合う。いつになく鋭い視線だった。
「琴音ちゃんは私の友達です」
「それでも、オカルトは時に善人だって狂わせる。いいや、良い人だからこそ、そういうものにさえ手を出してしまうことだってある。……俺だって辛いよ、知ってる人を疑うのは」
嘘だ。俺は春日井さんを疑うことに、良心の呵責はあっても、辛いなんてことは感じていない。
本当に辛いのは、善意だろうと悪意だろうと、鶴喰を傷つけた誰かがいるということなんだ。
そしてその誰かはいつだって、俺なんだから。
「それで、降霊術に成功してしまって、呪いを受けているのは鶴喰さん?」
坂芝さんが空気を読んで口を挟んでくる。
「参加者と何らかの縁が結ばれてしまったと考えるのが妥当でしょう」
「石を通じて、か。それでいま、石を持ってるのは鶴喰さんのご友人である可能性が高いってこと?」
「会ってみなければわかりませんが。で、坂芝さんにも聞きたいことがあるんですけど」
「なあに? 職務上、答えられないこともあるから、そこはお願いね」
「最初に交通事故に遭った山井透子さんは、本当は自殺……あたかも自分の意思で飛び込んだような状況だったんじゃないですか?」
「えっ!?」
声をあげたのは鶴喰だった。坂芝さんは少しだけ黙考する。
「どうしてそう思ったの?」
「矢部さんが言ってました。石のせいで山井さんは亡くなったのではないかと。あれはたぶん、薄々そういう気配があったんじゃないか、と思います。なにより、最後まで石を持ってたのは山井さんだった」
「春日井さんも、そういう状況かもしれないわね」
はっきりと答えは言わなかった。けれども、俺と鶴喰にはそれで十分だった。
再び沈黙が訪れる。真実に迫ったはずなのに、重い空気がのしかかった。
……鶴喰を呪ってしまったのは、春日井さんなのだろう。まだ本人から言葉を聞いていないが、俺には確信があった。
じゃあこの件の犯人は春日井さんなのか、と言えばいいのかはわからない。
いいや、このコックリさんの件で、誰が被害者だとか、誰が加害者ということを追及することのほうが間違っている気がする。
ただ、人の心に勝手に踏み入ろうとした者がいて、そんな者たちによってコックリさんという呪術が行われたのだとしたら。
そんな身勝手で鶴喰を傷つけたことを、俺は許せない。




