第一話 洗濯場の横領編
王宮には、三つの心得がある。
見習いが入った最初の朝、侍女長ベアトリス様が、全員を一列に並べておっしゃった。
「一つ、見てはいけないものほど、よく見える。
二つ、聞いてはいけない話ほど、よく聞こえる。
三つ、見聞きしたことは、墓場まで持っていく」
新入りは十数人。私は十四歳で、いちばん背が低かった。
私は思った。三つ目は、難しそうだ。
のちに侍女長となる私は、この予感だけは、見事に的中させることになる。
◇
私の生まれは、家名ばかりは立派な子爵家だった。
けれど家計は火の車で、屋敷の洗濯は、物心ついた頃から私の仕事だった。
だから洗濯場への配属を告げられたとき、他の子は肩を落としたが、私は少し嬉しかった。
隣で肩を落とさなかった子が、もう一人いた。
背筋がまっすぐで、指先まで礼法の手本のような子。
名をアデライドという。
どこかの家のお嬢様であることは、紅茶を持つ手つきを見れば誰にでもわかった。
家のことは本人が語らないので、私も訊かない。
ただし、洗濯の腕は絶望的だった。
「シーツは、絞るものではなく、折って叩くものだと習ったのだけれど」
「どこで習ったの、それ」
三日目には、私が絞り、彼女が数えるようになった。
彼女は洗濯札の枚数を数えるのが速くて、間違えない。
字も美しい。互いの得意が違うのは、助かる。
洗濯場の班長はドロテという大柄な女で、声が大きく、面倒見がよかった。
そして、夏だというのに、新品のキツネの襟巻きをしていた。
「いいだろう。市で見かけて、つい買っちまってね」
見た。班長の給金で買える襟巻きではない。
そのうえ、数字がおかしい。
洗濯場の石鹸は、毎朝、倉庫から払い出される。
払い出し札には、その日に洗うシーツとテーブルクロスの枚数と、
石鹸の数が書かれている。
枚数はいつも四百枚前後で、石鹸は、その同じ数だった。
つまり、一枚につき、石鹸一個。
石鹸の払い出しも、使い残しの管理も、班長の仕事だった。
見習いは渡された石鹸で洗濯をするだけで、使った数を報告する決まりはない。
一方、見習いの夕方の当番は、決められた四十枚を洗うことだった。
石鹸を数えて使うのは、倹約が身に染みついた私の癖だ。
その癖で洗ってみると、四十枚に使った石鹸は、十個で済んだ。
一枚につき、四分の一個。
払い出し札どおりなら、四百枚に四百個。実際には、百個で足りる。
残りの三百個は、どこへ行っているのだろう。
私は、にっこり笑った。
「マルグリット。その顔、やめて」
隣で、アデライドがそっと身を引いた。
「何が」
「いま、獲物を見つけた猫の顔をしていたわ。怖い」
「猫は怖くないでしょう」
「あなたの猫は怖いの」
◇
「言うわ」
夕方、干し場の陰で、私は宣言した。
「待って」
アデライドが私の袖をつかんだ。
「襟巻きと計算だけでは、班長の悪口になるわ。
あなたの計算は、私も正しいと思う。
でも、正しい計算でも、証拠にはならない。
班長が『洗い方が違うのよ』と言えば、それまで」
「じゃあ、どうするの」
「払い出し札には、班長の署名のほかに、
倉庫番の副署があるでしょう。あれを見せて」
私たちは、洗濯物を運ぶ当番のついでに、倉庫の札の綴りを借り出した。
借りたと言っても、班長には断っていない。
ここは、あとで少し問題になる。
アデライドは、札を一枚ずつ、灯りにかざした。
「礼状の稽古で、筆跡は嫌というほど見たの。
……ほら、副署の『ろ』の払いが、ドロテの署名と同じ癖よ」
「倉庫番の爺さんは、字が書けないわ。
副署はいつも拇印のはずよ。
私、今朝、石鹸を受け取るとき見たわ」
二人で顔を見合わせた。
副署は、偽物だ。班長が、自分で書いている。
拇印だけは真似できず、名前で済ませたのだろう。
それでも通ったのは、月末に札を見る事務方が、
副署の欄が埋まっているかどうかしか、見なかったからである。
倉庫番は字が読めないので、札の数字を自分で確かめることもない。
検算する人間が、誰もいなかったのだ。
「聞いたことと、見たことと、確かめたことは、分けて書いて」
アデライドは、鞄から小さな帳面を出して、私に一冊くれた。
「二冊持っているの。一冊あげる」
「なんで二冊も」
「一冊は、予備」
裕福なお嬢様は、予備を持ち歩く。覚えておこう、と思った。
◇
翌日は、侍女長様の検分の日だった。
洗濯場の者たちはずらりと整列し、待機していた。
ベアトリス様が、真っ白なシーツの並ぶ干し場を歩かれる。
班長ドロテは、キツネの襟巻きを今日は外して、実に感じのよい笑顔だった。
「見習いたちも、よく働いております」
私は、一歩前に出た。
「侍女長様。見習いのマルグリットです。
申し上げたいことがございます」
ざわりと空気が揺れた。
見習いが口を挟むなど、前代未聞である。
「班長の許しを得ておらんな」
ベアトリス様の眉が上がる。
「承知しております。
許しを得たら、言えなくなりますので」
誰かが咳き込んだ。
班長が、豪快に笑った。
「おや、貧乏子爵家のお嬢ちゃんじゃないか。
あたしは見たよ、あんたが石鹸のかけらをポケットに入れてるのを。
手癖の悪さは育ちかい」
そう来ると思っていた。
「入れました」
私は、ポケットから布包みを出した。
「かけらは、使った量を数え直すために取っておいたものです。
見習いの当番で、四十枚洗って使う石鹸は、十個。
払い出し札どおりなら、四百枚に四百個ですが、実際には百個で足ります。
差の三百個は、どこへ行ったのでしょう」
「そんなもの、洗い方の違いだ!」
「侍女長様。私からも」
アデライドが、静かに進み出た。
礼の角度まで完璧で、誰も彼女を止められない。
「払い出し札を、お持ちいたしました。
倉庫番は字が書けず、拇印で副署すると聞いております。
ところが、この札の副署は、達筆でございます。
班長の日誌と、お並べになってくださいませ。
『ろ』の払いが、同じでございます」
ベアトリス様が、二枚の紙を並べた。
洗濯場が、しんと静まった。
班長ドロテの顔が、シーツより白くなった。
「……襟巻きが、欲しかったんだよ」
正直な人だった。
◇
班長は役を解かれ、盗った分は給金から差し引かれることになった。
ベアトリス様は、私とアデライドを前に、ゆっくりおっしゃった。
「見習いが、自らの目と手で不正を突き止め、臆さず申し出た。
見事である。褒美を取らせる」
私たちは、顔を見合わせた。
「ただし、札の綴りを無断で持ち出したことは、規則違反である。
それは別に罰する。
褒美は、干し場でいちばん日当たりのよい場所の使用。
罰は、大釜の磨き上げ。期限は、今夕」
大釜は、人が一人入れるほど大きかった。
夕暮れの洗濯場で、私たちは釜の底を磨いた。
アデライドは、洗濯は下手でも、磨くのは速かった。
段取りがよいのである。
「三つ目は、やっぱり守れそうにないわ」
私が言うと、アデライドは手を止めずに答えた。
「守らなくていいわ。ただし、見たことと聞いたことは、分けて話して。
そうすれば、あなたが言う分、私が黙っておくわ。
釣り合いが取れるでしょう」
「アデライドは、黙っているのが得意だものね」
「得意よ。だから、あなたが言うことは、私が聞く」
釜の底に、夕日が映っていた。
私たちの顔も、歪んで映っていた。
「その顔、またしているわよ」
「してないわ」
「している。怖い」
「だって、見習いですもの」




