9 正解じゃない選択
第9話です。
「どうすればいい」
その問いに、簡単な答えはありません。
正しいことと、現実の間で揺れる話です。
「……どうすればいいんだよ」
父の部屋に、絞り出すような声が落ちた。
古びた柱時計の音だけが、やけにうるさく響く。
沈黙。
竹井が口を開いた。自分でも驚くほど、その声は震えていた。
「……一人で、抱えなくていいと思います」
言葉を探しながら、続ける。
「仕事を探すのも大事だと思います」
「でも、それだけで何とかしようとすると……多分、きつくなると思います」
一度、言葉が止まる。
「だから……頼っていいと思います」
「生活保護でも、何でも」
「……そこから立て直していけばいいと思うので」
最後に、小さく付け加える。
「……龍斗君も、それを望んでると思います」
父親の視線が、ゆっくりと上がった。
机の上には、生活保護の申請書と、使い古されたハローワークの案内。
「……無理だ」
乾いた声だった。
「人様の金で生きるなんて、俺にはできねえ」
顔は上げないまま、続ける。
「……俺は、働く。それだけだ」
頑なな言葉だった。
竹井は、次の言葉を失った。
面談を終え、外に出る。
夕方の空気は、肺の奥が痛くなるほど冷えていた。
しばらく、無言で歩く。
「……さっきの言い方、悪くなかったよ」
隣を歩く高田が、前を見たまま言った。
竹井は、少しだけ驚いた顔をする。
「……そうですか」
「うん」
少し間を置いてから、続ける。
「でもね」
「正しいことを言えば、人が動くわけじゃない」
言葉が落ちる。
「相手が“選べる状態”にない言葉は、刺さるだけのこともある」
竹井は何も言えなかった。
その言葉だけが、冷えた体の中に残り続けた。
――それから父親は、ハローワークに通い続けた。
紹介状をもらい、面接を受け、落ちる。
不採用の通知が届くたびに、心のどこかが削れる気がした。
それでも、止まる理由はなかった。
「……警備の仕事ですが、夜勤になります。できますか?」
「やります」
窓口の職員に、食い気味に答えた。
数日後。
採用の電話が来た。
その電話を切ったあと、父親はしばらく動けなかった。
「……決まった」
誰に言うでもなく、つぶやく。
震える手でポケットから取り出したのは、ボロボロに折れ曲がった一枚の紙。
幼い筆跡を見つめ、男は歯を食いしばる。
「……待ってろ」
小さく、そうつぶやいた。
その頃、児童相談所では。
竹井が新人研修の資料を前に、手を止めていた。
高田の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
――選べる状態。
「守る」って、なんだ。
「支援」って、なんだ。
正しい答えなんて、どこにも落ちていない。
そのとき、デスクの電話が鳴った。
高田が受話器を取る。
『仕事が決まったよ!』
受話器越しでもわかる、父親の弾んだ声。
『これで……これで龍斗を返してもらえるよな?』
『なあ、返してもらえるよな?』
高田は、すぐには答えなかった。
窓の外、暮れていく街並みをじっと見つめている。
「……まずは、詳細を伺いますね」
その静かな声は、
希望への肯定か。
それとも、現実の始まりか。
竹井は、握りしめた資料をただ見つめることしかできなかった。
読んでいただきありがとうございます。
少しずつですが、父親と竹井の変化を書いていければと思っています。
「正解じゃない選択」をどう積み重ねていくのか、引き続き見守っていただけると嬉しいです。
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