3 引き離すということ
一時保護という、大きな児童相談所による権限行使が現場でどのように行われるのか。
そして、その選択が誰にどんな影響を与えるのか。
主人公の価値観が、大きく揺らぎ始めます。
指示が出てすぐ、係長、高田、川上は車に乗り込む。
「場所は分かってるよね。こういう時こそ安全運転で」
係長が、落ち着いた声で言った。
その瞬間――
バンッ、と大きな音がした。
後部座席のドアが勢いよく開く。
「……竹井さん?」
振り向く高田。
竹井が、そのまま無言で乗り込んできた。
「何してるの。あなたは所内で待機でしょ」
焦りを含んだ声。
「今は急ぎだ。いいから出せ」
短く言い切る。
一瞬、空気が張り詰める。
係長がバックミラー越しに竹井を見る。
「……はぁ」
小さく息を吐いた。
「分かった。今回は乗せる」
エンジンがかかる。
「ただし、勝手な動きはするな」
穏やかな口調。だが、重い。
「初日の子にここまでやられたら、こっちが怒られるんだ」
わずかに笑う。
だがその目は、笑っていなかった。
車は静かに走り出す。
誰も口を開かない。
サイレンのない緊急。
その異様な静けさが、かえって緊張を強めていた。
やがて、家の前に到着する。
エンジンが止まる。
「行くよ」
高田が短く言う。
インターホンを押す。
――反応はない。
もう一度押す。
やはり、出ない。
その時だった。
「子どもの命がかかってるんだぞ」
低い声。
竹井が後ろから一気に前へ出る。
ドアの前に立ち、拳を振り上げた。
ドンドンドン!
激しい音が響く。
「竹井くん、ちょっと――」
制止の声を遮るように、奥から怒鳴り声が返ってきた。
「うるせえよ!なんの用だ!」
「こっちは寝てんだよ!」
ドアが勢いよく開く。
父親が現れた。
「チッ……またお前らかよ」
睨みつける。
「なんの用だ。いい加減にしろ」
「吉田さんですね?」
係長が一歩前に出る。
「私、横山市児童相談所の林と申します」
穏やかな声。
だが、逃げ場を与えない圧があった。
「ここではご近所の目もありますし、中でお話ししてもよろしいですか」
父親は舌打ちする。
「……チッ。とりあえず入れ」
吐き捨てるように言う。
「勝手に押しかけてきて、迷惑だとか言ってることお前らおかしいけどな」
係長は何も言わず、軽く頭を下げた。
そのまま、家の中へ入る。
薄暗い室内。
電気はついていない。
奥で、子どもが一人座っていた。
ルービックキューブを回している。
カチ、カチ、と小さな音が響く。
「あれ?」
顔を上げる。
「お姉さんたち、また来たの?」
不思議そうにこちらを見る。
「どうしたの?」
「吉田さん」
係長の声が、はっきりと響いた。
「私たちは、お子さんをこのままここで生活させることは、現時点では適切ではないと判断しました」
一呼吸置く。
「よって、一時保護を実施します」
沈黙。
「……は?」
父親の顔が歪む。
「適切じゃないってなんだよ」
声が低くなる。
「保護?ふざけんな」
一歩、踏み出す。
「俺の子どもだ。お前らの好きにはさせねえよ」
子どもの方へ行こうとする。
だが――
係長が一歩前に出て、進路を塞いだ。
「落ち着いてください」
低く、揺るがない声。
空気が張り詰める。
「竹井」
短く呼ばれる。
「子どもを外へ」
一瞬、迷う。
だがすぐに動く。
子どものそばへ行き、しゃがむ。
「ちょっと外行こうか」
手を差し出す。
子どもはきょとんとする。
「え?」
「ねえ、パパ怒ってるよ?」
後ろを振り返る。
「ケンカしてるの?」
小さく首を傾げる。
「ダメだよ、ケンカは」
⸻
竹井は一瞬だけ表情を緩める。
だがすぐに言葉を選ぶ。
「……違うよ」
「ケンカじゃない」
「君を守るために、みんなが動いてるんだ」
子どもは少しだけ考えて、小さく頷いた。
手を引き、外へ出る。
外にはすでにタクシーが停まっていた。
エンジンはかかったまま。
ヘッドライトが夜の路地を照らしている。
「こちらです」
川上がドアを開ける。
子どもが不安そうに見上げる。
「……乗ろうか」
静かに声をかける。
子どもは小さく頷き、乗り込んだ。
続いて竹井も座る。
ドアが閉まる。
外の音が遠くなる。
「パパ、来るよね?」
小さな声。
言葉が出ない。
「……あとで会えるよ」
それだけ絞り出す。
子どもは少し考えて、
「そっか」
と呟いた。
タクシーが動き出す。
窓の外、家の前にはまだ明かりが揺れている。
怒鳴り声が、かすかに残る。
(……これでいいのか)
胸の奥がざわつく。
隣では、子どもが無言でルービックキューブを回している。
カチ、カチ、と乾いた音。
(……守るって、なんだ)
拳を握る。
「……違うだろ」
小さく呟く。
タクシーは保護所へと向かっていく。
「……これが、“正しい”のか」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
一時保護という判断は、子どもを守るためのものですが、その過程でさまざまな感情や葛藤が生まれます。
主人公の中でも、「守る」ということの意味が少しずつ揺らぎ始めました。
この先、彼がどのように変わっていくのか、引き続き読んでいただけると嬉しいです。




