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書き殴られた未完の物語標本  作者: かがみゆえ


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図書館の忘却の本

⚠️この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

 .





 その図書館は町のはずれにあった。

 古くて、昼間でも少し暗くて静かな場所だった。

 僕は本が好きで、よくそこに通っていた。

 ある日、いつものように本棚の間を歩いていると見たことのない通路を見つけた。


「こんな場所、あったっけ……?」


 細い通路の奥には小さな部屋があった。

 ドアには“資料室”と書かれている。

 普段は閉まっているはずなのに、その日はなぜか少しだけ開いていた。


 中をのぞくと、埃の匂いがした。

 古い本がぎっしりと並んでいる。

 周りには誰もいない。

 本棚に一冊だけ妙に気になる本があった。

 黒い表紙で、タイトルは何も書かれていない。


「なんだこれ……」


 僕はその本を手に取った。

 表紙は少し湿っているような気がした。

 ページを開くと、最初は真っ白だった。


「え?」


 何も書かれていない。

 古い本なのに、まるで新品みたいに白いページばかりだ。

 つまらないなと思いながら、もう一枚めくった。

 すると、


『ぼくは小さいころ、よく公園で遊んだ』


 突然、文字が現れた。


「えっ」


 さっきまではなかったはずなのに、はっきりと文章が書かれている。

 しかもその内容は、


「これ、僕のことじゃないか……?」


 小さい頃に近所の公園で毎日遊んでいた記憶がそのまま書かれていた。

 気味が悪くなって本を閉じた。

 でも、どうしても気になってもう一度開いてみる。

 ページにはさっきの続きが書かれていた。


『ブランコが好きで、よく一人でこいでいた』


 完全に僕の記憶だった。


「なんで……?」


 心臓がドクン、と大きく高鳴る。

 不思議とページをめくる手が止まらない。


『初めて自転車に乗れた日は、とても嬉しかった』


 次のページにはまた僕の記憶。

 その瞬間、ふっと違和感が走った。


「……あれ?」


 思い出そうとしても、その日のことがはっきり思い出せない。

 嬉しかったはずなのに、その感覚がぼやけている。


「気のせい、かな……」


 僕は少し怖くなって、本を棚に戻そうとした。

 でも、そのときだった。


『まだ読む?』


 ページの下にそんな一文が浮かび上がった。


「……っ!」


 思わず本を落としそうになる。

 だけど、


「……少しだけなら」


 僕はまたページをめくった。


 それから、何ページ読んだだろう。

 本には、僕の記憶が次々と書かれていった。


 友達とケンカした日。

 テストでいい点を取った日。

 初めて泣いた映画のこと。

 全部、僕の人生だった。


 そして、読むたびに少しずつ―――思い出せなくなっていく。

 大切だったはずの記憶がどんどん遠くなる。


「やばい……これ……」


 ようやく気づいたときには、もう遅かった。

 本の半分以上が埋まっていた。


「……友だちの名前……なんだっけ?」


 僕は大事なことを思い出せなくなっていた。

 頭が真っ白になる。

 怖い。

 怖いのに、やめられない。


 ページをめくるたびに、自分が軽くなっていくような感覚。

 僕の中で何かが削られていく。


『君はだれ?』


 ページにそう書かれていた。


「……ぼくは……」


 答えようとして言葉が出ない。

 名前が、思い出せない。

 家族の顔も、声も、ぼんやりとしている。

 ページが勝手にめくれた。


『もうすぐ終わり』


 その言葉を見た瞬間、僕はようやく本を閉じた。


「……だめだ……!」


 震える手で、本を棚に押し込む。

 逃げるように部屋を出て、図書館の外へ飛び出した。

 外の空気は冷たくて、現実に引き戻された気がした。


「はあ……はあ……」


 息を整えながら、僕は自分の手を見た。


「……僕は……」


 名前を思い出そうとする。


「……わからない……」


 僕は何も思い出せなかった。




 数日後。

 図書館ではこんな話が囁かれていた。


「最近、変な子がいるらしいよ」


「ずっと同じ本棚の前に立ってるんだって」


「名前も言えないんだってさ」


 今日も図書館の奥で、一人の少年が立っている。

 黒い表紙の本を手に取り、ゆっくりと開く。

 ページには、こう書かれている。


『この本を見つけた少年は、自分が誰かを忘れている』


 少年は、その文字をじっと見つめる。

 そして、小さく呟いた。


「……これ、ぼくのこと?」


 次のページが静かにめくれた。

 新しい文字が、ゆっくりと浮かび上がる。


『まだ読む?』


 少年は少しだけ迷ったあと、頷く。


 そしてまた一つ、“何か”を本に渡した。




 その本は、今日も静かに本棚へ並んでいる。

 読む人を待ちながら。

 少年が最後のページをめくったとき、そこには自分の“未来”が書かれていた。


『君は今日、この本を閉じて家に帰る。でも、家がどこか分からない』


『君は道端で泣き崩れ、親切な誰かに連れられて、またここへ戻ってくる』


 少年は絶望して本を閉じようとした。

 しかし、指先がページに吸い付いて離れない。

 本の最後の行に、新しい文字が滲み出す。


『大丈夫。忘れてしまえば怖くない。』


 少年が顔を上げると、目の前にいたはずの司書も出口のドアも消えていた。

 周りにあるのは、真っ白なページで埋め尽くされた、終わりのない書架だけだった。


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