5.自覚
随分、泣いた気がする。
朝食も取らず、温かいタオルを目元に当てながら、暗い視界でずっと考えた。
死んだと聞かされたはずのユリウスが、目の前にいる……これは、現実? 優しい声、心配そうな瞳、何も変わってない。
「落ち着きましたか?」
「……なんとかね。今日って、何か予定あった?」
「本日まで滞在予定のエリシア様と、昼食会の予定がございます。まだ時間に余裕はありますが」
エリシア様との昼食会……確かにあった。しかも過去に。
やっぱり……時が戻ってる。
「そう……だったね。ねぇ、ユリウスは?」
「はい?」
「任務でどこか行ったりしない?」
「本日は、リサお嬢様のそばを離れる予定はありません」
……思い出したい。
過去の昼食会、どんな感じだったか。だって、この一週間後に突然ユリウスが居なくなるんだから。行き先だって、エリシア様の国、ヴァンノインに間違いない。
「お顔の色が、優れませんね」
「ちょっと、考え事をしてただけ。ユリウスにお願いがあるんだけど……聞いてくれる?」
既に冷えたタオルを握りしめながら、ユリウスを見上げた。
「私の側から、離れないで」
自分でも驚くほど、いつも以上に真剣な表情だったと思う。
それが約束にならないと分かっていても、言わずにいられなかった。そうでもしないとユリウスが簡単に離れてしまいそうで。繋ぎ止めるための手段が、欲しい。
「勿論です。決して離れたりしません」
優しく微笑んで頭を下げた。
ユリウスはきっと、従者として一定の距離を保っているんだろう。ずっと隣に、ピッタリくっついているわけじゃない。
あっという間に時間が過ぎ、昼食会は穏やかに始まった。
テーブルに並ぶ料理も、会話の間合いも、記憶の中とほとんど同じ。
「エルフェリアのお料理は美味しいし、盛り付けが本当に綺麗ね。ユリウスは、どう思う?」
エリシア様が楽しそうに微笑むと、周囲の空気がふわりと和らぐ。でも、会話の矛先が私やお兄様ではなく、ユリウスへ向く。
「そうですね。色彩の使い方が巧みです」
ユリウスが、控えめに相槌を打った。
その声に、思わず視線が向く。
ちゃんと、ここに……いる。
「ユリウス、ヴァンノインのお料理も、よく召し上がっていましたものね?」
「えぇ。向こうの国も、悪くありませんでした」
――安心は一瞬で、胸の奥の何かが音を立てて崩れた。
「……え?」
声が出たことに、自分でも驚いた。
視線が重なったユリウスが、不思議そうに見つめる。
「以前、視察で短期間滞在したことがありまして。街も整っていて、人の気質も穏やかです」
「…………」
違う。それは、ただの事実で、ただの感想。
それなのに、未来を知っている私だけが、意味を歪めて聞いてしまう。
「住むには、悪くない場所かと」
その一言で、確信してしまった。
――あぁ。
こうやって、ユリウスは私の側から離れたのかもしれない。
「……そう」
笑えたかどうか、自分でも分からない。
――だめ。今は、まだ何も起きていない。まだ、ユリウスはここにいる。
「少し、風に当たられますか?」
隣に控えていたユリウスが、いつもの低い声でそう言った。
「……どうして?」
「少し、お疲れのように見えましたので」
それだけ。
本当に、それだけだった。けれど、その言葉に、喉の奥がきゅっと縮まる。
「……私、そんな顔してた?」
「はい。ほんの少しですが」
“ほんの少し”
気付かれないように必死で抑えていたのに、ユリウスには、やっぱり分かってしまう。
昼食会が終わり、私はユリウスと庭へ出た。
春の風が頬を撫で、胸いっぱいに吸い込もうとしても、うまく息が入らない。
「リサ?」
不意に聞こえたエリシア様の声に、ユリウスとの二人の時間を邪魔されたようで、上手く笑えない。
「無理をさせてしまったかしら。ごめんなさいね」
「……いえ」
「でも、ユリウスが付いているなら安心ね」
その一言。
「彼、本当に気が利くでしょう? 向こうでも評判だったの」
「……え?」
「私の国では、ああいう人は重宝されるの。忠実で、冷静で……」
エリシア様は、何の疑いもなく続ける。
「ずっと、傍に置いておきたくなるタイプ」
――やめて……喉まで出かかった声は、音にならなかった。
「リサお嬢様?」
ユリウスが、こちらを覗き込む。
「……大丈夫ですか?」
「……部屋に戻ろうかな」
「それが宜しいですね。エリシア様、こちらで失礼します」
会釈をして、その場を後にした。
あのまま二人の会話を聞いていたくなかった、ただの我儘に過ぎない。心の奥を抉るような、二人だけの会話が堪らなく刺さった。
その夜、なかなか眠れなかった。
昼間のことを思い出すたび、エリシア様の言葉、ユリウスの何気ない気遣い、そのどれもが胸をざわつかせる。
ベッドから抜け出して、そっと部屋を出た私は、静まり返った廊下を、足音を立てないよう慎重に進んだ。
私の部屋から、然程離れていないユリウスの部屋。
何も考えず、静かに扉を開けると、月明かりの差し込む室内で、ユリウスが横になっていた。
剣も、書類も、すべて整えられたまま。眠っている時でさえ、気が抜けない人。
……月夜に映える、穏やかな寝顔。
無防備な顔に、胸がぎゅっと締め付けられる。
この人は、何も知らない。自分が、どんな未来を辿るのか。どんな命令を受けて、どこへ行かされて、どう終わるのか。
何も、知らないまま――私の隣に立っている。
触れてしまえば、きっと堪えきれなくなる。でも、本当はもっと触れたいし、触れて欲しい。
胸の奥で、はっきりとした衝動が芽生えた。
後悔でも、願いでもない。
「……未来を、変えたい」
初めて、自覚した瞬間だった。




