6.視線の先
翌日、急な呼び出しに、予定が変わった。
「リサお嬢様、申し訳ありません。この後、城を離れます」
「……昨日まで、そんな予定なかったじゃない」
「セシル殿下の視察先に、同行するようにと」
……確かにあった。
お兄様の護衛が推薦したか何かで、深夜まで戻らなかった日がある。よく考えれば、政務に関わらないユリウスが引き抜かれたのは、偶然なんだろうか。
「良いですか? くれぐれもドレスに紅茶を溢したりなさらないで下さいね。ただでさえ、染み抜きが大変なんですから」
「わ、分かってる。ユリウスは、すぐ帰ってくるんでしょ?」
どうしても、ユリウスの背後に見える未来と重なってしまう。今じゃないと分かっても、未来を変えたいと望んでしまった以上、自分に出来ることはないかと模索してしまう。
「……夜には戻りますから。でも、時間になったら就寝してください」
「待ってちゃ……ダメ?」
「……っ、ダメです」
無事に帰ってくるのが確認出来れば、それで良い。
ユリウスがいない間に、私に出来ることを考えよう。もしかしたら、未来を変えるヒントが見つかるかもしれない。
――それでも、やっぱり心配で、寂しい。
「……ダメですからね?」
「うん」とも「はい」とも言わず、ただ見つめた。
「見つめ続けたら行かない、とか……ないよね。ははっ……」
「行きません」
「えっ?」
「嘘です。ですが、行きにくいのは確かです」
ユリウスが、スーツの胸ポケットから何かを取り出した。
「分身を置いておきますから、お嬢様は、お嬢様の一日を過ごしてください」
「これって……」
私が刺繍を覚えたての頃に縫った、ユリウスのハンカチ。
上手くいかなくて落ち込んでた時、一緒に練習して、出来上がった百合の花。
「まだ持ってたんだ……下手くそだね」
「そんなことありません。それは、私の宝物です。預けておきますから、帰ったら返してください」
「絶対帰ってくる、ってことだよね?」
「そういうことです」
そっと立ち上がり、ユリウスが扉を出て行った。
手元に残ったハンカチは、分身……そんな風に預けるなんて、ユリウスはズルい。
そんなユリウスだから、私は守りたいって思ってた。いや、思ってる。
まずは、聞き込みから始めよう。
***
……最近のお嬢様は、妙に自分の心配をする。
さっきだって、そうだ。急な任務は、今までだってあったのに、とても切ない顔をする。
ハンカチ、持ち続けてるなんて知られるつもり、なかったのに。あんな顔するから、咄嗟に分身だと言ってしまった。
分身……なんて、引いただろうか。いつも必ず持ち歩いていたせいか、ハンカチ一つで身体の重さが違う。
「予備を持ってくるか」
廊下を歩きながら、時々感じる視線に気付いた。
こちらを見ながら話す騎士、姿を見せない視線、何が起きているのだろう。
狙いは自分なのか、まさか――お嬢様?
視察先は、城外の鍛錬場だった。
形式ばった挨拶の後、セシル殿下は周囲を一瞥し、満足そうに頷く。
「噂通りだな。動きに無駄がない」
その視線が、自分に向いていることに、すぐ気付いた。
「ユリウス・アーベルラインだったか」
「はい」
名を呼ばれただけで、周囲の空気が僅かに変わる。
護衛の騎士たちが、探るような目。
「以前、ヴァンノインでの視察に同行したと聞いた」
「短期間ですが」
「あの国は、外から見るよりも内情が複雑だ。だがその分、信頼出来る人材が必要になる」
殿下は、まるで雑談のような口調で続けた。
「お前のような人間は、向こうでも重宝されるだろう」
――エリシア様の言葉と、重なった。
向こうの国も、悪くない……と、確かに自分が言った。
「殿下、それは……」
「安心しろ。正式な話ではない」
そう前置きした上で、セシル殿下は微笑んだ。
「だが、いずれ必要になる。エルフェリアとヴァンノインの橋渡し役がな」
国のため。秩序のため。未来のため。
その役を担うのが、名誉と思えるかどうかは、その人次第だ。少なくとも自分の役目ではない。
「忠誠心があり、感情に流されず、任務を全う出来る者」
「…………」
「そういう人間ほど、こういう役目から逃げられない。覚えておけ、これは期待だ」
期待、推薦、信頼。
どれも、拒めるものではないと頭では分かっている、つもりだ。
その場を離れた後も、背中に刺さる視線は消えない。殿下との会話を聞いたなら尚のこと、騎士の中に混じる値踏みするような目。
その夜――
リサお嬢様の部屋に寄ったのは、深夜だった。
本当に待っていたら、どうしようかと思ったが、期待とは裏腹に穏やかな寝顔を見せていた。
僕の宝物は、案の定と言うべきか、握りしめたまま寝ている。
「離れないで」と言った、あの不安そうな瞳を思い出した。
リサお嬢様は、第三王女だ。上の王女たちと違い、親子でも兄弟でも政治的な話はしない。それなら、今日セシル殿下が話した内容は、知る由もないだろう。異常に心配する理由には、当たらない。
「……参ったな」
善意で敷かれた道ほど、抗えないものはない。
望めない未来を選ぶ、その難しさを痛感した夜だった。




