16 おかえり
「アデリーヌ!! ああ、もう、なんてことを……! おいで。ほら、頭を見せて。いや、違う。医者だ。医者に診てもらおう。すぐに呼んでくるから――……」
そのまま部屋を飛び出して行きそうになったロランの腕を、ガッと掴んで引き留める。
「アデリーヌ?」
「医者はいいから……」
頭はズキズキしているけれど、たんこぶが出来たぐらいの問題だ。
それよりも。
「私、思い出した」
「え……」
初めて出会ったパーティー。
彼を殴りつけた劇場。
無理矢理連れ去られた午後。
うっかり許してしまった嵐の日。
ワルプルギスの供養祭。
四年間に起きた様々な出来事の記憶が、今はちゃんとこの頭の中に戻っていて、それを思い出すとき、私の感情も共鳴するようにしっかりと動く。
苛立ち、呆れ、怒り、諦めに似た許し、そして――やけくその好き。
「全部ちゃんと思い出したの」
「……っ」
息を呑んだまま、かたまってしまったロランは、すぐには言葉が出てこなかったようで、口を開けて、閉じて、と繰り返し、最後に深くため息をついた。
「そっか……。思い出してくれたんだ……。……ごめん。うれしい……」
「なんで謝るのよ」
「だって、君が怪我をするような行動をとって、無理に思い出したのに。よろこぶなんて」
「なによ、じゃあ忘れていたほうが良かったっていうの?」
「まさか!」
わかっている。
いまのは意地悪な発言だった。
「でもそっか……。思い出してくれたんだ……」
ロランが噛みしめるように、同じ言葉をもう一度、呟く。
それから彼は私の瞳を真っ直ぐ見つめて、優しく微笑んでくれた。
「おかえり」
ロランの言葉を聞いたら、なんだかものすごくホッとして、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちてきた。
記憶を取り戻した瞬間より、ずっと確かな安心感。
迷子だった心が、正しい場所に帰ってこられたような気がしたのだ。
「……! アデリーヌ。泣かないで……!」
ロランはオロオロとしながら、身を屈めて、私の顔を覗き込んできた。
頬に触れようとした手は、怯えるように戸惑って、宙をさまよっている。
「ごめん……。……涙を拭ってもいい?」
記憶を思い出したからって、素直に頷くような私ではなかった。
ロランに向かって両手を伸ばして、彼のシャツをむんずと掴み、涙まみれの顔をそこへ埋める。
肌触りのいい上質なシャツに、みるみる涙が滲んでいく。
「かっこつけて指先で拭うぐらいで、どうにかなる量の涙じゃないわよ……」
照れ隠しにかわいくないことを、ぶつぶつ呟く。
それなのにロランは、うんうんと何度も頷いて、私をギュッと抱きしめてくれた。
泣きじゃくる子供をあやすように、何度も何度も髪を撫でてくれる手が優しい。
身勝手で、すぐに暴走する彼だけれど、ごくごくまれに、こうやって本当にして欲しいことを、こちらが言わなくても叶えてくれる。
結婚するまでの四年間付きまとわれている間に、何度かそういうことがあって、私は気づけば取り返しのつかない感情を抱かされていた。
つまり、それは……。
「ねえ、アデリーヌ……」
涙を流し切ったあと。
呼吸も落ちつき、ロランの腕の中で虚脱感に包まれていると、遠慮がちに、でもどこか少し甘えるような声で、彼が私の名前を呼んだ。
きた。
頼りになるロランが消えていき、いつものめんどくさい彼が戻ってくる。
でも十分甘やかしてもらったあとなので、ちゃんと私もそれに付き合ってあげようと思った。
「なに?」
なかなか出さない優しい声で尋ねる。
でもなんとなく、どんな言葉続くかはわかっていた。
「僕のこと好き?」
やっぱり戻ってきたのは、予想したとおりの質問。
恥ずかしいから、できるだけその言葉は口にしたくないのだけれど……。
でも、この状況。
言わなければならないわよね……。
……仕方ない。
「まあ……そうね……。……。す……。……。……。ふう……。……き。だと思う……」
よし、言った。
私はひどく満足して、誇らしげな気持ちで顔を上げた。
けれど目が合った先のロランは、口をあんぐり開け、眉を下げ、この世の中でもっとも絶望的な真実と出くわしましたみたいな表情を浮かべていた。
「え!! もう一度言って! ちゃんと言って!!」
「はあ!? 言ったじゃない。なによ、ちゃんと言ってって!」
「だって、すときの間に、ふうって入ってたよ。それはもう『好き』じゃなくて『すふうき』だよ!!」
「……ロラン、めんどくさい。人がどれだけの勇気を振り絞って、口にしたと思ってるのよ。難癖つけるならもう一生言わない」
「……!! ご、ごめんアデリーヌ。わかった! いまので全然我慢できる! その代り、とりあえず初夜をやり直そう! それで僕を安心させて……!」
出た!!!!
私はすごい顔でロランを睨んで、「ありえない!!」と叫びかけた。
……のだけれど。
「……。やり直すのは……夜になってからに決まってるでしょ……」
「アデリーヌ……!」
「あ、動かないで。私の顔を見るのもなし!」
「はい!」
ロランがびしっと姿勢を正して、頷いたのを確認した私は、サッと背を向けた。
顔がどんどん真っ赤になっていくのがわかる。
後ろから聞こえてくるのは、うれしそうな奇声。
ガサガサ動く音がするから、たぶん身悶えているのだろう。
私は熱い頬に両手を当てて、小さくため息をついたあと、初夜の心得は、頭をぶつけないところに隠しておこうと誓ったのだった。
(おわり)
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