魔法少女と級友
「失礼しまーす」
部室の鍵はどこに管理されているのだろう。それを訊ねるためにもまず確認したのは職員室内にいる先生の顔ぶれだ。
幸いにも一番話しかけやすい人がいたので、デスクに着いているその人に向かってなるべく静かにそそくさと近づいた。
「相沢か? どうしたんだ、今日は休日だぞ」
「そういうメロ……夕張先生だって休日出勤ですか?」
俺が話しかけたのは担任の夕張みどり先生である。夕張でみどりだから生徒からのアダ名はメロン先生。本人に言うと怒られるのでなるべくその耳に入らないように気を付けているのだが、気を抜くと今のように言いそうになる。
「大人は忙しいんだよ」
へえそうですかとだけ答え、早速本題について訊ねた。
「旧校舎のボランティア倶楽部の部室の鍵ってどこですか?」
「部室の鍵か。少し待ってろ」
席を立った先生が職員室の後方に赴くと、壁掛けの小さな戸を開けるのが見えた。どうやらそこで部室の鍵が管理されているようだ。
「ほれ。これだろ?」
戻ってきた先生に手渡された鍵には、ボランティア倶楽部と書かれた札が付いていた。
「ありがとうございます」
「必要なら返しに来なくていいぞ。ほとんどの部は自分たちで鍵の管理はしているから」
「分かりました。多分返しに来ないと思います」
最後に頭を下げて職員室を出ようとした時、
「相沢」
メロン先生に呼ばれたので振り返った。
「サークル活動は楽しいか?」
「はい!」
元気に答えると、微笑んでそうかと呟き自分の仕事へと戻った。俺が活動していることが認められたような気がし、少し嬉しくなりながら職員室を後にした。
「委員長は教室か……」
柏木さんの言っていた通りならそこにいるはずだ。彼女が誘ったと言えば、委員長も誕生日パーティに参加してくれるとは思うが、頷いてくれるかどうかほんの少し心配だった。
教室を覗くと、そこには女子生徒が一人だけであった。机に座り、ノートや教科書を広げているのは紛れもなく委員長である。
中間試験に向けての勉強だろうかと考えたのは、さっき先輩たちがそのための勉強をしていると聞いたからだと思う。
「委員長」
近づいて声をかけると、こちらに気が付いた彼女が顔を上げた。突然呼ばれたせいか、メガネの向こうの瞳はキョトンとしていたが、やがて俺が誰だか認識してくれた。
「相沢くん! どうして学校にいるの!?」
「俺だってここの生徒だよ。学校にいてもおかしくないだろ?」
「そうじゃなくって……今日は祝日だし」
「休みの日にいたらおかしいかな?」
彼女はうん、と頷いた。いやまあ確かに自分でも休日の学校にいるだなんて、これまではなかったことだからおかしいと言えばおかしいことであるが。
「ちょっと用事があってね」
これから委員長を音無先輩の誕生日パーティに誘うつもりなんだ。そのために教室まで来たのだが、女の子を誘うってどうやればいいんだ。
これまでの人生経験を振り返りどうにか誘い文句を導こうとしたが、残念なことにこれまでの人生経験において女性を誘ったことなど一度もなく全く参考にならなかった。
「忘れ物でもしたの?」
「いや、そういうんじゃないんだ」
仕方がない、なるようになるだろう。今日が女性を誘う初体験だと腹を括ることにした。
「実は明日音無先輩の誕生日で、ちょっとした誕生日会をボランティア倶楽部の部室でやろうと思って」
そうなんだ、と笑顔で相槌を打ってくれるので話しやすい。
「それで今日今から部室の飾り付けとかするんだけど、良かったら委員長も手伝ってくれないかなと思って。もちろん明日のパーティも参加してもらいたいんだけど」
「私が? いいの?」
突然のお誘いに驚いている様子の委員長にうんうんと頷いて見せる。
「準備の人手も足りないから、委員長が手伝ってくれるとすげえ助かるんだよね」
「うん。いいよ。私で良ければ……相沢くんと二人で」
「ああいやいや流石に二人だけじゃないよ」
「……へ?」
「柏木さんと、後もう一人音無先輩の友達の中学生の女の子がいるんだ。可愛くて良い子だから、委員長ともすぐ仲良くなれると思うんだ」
「……あ」
「委員長がいるって柏木さんが教えてくれて助かったよ。これで人手も充分だし、明日のパーティも賑やかになりそうで」
「……そう、なんだ」
話している最中に委員長の様子が消沈していくのに気付いた。やはり知らない子が一緒だというのは気が進まなかっただろうか。
「じゃあ……片付けて……行くね」
「あ、ああ」
しかし勉強道具を片付けてついてきてくれるということは、参加するのが嫌ってわけじゃないんだろうな。
委員長と二人並んで歩きながらそう考えるが、じゃあ何故少し元気がなくなったのか。
「アー……悪かったね。勉強中だったのにさ」
理由は俺が勉強の邪魔をしてしまったからかと思い、謝っておいた。
「ううん。丁度キリの良い所だったから」
「そう言ってもらえると気が楽だよ」
もうさっきまでのほんのり沈んだ気配は感じられない。謝った甲斐があったのか、とにかく良かった。
「宿題やってたの?」
「うん。それに中間試験の範囲の復習と予習」
「取りかかるのが早いね。まだ何週間も先だろ?」
「私要領が悪いから……早く始めないと、勉強が間に合わないの」
「へえ。そうやって早く始めて満点を取るつもりなんですね、委員長」
俺がまるでインタビューするような口調で問いかけると、彼女は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そんなに良い点数は取れないよお。悪い点を取らないように勉強するの……本当だよ?」
これはテスト前に勉強してる? いや全然。とか言う奴に限って良い点を取るというシテナイ詐欺と似た匂いを感じる。
「それでも俺よりは良い点取っちゃうんだろうな。羨ましい限りだよ」
話しながら歩いているともう旧校舎の所まで来ていた。中に入ると、廊下の端にあるボランティア倶楽部の部室前に二人の女子の姿があった。
「お待たせ」
向い合って話をしていた二人の視線がこちらに向く。どうやら俺がいなくても上手くやれていたようだ。
「京子ちゃん。誘ってくれてありがとう」
「別にお礼言われることでもねえって」
「貴方が鈴白……さん? 初めまして。中園智花って言います」
「初めまして。鈴白音央です。今日はよろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をする少女に、クラスメイト達の表情も柔らかくなる。この調子ならすぐに打ち解けそうだ。
「すぐに鍵を開けるよ」
解錠して部室の扉を横に開けると、中は薄暗かった。
「カーテンも開けないとな」
率先して中に入り、窓際のカーテンを開いていくと外の明かりが部室に差し込んでくる。
「お邪魔します」
後から三人が入室してくる。鈴白さんと柏木さんは机の上に俺が預けていた荷物を置き、委員長は廊下側のカーテンを開けてくれている。
「ありがとう委員長」
「え? ああ、いいよこのくらい」
「委員長も手伝いに来てくれて本当に助かった。女子を何かに誘うなんて初めてだったから断られたらどうすっかと思ってさ。これなら準備も早く終わりそうだな」
カーテンを開け終えた俺が振り返ると、はにかむ委員長と険しい視線を俺に向ける柏木さん、驚いた表情の鈴白さんの姿があった。
「え? なに?」
聞き返したところに柏木さんが詰め寄ってきた。
「お前それマジで言ってんの?」
何のことかと戸惑うところに更に彼女の顔が迫ってくる。怒ってる風なのは明白だ。
「わたし、お兄さんに誘ってもらったんですけど……お、女の子じゃなかったですか?」
その台詞は柏木さんの背後、鈴白さんからのものだった。俺が今しがた委員長に向けて言った言葉を受けてのものだと、すぐにピンときた。
「いやいやそういう意味じゃないって! 鈴白さんはそう、妹みたいに可愛いからさ! だから誘うのも抵抗がなくって……」
取り繕うが、不満なのかムーっと頬が膨らんでいる。俺の話術じゃこれが限界です。
「じゃあ私は何なんだよ? あの子と同じ妹か?」
「柏木さんは……その……友達?」
答える俺に厳しい視線が突き刺さる。
「まあ。いいけどよ」
踵を返し離れてくれた。だけど俺の言葉で気分を損ねさせてしまったことに変わりない。
「ごめんなさい」
「気にすんなよ。私もあんたのこと男と思って見てねえし」
「うぐっ」
これは結構辛辣で心に堪える台詞だぞ。そうか、俺はこれと同じような気持ちを彼女たちに与えてしまったのか。反省しなくてはなるまい。
「えっと……私たちは何をすればいいのかな?」
俺を見かねたのか、委員長が気を利かせて話を振ってくれる。
「そうだね……。鈴白さん!」
「ひゃい!」
「会場のデコレーションプランをまとめたノートを」
俺も気を取り直してシャキッとする。鈴白さんが出したノートを四人で立って取り囲んだ机に広げ、説明をしていく。
「まずは鈴白さんたっての希望である紙の輪っかで作ったチェーン。これを部室の天井中央から四隅に伸ばす」
「結構な長さになるね……」
「それから、黒板にチョークでメッセージと絵を描くんだけど。デザインは鈴白さんに考えてもらったこれにするつもりなんだ」
「私はパス。絵心ねえし……」
「あとは机の数が足りないから持ってこないと。部室には三つしかないから……参加者が五人だから最低五つかな。けどテーブルにケーキやお菓子を広げるとなると、もっと多い方がいいか」
「どこから持ってきたらいいんでしょう……」
こうして話し合う内に大体の役割が見えてきた。
「じゃあ鈴白さんと柏木さんは輪っか飾り作ってもらえるかな」
「いいぜ」
「はいっ」
「委員長は黒板にメッセージと絵を」
「あんまり自信はないけれど……精一杯頑張るね」
よし、これでみんなに当面の仕事を割り当てることができたぞ。
「お前は何すんの?」
「俺か?」
指を差してきた柏木さんに背を向け、部室の入り口の扉に手をかけた。
「少し電話をしてくる。すぐに戻るさ」
人差指と中指をピッと揃えて爽やかに笑うと、サササッとその場から離れるのだった。
「……逃げたな」
「逃げたのかな」
「逃げちゃったんですか!?」
思わず逃げて……いや、一時的に部室から退避した俺は旧校舎の外で膝を抱えていた。
「いかん。あんなに女子濃度の高い部屋にいたら胸が苦しくなる……」
一人ひとりは小さな女子力だが三人揃うことで大きな力を発揮している。俺一人程度の男子力じゃあの場にいるだけで押し潰されてしまうのは自明の理。
精神力をすり減らした俺が頼れるのはあいつらしかいない。スマートフォンを手にすると、メールを打ち始めた。
ヤッホー! 俺だけど今学校で女の子三人と遊んでるんだ! ケド流石に一人じゃ相手しきれないからお前らも一緒に遊ばね? あ、学校だから制服で来てくれよな!
「……こんなもんでいいか。送信っと」
宛先を二人指定し、送信ボタンを押す。メールは無事転送されていった。
待つことしばし。
「お、もう来たか」
学校の正門の方角から立ち上る土煙が超高速でこちらまで迫ってくる。土煙の元にいたのは俺が招喚した男子の一人、丸刈り頭の大野だ。
「よう。早かった」
「テメエ!」
片手を上げて挨拶した俺の顔面に靴底がめり込む。マジ蹴りじゃないかこの野郎。
「いやマジで痛いんだけど……いくら温厚な俺でも怒るぞ」
「怒ってるのは俺の方だ! 俺を差し置いて女の子と遊んでただぁ? しかも三人! 俺は……俺はお前をそんな薄情な奴に育てた覚えはない!」
「育てられた覚えもねえよ!」
こちらの制服の襟を掴んでガンガン揺さぶってくる。垂れた鼻血が宙を舞うのもお構いなしだ。
「落ち着けって。俺一人楽しんじゃ悪いと思ったからお前を呼んだんじゃないか」
「むっ?」
「俺の気持ち……分かってくれないか。仕方ない、女の子たちには参加したくないって言ってたって伝えておくよ」
「待てよ兄弟」
「どうしたブラザー?」
打って変わって馴れ馴れしく肩を組んできた弟に兄の余裕と威厳を含んだ調子で接してあげる。
「誰が参加しないって言ったもちろん参加するさ分かってんだろ弟よ」
「冗談さもちろんお前が参加するって分かってたに決まってるだろ。あと俺が兄ちゃんだ弟よ」
「いきなり蹴って悪かったな。後で俺の秘蔵コレクションVer.Ⅲを見せてやるよ」
「兄ちゃん!」
頼れる兄に握手を求めれば力強い掌が返ってくる。体は傷ついても魂の絆にはヒビ一つ入らない。それが兄弟ってものだ。
「ところで岡田は? 一緒じゃなかったのか」
「俺ならいるぞ」
唐突に背後から降ってきた言葉に俺たち兄弟はビビりながら振り返った。
「いたのかよ!」
「いつ来たんだよ!」
「今来たところだ」
人差し指でメガネを押し上げる仕草をしながら、岡田の双眸がキラリと光る。
「兄さん、今日は呼んでくれてありがとう」
「どこから話を聞いてたんだお前は……」
神出鬼没っぷりに俺と大野は呆れてしまった。だがこれで男が三人揃った。三対三、数の上では互角になった。
「というわけでこの二人にも手伝ってもらうことになった。作業も大分捗ると思うよ」
「よっろしくー!」
「よろしく」
二人を紹介したところ、女性陣の反応は三者三様だった。
「大野くん、岡田くん、よろしくね」
「なんだこの二人か。ちゃんと働けるのか?」
「お兄さんがいっぱいです……」
男が俺一人で居づらかったから呼び寄せたのだ。働きに関してはそんなに期待はしていないが二人に言うべきことでもない。だが来たからには確実に仕事だけはしてもらう。
どの仕事を割り与えようかと考えていると、大野が首に腕を回してきた。
「おい兄弟」
「どうしたブラザー」
「事情は分かったし女の子がいるとも聞いていたが、あの二人と年下の中学生だとは聞いてないぞ」
「不満か?」
「どうせならもっと俺の好みにあったバインバインの女子も誘っとけって男心だよ分かれよ」
「俺の人脈を侮るなよ。そんな人が知り合いにいるわけないだろ」
「音無先輩とかさあ!」
「会の主賓呼べるわけねえだろ。ほら岡田を見てみろ。あいつなんて文句も言わずに女子の手伝いを」
メガネ男子の姿を追うと、あいつは初めて会う少女にしっかりと自己紹介しているところだった。
「鈴白さん。初めまして」
「は、はい! 今日はお手伝いに来てくださってありがとございます!」
「そんなにかしこまらなくて構わないよ」
その様子を安心して見ていたが、少しずつ違和感を覚え始めた。
「すげえな……膝ついてかしずいてやがるぜ」
「ああ……手まで取ってる」
まるで騎士が主君の姫に忠誠を誓うシーンと見紛うような光景に軽く目眩がしてきた。
「今日君と出会えたのも何かの縁。よければ携帯の番号でも交換しないかい?」
「ごめんなさい……わたし、携帯電話持ってないんです」
「それは珍しい。なら私めが買って差し上げます」
何かまずい。直感的に良からぬ予感が脳裏を掠め、俺は慌てて二人の元に駆けつけた。
「そそ、そんなことしてもらうわけにはいきません!」
「遠慮しないでくれ。俺のハートは既に君の虜……」
さすさす。岡田が撫で回していた鈴白さんの手の甲にそっと唇を、
「つけるなあ!」
その脳天目掛けて手加減の一切ない踵落しを見舞った。大野が俺に出会い頭にしてきた蹴りより威力はある、その自信はあった。
「何をする」
だが岡田は痛みを感じるどころか平然とした顔色で俺を窺ってきた。自信が砕けたじゃないか。
「お前はあっち! 委員長と一緒に黒板の方に行け!」
「輪っかが作りたいのだが」
「ダメ! 却下! それは大野に任せる!」
強く拒否すると、岡田は渋々といった表情で鈴白さんから離れてくれた。何かされそうだったのを感じていたのか、彼女はあわあわと狼狽した様子だったがどうにか守り切ることができた。
「岡田め……まさかあいつ」
「あいつ、小さい子大好きだからな……気を付けろよ」
大野のアドバイスを心に刻み、ようやく六人で誕生日会の準備を始めることができた。




