16 『それは 神々の御心をすら静めるモノ』
「遅いッスよ先輩。トイレ借りて来るって言ってましたけど……。なんすか? 生理始まったんスか?」
「ド頭からとんでもねぇネタぶっこんで来てんじゃねぇ!」
人目につかない馬車の中で相変わらずの平常運転なカガミにケリを入れつつ、ギョクは待たせていた三人の元へと戻ってくる。イマイチ何の事だか良くわかっていない少女も、これまでの旅の経験から、カガミがまた、何か下らない事を口にしたのだと悟り苦笑いを浮かべていた。
「なんだろうとかまわん。それより、ちゃんとカタは付けてきたのか?」
「あぁ、頂くモンも頂戴してきた。キッチリな」
「ふむ。……ならば、さっさとこの場を離れるべきであろう」
「そうだな。変に長居して、余計な警戒を招くのもバカらしい。……カガミ、判ったらさっさと御者席行きやがれ」
「えぇ~。順番からいったらギョク先輩の番じゃないッスか、横暴ッスよ」
「うるせぇ、阿呆なことを言ったバツだ」
唇を尖らせるカガミを蹴り飛ばしつつ、ギョクは少女の隣に腰掛ける。
親を亡くし、家もなく、頼るあての親族も無くなり。ついには名乗るべき名前すらなくなってしまった少女は、それでも目の前で繰り広げられている美少女達のドツキ合いに目を細めていた。
そんな少女の手を取り、ギョクは小さな袋を握らせる。不思議そうにこちらを向く少女に、銀髪ゴスロリの美少女は、視線を明後日に向けたまま口を開く。
「そう大した額じゃねぇが、今回のお前さんの取り分だ」
「お金? ……こんなにっ!?」
「まぁアレだ、ツミワタ家から嬢ちゃんへの手切れ金みてぇなモンだ。有り難く頂戴しときな」
「でも……。私は何も――」
「やってねぇ、ってことはねぇよ。少なくとも、俺達が気分良く仕事を終えられたのは、あの場で嬢ちゃんが啖呵きってくれたからだ。だから、その額くらいの働きは充分やったって事だよ」
「それにしても、金貨がこんなになんて……」
「別にあって困るようなモンじゃねぇだろ、金なんてモンはさ。良いから取っとけよ。誤解のねぇように言っとくが、俺達の分はちゃんと抜いてある。ソイツは、嬢ちゃんの分ってコトで間違いねぇんだ」
「…………わかった。大切にする」
手のひらに載る程度の布袋を、少女は大切に両手で握り締める。そして、改めて三人に頭を下げた。
「三人とも、ホントにありがとう。みんなのおかげで、私は今も私で居られる。
……本当に、ありがとうございました」
ぺたりと腰を下ろした馬車の荷台で、床に頭が着くほどに頭を下げる少女。
そんな彼女の姿に、御者席のカガミは柔らかく微笑み、両腕を組んだツルギが満足げに頷いた。そして、素直になりきれない中年の心を宿したギョクは、口の中でもごもごと、何かを口走りながら頬をかくのであった。
アウーシマの街中を馬車は進む。御者席に座るカガミは、注目を集める必要の無いこのような場では、神官服のフードを目深に被っていた。
誰にも見られぬ御者席で、後ろから聞こえる楽しげな声を耳に入れつつ、一人なにやら考えていたこの冒険者は、まるでたった今思いついたかのように口を開いた。
「……そりゃそうと、オレ達はこのままヤーアトに戻るんですよねぇ?」
「そのつもりだぞ。ギルドのねぇちゃんに報告もしなきゃならんしな」
「了解ッス。んじゃ、そっち方向に進みます。……で、オレ達はそれで良いとして、お嬢ちゃんはこの後どうするんです?」
「どうするも何も、この町に置いて行くわけが無かろうが。予定通り、一緒にヤーアトに帰れば良い」
「んじゃなくって、戻ってからのことッスよ、ツルギ先輩。どうですお嬢ちゃん、なんかアテはあるんスか?」
「……なんにもないかなぁ。貰ったお金もあるから、しばらくはそれで」
馬車を走らせながら出されたカガミの問いかけに、少女は少しだけ悩み、そして首を振った。
少女は思う。色々と驚かされることばかりだったが、それでもこの旅は楽しかった。
もうしばらくはこの不思議な三人組と旅を続けることが出来るが、それでもヤーアトに着けばそこで終わり。名もない浮浪孤児の自分と、このキラキラ輝く三人の冒険者では、元から住んでいる世界が違うと言われればその通りなのだ。
それでも少女は、避けようの無い旅の終わりを思い、湧き上がる寂しさを噛み締めていた。
そんな彼女に、御者席の聖女は、まるで今日の夕食でも訊ねるように言い放つ。
「そッスか。んじゃ一つ提案なんスけど……良かったら、しばらくオレ達と一緒に行動しませんか?」
「っ!?」
「おぉ! たまにはお前も良いことを言うな。オレ様も、このまま放り出すのはどうかと思っていたところだ。うむ、お嬢、それが良い。是非そうしよう」
「で、でも……良いの? 私、何にも出来ないのに」
「良いに決まってるッス。何かしてもらいたくって提案したわけじゃないッスから」
「そうだの。なぁに、こう見えてオレ様たちは、喰うには困らん身の上なのだ。おぬし一人くらいなら余裕で養ってやれる。まぁ、家のことくらいは手伝ってもらうだろうが、その程度で充分だ」
「それくらいなら、私でも……」
思いがけぬ提案に、うろたえつつも興奮を隠せない様子の少女。そして、そんな彼女を手放しで歓迎する二人の冒険者の図であった。
だが、残された最後の美少女が、そんな三人に水を差すべく口を開く。
「ちょお! 待て待て、なに勝手に決めてんだコラ」
「良いじゃ無いッスか。それにギョク先輩も、お嬢ちゃんのことこのまま放り出すつもりじゃなかったでしょ?」
「そりゃまぁそうだが……。それでもだ、こういうことはもっと慎重に、だな……」
「ダメなのか、ギョク。オレ様ちゃんと面倒を見るつもりだぞ? グレートな男とは、一度身内に入れた人間をむやみに放り出したりはせんのだ」
「ホラ、ツルギ先輩もこう言ってますよ? ねぇ、良いでしょママ~。ちゃんとお世話するからぁ」
「誰がママだ、気色の悪いっ!」
犬猫を拾ってきたようなやり取りを交わす三人。このまま放っておくと、「元居たところに返してらっしゃい」あたりが飛び出しそうなほどである。
「だぁ! テメェらがどんだけゴネても、俺は意見を変えねぇぞ。子ども背負い込むってのは、そんなに簡単なことじゃねぇんだ!」
「こだわりますねぇ……。んじゃ、お嬢ちゃんの方はどうなんです? どうしたいですか?」
「私は……。でも、無理には……」
「こっちの負担なんぞ考えずとも良いぞ。さっきも言ったが、おぬし一人くらいならなんと言うこともないのだ」
「そうッス。子どもが遠慮なんかするモンじゃないッス。
……それに、この前ギョク先輩からも言われただろう? もし君に、欲しいものがあるならば、その時は黙ってちゃダメだ。自分の望みは、きちんと自分の口で言わなきゃ」
途中からがらりと口調を変え、何時になく真面目な声でカガミは言う。
手にした布袋をギュッと握り締めた少女は、何が自分にとって一番の望みなのか、これ以上ないほど強く強く考えた。
富豪の戯れに近い何かで生まれた事実。気が弱く、それでも自分を守ってくれた母と共に生きた流浪の暮らし。そして死に別れた後の、ただ生きていただけの数年間。幼い少女の身の上とはいえ、それでも周りに流されるままだった自分を思う。
巻き込まれるまま、降りかかり続けるナニカからじっと膝を抱えてうずくまり続けてきた、自分自身を思った。
そんな彼女を、ツルギは……そしてギョクまでもが、しっかりと見守っていた。
最後にカガミは、
「ねだるな、掴み取れ。……ッスよ」
と続けた。
その言葉を耳にした少女の脳裏には、旅の最初の夜に見た、美しくも逞しい少女の姿が浮かんでいた。
焚き火の光が差し込む荷馬車の入り口に立ち、その白磁のような顔を不敵に歪めた少女の姿が、彼女の中にありありと思い浮かんだ。
「ギョクさん! お願い、私を一緒に居させてくださいっ。私は、もっとみんなと一緒にいたい。みんなみたいに、自分で自分の生き方が決められるようになりたいんですっ」
「……俺達は冒険者だ。一緒に居れば、危険な目に合うことだってあるんだぞ」
「わかってる」
「俺達が仕事に行く時には、例えそれが戦場だったとしても、付いて来て貰う事になるかもしれんぞ?」
「それも覚悟してる……つもり。冒険者がそれだけ危ない仕事だってこともちゃんとわかる。でも、それでも! 私はまだまだみんなと一緒にいたい。一緒に居て、みんなから色んなことを学びたい」
少女は訴える。自分があの夜に見た、心の奥底から惹きつけられた獣に近付けるように。深い闇の中でさえ力強く笑える、そんな何かになる為に。
少女は、自分に出来る精一杯の意志を現した。
「一緒に居させて、ギョクさん。私はいつか、みんなのようになりたいのっ!!」
そして、
「……俺達みたいなロクでもないのを目指すなんて、やめといたほうが良いと思うんだがなぁ」
「ンなこと言って、口元笑ってるッスよ?」
「素直になれ、ギョク」
「うっせ黙れ」
一人はふてくされたように横を向き、もう一人はかんらと笑う。最後の一人のけらけらとした笑い声が耳に届いたその時。
名も無い一人の少女は、自分の人生を変えるであろう何かを掴み取ったことを悟るのであった。
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穏やかな秋晴れの空の下、一つの馬車が街道を進んでいる。時折湧き上がる姦しい笑い声からは、幾人かのうら若き乙女の影が窺えた。
時折すれ違う旅人達は、向かいくる風に金色の髪をなびかせる少女の姿を目にし、聞こえくる賑やかな旅路を耳に入れ、不思議と満たされた思いを胸に、自分達の旅路へと帰っていく。
「ところでお嬢ちゃん。これから先はなんて呼びましょうかねぇ? 何時までも他人行儀な呼び方するわけにもいかんっしょ」
「そういえば……。そもそもオレ様たちは、嬢ちゃんの元の呼び名すら聞いとらんかったな」
「お母さんからは――って呼ばれてたけど、それもあの、ツミワタ家の名前から取ったんだと思う。これから先は使えないよね……」
「そうか? 別にバレやしねぇだろよ。それに、母親との思い出ってヤツなんだろ?」
「ううん、良い。あの名前で私を呼ぶのはお母さんだけだった。だからこれからも、お母さんだけで良いんだ。……それに、どうせなら、此処でみんなと新しく決めたい」
「わかった。嬢ちゃんがそれで良いなら、俺も反対しねぇよ」
「んじゃ、オレが決めて良いッスか? 此処は一つ、ぷりちーな路線で――」
「却下だ。オレ様知っているぞ、おぬしが自分トコの猫に、どれだけ破壊的な名前付けようとしたのか」
「ひでぇッス。センス全否定ですか!」
「……バカは放っておくとして、嬢ちゃんの方にはなんか希望無いのか?」
「私は……。そういえば、みんなの名前ってちょっと変わってるよね」
「そだな。元居た国の名前を、そのまま名乗ってる」
「そうなんだ。……みんなの国でよくある名前って、どんなのがあったの?」
「よくあるのッスか。なんだろ、ヤマダとかタナカとかッスかねぇ?」
「サトウやサイトウも外せんな」
「スズキも多かった気がするな。どこにでも一人くらいは居ただろ」
「判った。それじゃ、私はスズキって――」
「いやいや待て待て。こっちの女の子がスズキじゃ、流石にあんまりすぎる。そもそもありゃ苗字だ」
「そうだな、スズキは無い。せめて……キを取って、スズならば違和感も無かろう」
「あっ、なんか良い響き。それが良い、それにする」
「そんなんで良いのか? もっとこぅ……可愛いらしい感じのほうが……」
「良いじゃ無いッスか、スズで。オレ達三人とも微妙に繋がりありますしね」
「で、あるな。語尾下がりのスズではなく、平らな感じでスズ。うむ、気に入った」
「……まぁ、オオヌサとかタマグシって名乗られるよかマシかぁ」
「スズ……うん、なんかしっくり来た。私はスズ……スズが私の名前」
「言われりゃそこまで悪くねぇかもな。……んじゃ、これからヨロシクな、スズ」
「オレ様についてくるが良い、スズ」
「色々教えてあげるッスよ、スズちゃん」
「犯罪臭がする……。スズ、アイツは汚物だ。あんま近寄んじゃねぇぞ」
「だな、迂闊に寄れば不純菌が感染る」
「ヒデェ! ってか不純度合いじゃ、ツルギ先輩も似たようなモンじゃ無いッスか!」
カラカラと車輪は回り、馬車は街道を進む。
規則正しく、それでも時折調子外れに転がりながら、ゆっくりゆったりと旅路は続いていく。
そんな四人の風変わりな旅人達は、軽口と罵倒を半々に混ぜながら、見渡す限りの草原を賑やかに進んでいる。
漏れ聞こえてくるそれは、聞くもの全てが思わず笑顔を浮かべてしまうような……。
まさに、鈴を転がすような声だった。
「ツルギさん。カガミさん。ギョクさん。……これから、ずぅっとよろしくねっ!」