15 『それは 紫煙と暗幕の下で』
一向が帰った後。ツミワタ家当主ディリホは一人、自室で葉巻の端にナイフを当てていた。
かかりつけの医師からは、体に触るので控えろと口をすっぱくされている悪癖であるが、今日くらいは良いだろうと手に取ったのである。
湿度管理が施された煙草入れに秘蔵していた、お気に入りの一本に火を灯せば、上質の葉巻に相応しい香りが鼻先をくすぐる。
(どうせそう長くも無い余生、これくらい好きにさせて欲しいものだ)
小さめに切り入れた吸い口から、程よい分量の煙が口中を満たす。どこか柔らかく、蠱惑的な甘さに満ちた葉巻の味わいは、ディリホを瞬く間に至福の時間へと誘うのだった。
「旦那様。おくつろぎのところ申し訳ございませんが、お客様がお見えです」
だがそこで、そんな貴重なひとときを邪魔するかのような使用人の声が届く。ディリホは、今日の予定に来客の対応など無かったことを思いながら、やや苛立ち気味に返事を返した。
「誰だ?」
「先ほどの冒険者にございます。一番背の低い……銀髪の冒険者の少女が、一人で戻ってまいりまして……」
ドア越しに聞こえる使用人の言葉に、ついさっきまで目の前にいた冒険者を脳裏に描く。銀髪の少女といえば、何倍も年の離れた自分を前に賢しげな交渉までしおおせた小娘であろう。あの外見に似合わぬハスッパな喋りをする娘が、一度辞した自分のもとへわざわざ戻ってきたのであれば、何の話をしに戻ったのかと興味も湧くというものだ。
数瞬の逡巡の後、ツミワタ家当主は、美しい来訪者を自室に招くよう告げた。相手が礼を払う必要の無い冒険者であるなら、このままこの芳醇な香りを楽しみ続けても問題が無いだろうという打算も後押ししてのことであった。
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「失礼しますよ……っと、こりゃ上物を使ってらっしゃる」
ディリホの書斎への入室を許されたギョクは、入るやいなや鼻先をピクピクさせ、部屋に立ち込めた葉巻の香りを吟味しているようであった。
「ほぅ……。わかるか? カヤノの大葉巻きよ」
「あぁ、流石は煙草の名地として名高いカヤノ産ですね。これだけの上品な甘みは、そこらの三級品じゃあ逆立ちしたって出せません」
「生意気な口を……。そなたもやるか?」
「宜しいんで? ……では、お言葉に甘えて」
思わぬところで同好の士を見つけたディリホは、自分の持つあらゆる美術品よりも美しいかもしれないこの娘に、気前良く秘蔵の名品を投げ渡す。受け取ったギョクも、そのまま手振りで勧められた応接用のソファーにどっしりと座り、大胆にざっくりと吸い口を作っては火をつけた。
うら若い少女にしか見えぬギョクであるが、贅沢にフリルをあしらったドレスの裾を気にもせず片胡坐をかき煙をくゆらせるその姿は、ディリホの目からしても実に堂に入ったものであった。まぁ、中身が中身なので当然なのだが。
しばし後、斜め上に煙を吐き出す少女の白く伸びた首もとに、えもいわれぬ艶かしさを感じつつ、ツミワタ家当主は口を開いた。
「それで、わざわざ戻ってきたのはどういう用件だ? 煙草をやりに、というワケではあるまい」
「ははっ、それならそれで面白いんですがね。……なぁに、報酬の残りを頂戴しに参ったんですよ」
「報酬、だと? それならば、先のやり取りで話は付いたはずであろう。まさか失敗した依頼の報酬を要求するつもりか?」
「失敗、ねぇ……。さっきは弟さんの手前あんな話をしましたが、こっちとしては依頼主様のご要望、一つったりと外しちゃあいないつもりなんですけど」
「……何が言いたい」
「だって、あの娘を邪魔に思ってたのは、他ならぬ御当主様でしょう?」
ぷかりと煙を吐き出し、ギョクは笑顔でそう答える。紫の煙の向こう側にある少女の微笑みに、ディリホは自分が、獣の檻にでも閉じ込められたかのような威圧を感じた。
――そもそも、身内の娘一人を動かすのに、わざわざ冒険者を雇うって時点でキナ臭いんですよ。しかもソイツがお家騒動のタネになりかねない娘だって聞けば、こりゃ何かありますって宣言されてるようなモンだ。
そのくせこの依頼は中級以下の冒険者指定で、その上人数制限まであるんですからねぇ。よほどのバカでもない限り、危険の匂いくらいは嗅ぎ取りますよ。まぁそれでも、相場の数倍の報酬見れば欲ボケした誰かが引っかかるだろうってのは、そちらの読み通りだったんでしょうけどね。
案の定来ましたよ、娘の命を狙った冒険者。しかもこっちが三人なのに対して、相手は七人の団体さんだ。普通なら、即座に降参しててもおかしくないほどの戦力差。まず間違いなく、貴方の思惑通り事が運んでたと思いますよ。ま、ちょいと普通じゃない三人組に依頼が行っちまったのが運の尽きでしたね。
ここまで条件が整えば、流石の俺達だって気がつきます。今回の依頼人様のご意向は、あの少女を無事にこの町まで運ぶことなんかじゃない。むしろ、妨害を寄越したこの家の誰かさんと同じところにあるってね。
貴方の狙いは、道中であの娘を始末して、今後起こりうるお家騒動の種を前もって潰す事にあったんでしょう? 割高の報酬も、始めから半金しか渡さない予定なら、危険手当含めて妥当な額だ。……あぁ、別に認めてくださらなくったって良いですよ。この話はまぁ、こっちの勝手な独り言みたいなモンですから。
でだ。そうなるとこっちも考えるわけですよ。我々冒険者は、あくまでも依頼の成功を考えるわけだが、それでも依頼人の意向を無視しようとは思わない。である以上、このままバカ正直に娘を連れていったんじゃあ芸が無い。だからと言って、あんな小娘を目の前で仕留めさせるってのも、こりゃちょいと寝覚めが宜しくないでしょ?
そこに来てあの嬢ちゃんの発言なワケです。勘違いしないで欲しいんですが、無理やり言わせたワケじゃありませんよ? 本人にやりたいことは無いのか聞いてたら、この家に入りたくないって言葉が出てきた次第です。だから俺達がやったのは、ちょいとその気持ちを後押ししてやっただけのこと。ついでに起こるかもしれない不都合を、ほんの少し解消してやっただけですから。
なんにせよ、これでめでたく、あの嬢ちゃんがこの家の跡取りとして担ぎ出される心配は無くなったわけだ。恐らくはそれを狙っていたはずの貴方の希望は、これも十全に満たされたはず。
……さて、これでも俺達は、依頼に失敗しましたかねぇ?
目の前でつらつらと言葉を紡ぐ少女を前に、ツミワタ家の現当主は、その真意を探るべく鋭い視線を投げつける。
「妨害の依頼を出したのがウチの者だということに、いつ気が付いた。襲ってきた者に吐かせたか? それとも、家の誰かを拷問でもしたか?」
「拷問なんて趣味じゃないです、誰からも聞いてやしませんよ。単なる状況からの推測ってヤツですね。
……まぁ、その推測も、この屋敷に来てからは確信に変わりましたけど。弟さん、腹芸こなすにゃあ、ちょいと正直すぎやしませんか?」
「……あれは根が優しくできているのだ。平時に上に立つならば、ああいう者こそが望ましい」
「さよですか。そんな弟さんを、幼子を暗殺するような依頼を出させるまで追い込むとはねぇ。どうせ、自分が妹を招く指示を出せば、弟さんが刺客を送るってコトまで予想してたんでしょう?」
「もしも事が発覚しても、あいつの足元まで火がつかぬ根回しは済んでおった。問題は無い。
……もう一つ。もしここで私が払いを渋ったら、そなた達はどうするつもりだ?」
投げかけた質問に、フォオリは敵対者に向ける殺意を忍ばせていた。もしも目の前の冒険者が、今後のツミワタ家に対する脅迫者になる気配を僅かにでも出したならば、即座に全財力、政治力をもって叩き潰す。その覚悟を込めた質問であった。
だが、そんな不可視の殺意をものともせずに、ギョクはにんまりと笑い返す。
「そんなん決まってます。お代を頂けないってんなら、そのままギルドに報告するだけですよ。依頼人の希望を満たすだけの働きをしたはずなのに、あの家のケチンボは出し渋りましたよ……ってね。
俺達がそちらさんに盾突くつもりはありませんし、ギルドだって依頼を公言することはありません。まぁ、今後何かあった時、ギルドが依頼を受け付けてくれなくなるかもって位じゃないですかねぇ」
「それだけか? もしもこの件を表沙汰にするとでも言えば、それこそ何倍もの金をウチから引っ張れるかもしれんのだぞ」
「んなめんどくさい事、誰が好き好んでやりますか。こちらは最初にお約束していた金貨五枚、キッチリいただければそれで充分なんですよ。
それに、さっきも言ったでしょ? こちとら――――」
……そうして、この小さくも獰猛な美少女は、創立より数百年の歴史を持つ名家の当主を前に、銀色の髪を揺らしながらニヤリと笑うのであった。
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その後、少しばかりのやり取りを済ませ、年若い冒険者は部屋を出て行った。後に残された男は、もはやかなり短くなった葉巻に口をつけつつ、先ほど少女が口にした言葉を思い出す。
「分不相応な欲をかいては、長生きできない……か」
あと数年もすれば老人と呼ばれるであろう男の口先が、吐き出した煙からピリリと刺激をおぼえる。
その香りの変化は、口元の煙草が残り少なくなってしまったせいだけだとは、男はどうしてか思う事ができなかった。




