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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
8話・咲の告白
32/49

(1)




玉闇は寝台に座ったまま大きくため息を吐いた。彼女を後ろから包み込むようにして抱きしめている瀧蓮は、そろそろ陽が昇る時間になっても帰ろうとしない。


「もう用は済んだだろう?お帰りよ」


玉闇の首筋へ顔を埋めて、彼は返答もせずに白くむき出しになった肩へ何度も口付ける。いつまでも行為の余韻に浸る瀧蓮に、着衣を乱した姿の玉闇は心底呆れたような表情をした。


「毎度毎度、微動だにしない女を抱いて何が楽しいかねえ。

よほどの物好きか、ただの馬鹿か」


大きく温かい手が裾の合間を縫って白く艶めかしい太腿に手を伸ばす。愛を訴えるように際どい場所を撫でても、玉闇の身体はピクリとも動かない。それは行為の最中でも同じであり、彼女は最初から最後まで眉ひとつ動かすことはなかった。


大抵の男は興を殺がれて玉闇への関心を失うが、瀧蓮は決して離れようとせず、彼女の耳元にこう囁き続ける。


「・・・愛している」


「ただの馬鹿、か」


玉闇はフッと嗤って窓の外へと視線をやった。地平線は薄らと光の帯を纏い、闇色の空からくっきりと浮かび上がっている。


夜明けだ。


「一日が終わる・・・。いや、ここでは始まりか。

早くお帰り。陽が昇ったらお前は御史大夫、私は陛下の妾だ」


「冥昌」


「お前までその名を呼ぶのは止めておくれ」


懇願するような瀧蓮の言葉に、ぴしゃりと言い切る玉闇。

もともと冥昌とは尚泉がつけたあだ名。気に入らないわけではないが、それを瀧蓮にまで呼ばれるのは違和感を覚える。


「ではなんと呼べばいい」


「さあ、なんだろうねえ」


心根の美しい少女であった紫和か、生まれ変わった四帝の玉闇か、それとも妾として王宮に居る冥昌か。


自分が一体何者なのか、玉闇でも偶に分からなくなる。

ただでさえ紫和の人格が玉闇を押し殺そうとする時もあるのだ。今の彼女にとって、一番律することができないのは他人ではなく自分だった。


人格が分裂しているわけではないが、ひとつの物に無理やり押し込めたような、酷い窮屈さを感じる。


「なんなんだろうねえ、私は。

生きるのに必死だった間は、こんなこと考えたこともなかったけど・・・」


腰に回った瀧蓮の手に力が籠り、彼の存在を思い出した玉闇は自嘲の笑みを漏らした。


「お前に話すことではないか」


「俺は・・・お前が何者でも構わない」


彼女は目を細めて後ろを見遣り、瀧蓮が再び首筋に口づけを落とすと、玉闇は唇を結んで小さく鼻から息を吐く。


「・・・・そう」


とうとう赤い太陽が姿を現した。強い光を持つ朝日の眩しさにそっと瞼を降ろす。


「おはよう、御史大夫殿。

今日も天上は良い天気だねぇ」


その声色はとても甘美であったが、同時に瀧蓮にとっては残酷な言葉であった。

















瀧蓮を部屋から追い払った後、すぐに女官たちがやって来て朝の支度を終えた。やっと落ち着けるかと寝台の端に腰を下ろした瞬間、新たな客人がやって来て玉闇は頭を抱える。


「誰だい?」


「あの・・・入っていいですか?」


控えめに顔を出して中を伺ってきたのは咲だった。


「おや、久しいねえ。9日ぶりか・・・」


入りなさい、と許しを得た彼女はそっと扉を閉めて促されるままに椅子に座る。

最後に会ったのがあまりよろしくない場面であったため気まずい空気が流れるかと思いきや、玉闇は以前と変わりない様子で咲は胸を大きく撫で下ろした。


ただひとつ変わってものがあるとすれば、煙管に火がついていないことくらいだろうか。


咲は玉闇の顔色を伺いつつ話を始める。


「あの、報告遅くなってすみません。

仕事の方はお陰さまで順調です。夏月1日にある式典の為に峯州候がいらっしゃっていて、その接待を任されたんですよ。それでその・・・・」


言い出し辛い話題に咲は視線を泳がせ、玉闇の表情に変化がないことを確かめてから続けた。


「昨日お持て成しの宴を催したんですが、私の友達と何故か四帝の2人が―――――」


「ここに居るんだろう?」


「はい、そうなんで・・・えええ!?」


咲はあっさりと続きを言い当てられて仰天する。両手を卓上について立ち上がり、身を乗り出して声を大きくした。


「なんで知ってるんですか!?

歩乃花はともかく、幸子は不法侵入だったのに!」


「さあね」


クスリと艶やかに笑う玉闇。疑問が解消されないムズ痒さに咲は聞き直そうとしたが、素直に答えてはもらえそうにない雰囲気だったのでしぶしぶ諦めることにした。


ぎゅっと拳を膝の上に置いて身を引けば、玉闇は寝台から咲と同じ卓の椅子に座る。肘をついて扇を揺らす姿は日本であれば行儀が悪いと言われるであろうが、彼女がやると妙に様になっている。


「それで、相談なんですけど、陛下に会わせていただけないでしょうか。できれば内密に」


「陛下に会ってお前に何ができると?」


「それは・・・わかりません。でも今この国で起こっている争いを食い止めようと、四帝の方が動いてくださってるんです。

私は異世界人として、この争いに巻き込まれた者として、何もしないわけにはいきません」


陛下ねえ、と独りごちる玉闇。


「異世界へ帰る手掛かりなのは間違いないんです。お願いします!」


それからしばらく訪れた沈黙に、咲は手を合わせながら固唾を飲んで返事を待つ。玉闇はゆっくりと煙管に手を伸ばし立ち上がると、器用に松明の炎を火皿へ移した。

彼女の赤々しい唇からふうっと吹き出された煙は、ゆらりゆらりと揺れて窓の外へと消えていく。


「心配しなくても事はあるべきところに流れて行くよ。この煙のようにね」


咲はきゅっと固く閉ざしていた目を開き、不思議そうに首を傾げて玉闇を見上げた。


「どういう意味ですか?」


「さあ」


一定の方向へと流れ続ける煙。そして玉闇はニタリと嗤い、再び咲の目の前へ腰かける。


「陛下には私から話をつけておこう。

直接会えずとも連絡はとれるだろうさ」


その瞬間パッと咲の顔が華やぎ、満面の笑みで勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます!」


「迎賓館に居座っている猿共にはしばらくそのままで居てもらおうか。多少うるさいであろうが、お前ならできるだろう?咲」


「猿共って・・・・」


散々な物言いに渇いた笑いが漏れる咲。目的を果たして安心していたのもつかの間、玉闇の一言によって咲の心の安寧は一気に崩れ落ちる。


「それより、あれから琥轍とはどうなったんだい?」


「え?」


咲は一瞬頭の中を真っ白にして聞き返す。


琥轍と玉闇が口づけをしていたことについて、彼女は理由を聞きたくて堪らなかったが、それを押し殺して今まで普通に振る舞っていた。しかしここにきて、玉闇から話題を振って来たのだ。


わざわざ傷口を抉るような繊細な話を、一歩間違えれば2人の関係そのものが壊れてしまうような危険な話を、こうもあっさり彼女の口から出てくるとは。


身を切るような衝撃や悲しみを思い出し、咲は力一杯に膝の上の拳を握る。


「・・・どうして、あんなことしたんですか」


「別に、からかっただけだよ」


「・・・それだけ?」


「他に何の理由があると?私はあんな調子づいた青臭いガキには興味ないよ。

からかって、遊ぶ。ただそれだけ。暇つぶしみたいなものさ」


今までどれだけ苦しみ、玉闇を恨みそうになる自分を押し留め、失恋した自分と戦ったことだろうか。その辛さをただ“暇つぶし”という理由だけで収めてしまった玉闇。


「酷い・・・・」


咲は珍しく眉間に深い皺を作り、面白そうに輝く闇色の瞳を見つめきれずに俯いた。

玉闇は煙管を吹かしながら余裕そうに嗤う。


「言っただろう?私は優しくないって」


「でも、人が苦しんでる姿を見て暇つぶしだなんて・・・」


人の不幸は蜜の味。人が苦しんでいる様は時として人に優越感を与える。しかしそれはあくまでも、傍観者としての感情。

不幸を身に受ける者は苦しむだけ。そして手ずから不幸を与える者は道徳から外れた存在だ。


玉闇は自ら手を下した。それも、何度も言葉を交わした知り合いの咲を相手に。

心が痛まないどころかそれを面白がる彼女は、狂っているとしか言い様がない。


玉闇は面白そうに喉を鳴らして嗤う。

この場から一刻も早く逃げ出したくなった咲は、急いで立ち上がると早足で玉闇の部屋を後にした。


















王宮が最も騒がしい午後。足音と共に扉が開く音が聞こえ、寝台に横になっていた玉闇は至極気怠そうに振り返って訪問者を迎えた。


「相変わらず美しいね、冥昌」


「揃いも揃って、私を過労死させるつもりかい?」


「つれないなあ、せっかく会いに来たのに」


歓迎されない雰囲気に尚泉は唇を尖らせて拗ねるが、いい歳の大人がやっても全く可愛くない。彼は玉闇の呆れと冷たさの混じった視線を受けつつも、意に介することなく椅子に腰を下ろす。


晩春の生温い風が部屋に吹き込み、尚泉は柔らかな笑みを零した。


「三足の男をからかったそうだね。彼が私の所へ直接抗議に来たんだ」


最近からかった三足の男と言えば琥轍だ。あの時に宣言していた通りに不義を訴えたらしい。

まったく困ったね、とやんちゃな子どもに対するような言い方で尚泉は首を横に振る。


「あんまり恨みを買うと後が大変だよ?」

 

「何を今更。

それより石板のことだけれど――――――」


玉闇が石板と口にした途端、すっと彼の目が細まった。

長らく報告を受けていなかった石板の事件。しかし、在り処が見つからないまま事態はどんどん悪化している。


「何かわかったのかな」


「そりゃあ、ね。依頼を受けてからもう大分経つからねえ。

それより、異世界から来た小娘たちが知りたがっているよ。石板の件は一応伏せてあるけど、武器が持ち込まれた一件で異世界と行き来する方法があるということまでは嗅ぎつけてる」


どうする?と問われ、尚泉は少し困った顔をした。


「知りたがってるならできる限り教えてあげたいけど、でも若い女の子を巻き込みたくはないなあ」


「巻き込むもなにも当事者だろうに」


「んー」


「任せるからもう帰っておくれ。眠くて叶わないよ」


腕を組んで考え込む尚泉に、はあと疲れ切ったため息を吐いた玉闇。昨夜から一睡もしていないために瞼が重く、鉛を背負っているかのように身体の倦怠感が抜けない。


「寝不足かい?」


「まあね。とにかく、咲たちの相手は任せた。

とっとと出てお行き」


立ち上がった尚泉の背を遠慮なくぐいぐいと押して部屋から追い出した玉闇は、やっとゆっくりできると一目散に寝台へ向かって身体を投げだした。




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