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咲が琥轍と玉闇の口づけを目撃した翌日、琥轍から事のあらましを聞き、失恋ではないとわかっても彼女は素直に喜べなかった。恋愛相談をした直後に口づけを見せつけたということは、玉闇は咲に対して故意に傷つけたことになる。そこに何の意味があるのか全く理解できない。
最初に仕事で得た情報は逐一報告すると約束したが、気まずくて玉闇の部屋を訪ねられない咲。問いただす勇気も湧かず、なんとなく過ごしているうちに一週間も経ってしまった。
恋を意識してギクシャクしだした琥轍との間柄も、幸い三足の仕事に慣れてきて別行動が多くなり、今のところは波風立たず平穏を保っている。
しかしいくら距離を置いたところで、根本的な問題が解決するわけではない。よって咲は未だに胸の中につっかえているものが取れず、憂鬱に浸る時間が多くなってきた。
「はあ・・・」
「大丈夫かい?葵杏。
無理しなくていいんだよ」
「三足長ぉ」
優しく声をかけてくれたのは体調が悪そうな三足長。咲は半ベソをかきながらその優しさに感動する。
「もし休みたいなら遠慮なく言ってくれ。
最近仕事を頼みすぎてしまっていたからね・・・ごほっ・・・、罪悪感を感じていたんだよ」
「ありがとうございます、でも平気です」
仕事にプライベートを持ち込むべからず。相変わらずの仕事中毒である咲にとって、仕事を休むということは致命的だった。悩み事が尽きない今は特に、忙しい方が考える時間が少なくて楽なのだ。
三足は祝日前の祝相ほど忙しくはないが、諸侯を相手にする仕事なので、礼儀作法や口上等覚えることが多い。新人である咲には勉強に時間を割かなければならず、思った以上に忙しい毎日が続いている。
「そうかい?
でももうすぐ式典の準備が始まるから忙しくなると思うし、今のうちに休んだ方がいいんじゃないかな」
「式典、ですか?」
小首を傾げる彼女に、三足長は柔らかく笑んで頷いた。
「そう、夏月の1日に式典があるんだよ。
諸侯が王宮に上がる唯一の日でね。内容は平たく言うと陛下の御息災を祝って、これからの健やかな健康と国の安寧を祈る・・・こんなかんじかな」
「へえ。じゃあ諸侯がいらっしゃるってことは、三足は忙しくなりますね」
「そうなんだよ。
まあ一応立場はこちらの方が上だから表立って問題が起こることはないんだけど、中には陰険なやり方で嫌がらせしてくる人たちもいるからなあ・・・」
「えー・・・」
咲は嫌そうに顔をしかめて不満を漏らす。
三足と言えば天上人でも下位の地位に当たるため、地上での頂点に立っている諸侯にとっては格好の獲物。しかも天上に上がることで高圧的になるらしく、ちょっとした諍いが起きるらしい。
三足長もやれやれ、といった様子で首を横に振った。
「特に浬州の大守は毎回いろいろやらかしてくれててね・・・。
もちろん全ての人がそういうわけじゃないし、諸侯と会うのを楽しみにしている三足もたくさんいるよ。忙しいと言っても祝日のように大がかりなものではないし、基本的に三足の仕事は接待だけだから」
「そうですね・・・・。私も、ちょっと楽しみです。
三足の仕事って好きですよ。地上と行き来できるし、いろんな人に会えるし」
うん、と三足長は同意して口を開く。
「私もこの仕事、すごく気に入ってるんだ。王宮に居るとどうしても民の生活が見えないけれど、私たちは天上と地上の双方を見て知ることができるから。
だから三足の身分は低いけど、意外と志願者が多いんだ」
「ですよねえ。じゃあ琥轍も志願者なんですか?」
「琥轍かい?」
「あっ・・・いえ、その・・・ははは」
今一番考えたくない人物の話題を自分で出してしまい苦笑いをする。しかし三足長は気に留めることもなく面白そうに微笑んで答え始めた。
「琥轍は三足の中じゃ古株だよ。
基本的に移動が多い部署なんだけど――――――、諸侯との癒着を防ぐためにね、――――――琥轍は結構前から居るね。まあ彼は優秀だし、うちとしては助かってるからさ」
「へえ・・・」
「心配しなくても大丈夫だよ。若い割に給金は貰ってる方だから、一家を支えるのになんの問題もない」
いい笑顔でグッと親指を立てる三足長に、咲は「へ?」と間抜けな声を出す。
「確かに琥轍は格の高い家柄出身だけど、陛下もきっと喜んで祝福してくださるだろうし、なんなら私が琥轍の両親を説得してもいいんだよ」
「あの・・・なんの話です?それ」
「何って、結婚するんじゃないのかい?」
「え?三足長がですか?」
「え?」
「え?」
話がかみ合わずちんぷんかんぷんな2人は、お互いが目を点にして聞き返す。
なんとか誤解を解こうと三足長が一から説明したところによると、どうやら彼は咲と琥轍が恋仲で結婚を考えていると思っていたらしい。
咲は先ほどの言葉の意味を理解した途端に顔を真っ赤にし、手をぶんぶんと大きく振って必死に否定した。
「な、何言ってるんですか!結婚なんてしませんよ、絶対!
それ以前になんで琥轍が恋人ってなんですか!」
「違うの?いやあ、仲が良いからつい・・・。これでも結構気を利かせたんだけどなあ・・・」
ふむ、と三足長は顎に手を当てながら考え込む。勘違いの原因は言わずもがな、事件に巻き込まれた咲の護衛で琥轍がいつも一緒に居るからだろう。
実のところ、2人の仲を勘違いしているのは彼だけではない。
「違います!誤解です!三足長はとっても大きな誤解をしていらっしゃいます!
そりゃあ一緒に居ることは多いですけど、そういう関係じゃありませんから!琥轍と恋人なんて天地がひっくりかえっても絶対ありませんからね!!」
「う、うん・・・・」
あまりの勢いに押されて頷く三足長。
咲の大きな声は三足長のみならず三足の仕事部屋全体に響き渡っていた。しかし必死すぎる咲はこの場に居る全員に聞かれていることに気付かず口を動かし続ける。
「本当にもういろいろ追い詰められてるんでこれ以上変なことしないでください!琥轍と一緒に仕事するのも嫌なんですから!これでもかなり我慢してるんですよ、私!
琥轍と恋人なんであり得ません!無理!私の恋人は仕事なんです!仕事に生きる人間なんです!一生結婚もせずに仕事して40歳過ぎてから売れ残りって後ろ指差されるタイプの人間なんですよ!!」
混乱して独り突っ走る咲であったが、突如背後に冷たい空気が流れていることに気づき、彼女は恐る恐る後ろを振り返る。
「ふーん・・・」
「げっ」
噂の本人が真後ろに居た。咲は自分が先ほど口走った数々の失言を思い出し、体中から嫌な汗が噴き出す。
頭の中でフォローの言葉を探してみたが、発言があまりにも直球すぎて訂正できない。恋人どころか仕事を一緒にするのも嫌だ、とまで言ってしまったのだから。
「俺と仕事がそんなに嫌ねえ・・・」
「いや、その・・・ね?言葉の文って言うか・・・」
仕事をするのは嫌なのはこれ以上恋の深みに嵌ってしまわないように。恋人になれないのは自分が異世界に帰る決意をしてしまったからだ。
もし勘違いを解くのだとしたら、それこそ異世界トリップのくだりから片想いをしている所まで説明しなければならない。
咲は冷や汗をダラダラかきながら顔を覗き込めば、琥轍は眉間に皺を寄せて引きつった表情をしていた。完全に嫌われてしまった気がして、どうにかしなければと焦ると同時に何も言えず悲しくなる咲。
「そんなに仕事が好きならちょうどいい。
明日到着する諸侯の接客と案内頼んだぞ」
彼女が口を開く前に琥轍は大量の書類を無理やり押しつけて踵を返す。
こんな時こそ玉闇に感情を吐露したいのにと、咲は琥轍の背中を見送りながら大きくため息を吐いた。
「三足長、私何かにとり憑かれてると思いません?
最近嫌なことばっかり起きるんですよ・・・ホント・・・」
影を背負って項垂れる咲に、三足長は眉尻を下げて困った顔をする。
「やっぱり少し休んだ方がいいんじゃないかな・・・」
「うー・・・でも仕事貰っちゃったし・・・はあ・・・。今年は厄年なんだろうな・・・」
「と・・・とりあえず琥轍とはすぐに仲直りできるよ。あまり気にするような人じゃないからね。
大丈夫大丈夫。仕事がこれ以上に忙しくなるとさっきのことも忘れると思うよ」
「はい、がんばります」
琥轍との関係が悪化したのは自業自得だ、そう咲は腹を括って頷いた。琥轍からも仕事を貰ったことだし気を取り直そうと、彼女は持っていた重たい書類の山を机上に置く。
「えーっと、明日到着する諸侯の接客と案内でしたっけ。
あれ?式典って来月じゃありませんでした?まだ後2週間もあるのに早くありません?」
「うん、諸侯は毎年代表が代わることになっていて、代表に選ばれた州は式典の際に諸侯の総代表としていろいろ仕事をしなければならないんだよ」
「じゃあ明日来るのは今年の代表なんですね。んー、これなんて読むんですか?」
「峯州。王宮のお膝元にある州のひとつで、国軍が設置してある軍人の街なんだ。
大守の北葉は昨年就任したばかりの新人だから、きっと君に辛く当たることもないだろう」
咲は穏便に仕事が進められそうでほっと胸を撫で下ろす。
まだまだ新人の自分に文句をつけられても黙って従うしかないため、1人で接待に当たるのはとても不安だったのだ。
ところが書類を見たところによると、案内しなければならないのは咲もまだ行ったことのない場所。ちょっとだけ咲の顔が青ざめた。自分が迷ってしまいそうなのに、客人を案内する自信は無い。
「迎賓館なんてあったんですねえ・・・。
ああ、宿舎の反対方向ですか、どうりで・・・」
普段寝泊まりしている建物があるのは本宮の東側。迎賓館はその真逆の再西端にあり、かなり離れた場所にある。
書類の地図を見た限りだと、他にも思いがけない建物が数多くあった。迎賓館の隣には楽士隊舎、宿舎の隣には咲が初めてこの世界に来た時に隠れていた倉庫。
そして彼女の目を一番惹いたのは、後宮のさらに奥にある大きな六角形の何か。指を差して三足長に見せると、彼は身を乗り出して書類を覗き込む。
「なんですかこれ」
「ん?・・ああ、これは神殿だよ。知らないのかい?」
「そうですよね、神殿ですよね」
知らない人などいないのに、そういった口調で問われ、咲は慌てて笑顔で頷く。王宮の最奥に神殿があるのはこの世界の常識だが、もちろん咲に知る由も無く。
「迎賓館って広いですね。式典には諸侯がいらっしゃるんだから当然か。
楽士隊なんてあるんですねえ、面白そう。私まだ見たこと無いんですよお」
彼女は先ほどの失態を誤魔化さんばかりの早口で別の話題を並べた。多少語尾がわざとらしくなったが三足長は構わずに話に乗ってくれる。
「国王お抱えの隊だから見る機会はなかっただろうね。でも今回の接待で宴を催す時に呼ぶから、その時にきっと会えるんじゃないかな」
「宴・・・ははは・・・」
書類に書いてある注意事項を呼んで咲は苦い笑いを漏らした。こんなたくさんの仕事を押し付けた琥轍にちょっとだけ文句を言いたくなった咲であった。




