第2話 勝利の女神とギャンブルを
水の日の夜、おじか亭近くの家の軒先で、瑛人とインコを肩に乗せた少女は落ち合った。
「あのー、本当にいいの?」
「いいわよ。急患が出たから夜遅くなるし、馬車を借りて帰ると伝言してって、レインさんに言ってきたし」
オレンジがかった赤毛をまとめ、尖り帽子に押し込んでいる少女は、そう言って笑った。
この赤毛の少女は、ロゼ。
バイト先の魔術店の見習だ。
週に一度は干し草売りのレインさんの馬車に同乗して街に出、医者の手伝いや買い出しをして村に帰って行く。
しかし、それにしても後でばれたら恐ろしいことになりそうだ。
ロゼは大丈夫と言い張っているが、彼女を溺愛しすぎてシスコン呼ばわりされている店長が夜中に酒場へ二人で行くのを許すとは思えない。
タロットの賭け事など論外だ。
だが、望みの綱は彼女しかいない。
瑛人の表情を読み取ったのか、ロゼが楽しそうに言った。
「いいのよ、私だってだまされっぱなしは嫌だから」
まだ、半年前セトに騙されたことを根に持ってるらしい。
「なーに、嬢ちゃんならちょろいちょろい。
夜が更ける前に帰れるさ」
ロッドが安請け合いした。
「そうかしら?」
はにかんで彼女が尋ねる。
「もちろん」
ロッドは嘴をかちかちと震わせた。
「嬢ちゃんは天性のギャンブラーだぜ! 負けるわけねえよ」
「ありがとうロッド! 頑張るわ!」
おおよそ女の子にかける褒め言葉ではないが、ロゼは気にもせず喜んでいる。
そして、無邪気に瑛人に尋ねた。
「で、タロットポーカーってどんなルール?」
瑛人は少し不安になってきた。
タロットポーカーとはトランプのポーカーとほぼ同じだ。
カードを五枚ずつ配り、持っている役で勝負する。
賭け金は、最初に場所に出す枚数は決まっているが、後は自由につり上げられる。
上がった時点でゲームを降りると、負けと見なされる。
役には同じ数字を合わせたり、数字を揃えたりといった他、教皇や魔術師といったタロット特有のカードも役に関連してくる。
カードの役が心許ないときは、余りのカードから交換することができる。
とりあえず、そこまで教え込んで瑛人はロゼを酒場に引き入れた。
ロッドは目立ちすぎるので、酒場の外に置いておく。
店に入ると、やはり汚いヒゲ面の男が、カードのテープルを囲んでいた。
今日は修練所の寮の連中はいない。
多分、瑛人が行かなかった日にバルドの賭けに負けてしまったに違いない。
リベンジだ、と瑛人が息巻くと、バルドはヒヒ、と笑って言った。
「何だ、また身ぐるみはがされに来たのか?」
「ゲームをするのは私よ」
ロゼがそう言うと、バルドはもっと大口を開けて笑った。
「女がカードをするとはね。修練所の学生さん達はよほど暇だと見える」
「そうね、いいでしょ、女がカードをしても」
そう言って、ロゼは軽やかに椅子に腰掛けた。
赤い財布をエプロンのポケットから取り出し、ざらざらと中身の銀貨や銅貨を積み上げる。出し過ぎだろ、と瑛人があせっていると、バルドが意地悪く言った。
「最初から全額勝負ってか、潔いな。だが、俺は三番勝負が好きでね」
バルドはゲス顔で唇の端をつり上げた。
「なあ、賭けるものがなくなったら、1銀貨ごとに服を脱いでいくってのでどうだ?」
「なっ!」
余りのことに、瑛人は机を蹴って立ち上がった。
ロゼに対して下品過ぎる。だが、ロゼは口調も変えずに、カードをそろえながら言った。
「ええ、いいわよ」
バルドと野次馬達は高い口笛を吹き、最高に盛り上がった。
まずい。さすがにそれはまずい。
口をぱくぱくさせてロゼを止めようとする瑛人から視線を遮るように、ロゼはカードをばさっと広げて言った。
「でも、誰も得しないわよ?」
本当に誰も得しませんでした。
「も、もういいだろ? これ以上は……」
「嫌よ。レイズ」
既に積み上げられた銀貨の上に、もう一にぎり銀貨が積み上げられた。
瑛人はまるで新しい魔術を見ているときのようにぼうっとしながらその試合を観戦していた。
3回勝負のうち1回で、バルドは既に瑛人から巻き上げた分の銀貨も取り返された。仲間から借金して挑んだ2回戦でも、ぼろぼろに負けている。ちなみに、彼は今パンツ一丁となり、自分で設定したエロルールが完全に裏目に出てしまっている。本当に誰も得しない。
それはそうだ。瑛人はロゼの能力を知っているつもりだったが、少し見くびっていた。
感情把握。それがロゼの能力持ちとしてのスキルだ。
能力持ちとは、特別な能力をもった先天的に魔力出力が高い人々だ。
能力の発現の規模は様々だが、ロゼの場合は、他人の感情をある程度目を見るだけでわかるらしい。
それが一番発揮されるのは、こういうカードのような心理戦なのだろう。
ポーカーフェイスも意味がない。相手がカードに不満を持っていると知ったそのとき、絶妙なタイミングで揃ったカードを出してくる。
……ロゼと賭け事をしなくてよかった。
本心からそう思っていたとき、ロゼがぱさっとカードをテーブルに置いた。
「はい、5のワンペア」
クラブとソードの5のワンペアで出した!
もっといいカードを待てなかったのか!
あせる瑛人だったが、バルドは呻いて……机に突っ伏した。
「今よ! 瑛人、その人の腕捻ってくれる?」
突然凜とした声でロゼが指示した。
瑛人は慌ててバルドの腕を掴んだ。
「くそ、何しやがる!」
バルドが暴れたが、瑛人はこの目ではっきりと見た。
持っているカードが五枚から十枚に増えている。
そして、教皇、死、塔などのカードがばらばらとバルドの手から落ちた。
どれも、一つでもあればこのペアを覆せるほどのカードだ。
「いかさまだ! パンツに隠してやがった!」
瑛人は歯がみして叫んだ。どおりでいつだって勝てないわけだ。
最初の2回はいい思いをさせて、勝てると思い込ませ、最後の勝負で全てかっさらっていく手はずだったにちがいない。ショックすぎる。これまで瑛人が触っていたカードがこの汚いパンツから出ていたこともショックには違いないが。
バルドが仲間に担ぎ出されるようにしてほうほうの体で逃げていった後。
野次馬の喝采は最高潮に達し、その日、おじか亭は上から下への大騒ぎとなった。
その間に、ロゼと瑛人は銀貨で一杯になった袋をもって、こっそりと抜け出した。
「いや、助かったよ、ロゼ。ありがとう!」
「ううん、私も楽しかったし、よかったわ」
路地裏で楽しく話をしていると、瑛人の頭にかぎ爪がわしっととりついた。
「ああ、ロッド! 計画通り、大成功だぜ!」
「そうか、それはよかったな」
……浮かれた気分から一転、地獄の底に落とされた勢いだ。
ロッドのクチバシから聞こえてきたのは、いつもの耳障りなしゃがれ声ではなかった。
少々金属音が混ざってはいるが、いやに冷たく落ち着いた口調のしゃべり方だ。
カミノ村魔術店の店長、セトに違いない。
いつの間に、ロッドの精神を乗っ取ったのだろう。
まずい、ばれた。
ばれてはいけない相手にばれた。
瑛人は汗がだらだら出てきた。
「ロゼが急患で街から戻らないのは、今まででもあったことだけれど。
少し心配だったから、ロッドと精神共有したんだが。
……酒場の窓から見ていたら、どうも大勝ちしていたみたいじゃないか。
寮からの脱走、未成年の飲酒、賭事。
何か申し開きは?」
「ありません……」
そこから、延々と説教が続いた。
瑛人には通常攻撃が通りにくいからといって、精神攻撃に主が移ったのはいいとしても、いつもそこまで喋らないくせに、こういうときは口が回る。
「だいたい、どうしてロゼまでこんな話に乗ったんだ。
たとえ絶対に勝てたとしても、逆上して襲い掛かってくる相手だったら、今頃大変なことになっていたんだぞ」
「うん、私も悪かったわよ。でも、そろそろエイトを許してあげて」
ロゼが頼んでも、赤いインコはかぶりを振った。この精神共有は疲れるとか何とか言っていたはずなのに、どれだけ疲れても瑛人への説教を止める気配はない。
「本当に反省してるんだろうな?
有り金全部すったのはもちろん、ロゼを利用して大金をせしめようなんて。
だいたいそこの修練所はどうなってるんだ!
ゆるすぎるにもほどがある!
私のいたところは酒なんて飲んだら一週間地下墓地に閉じ込められていたぞ。
さて、こんな暴挙を最初に計画したのはだれだ」
エイトは、恐る恐る真実を話した。
「……ロッドだよ」
「よしわかった、こいつにも後で言って聞かそう」
そして、がくっとインコの首が下がった。
再び顔をあげたとき、ロッドは元のしゃがれ声で叫んだ。
「ばらすなよエイト! 恩を仇で返しやがって!」
いやごめん、とエイトは能天気に謝った。
ロッドはかちかちとクチバシを震わせて考えこんでいた。
「よし。エイト、俺にもうひとつ秘策がある!
もう一度酒場に行って、ティルキアンワインボトルの10年以上前のやつを買ってこい!
買収だ! それしかない!」
うるさく言うロッドを置いて、エイトは急いで酒場に戻った。喧騒はまだなりやまず、
詐欺師を追い出したおじか亭は活気に満ちている。
エイトは酔っ払い達の差し出す酒をかい潜ってカウンターへと進み、店主へ言った。
「ティルキアンワインボトルの10年以上前のってある?」
酒場の親父は目を丸くした。
「あんた、通だねえ。
ちょっと待ってろ、倉に残ってるか見てくる。
だが、あれは金がかかるぞ、いいのか?」
かまわないと瑛人が言うと、酒屋の店主はしばらくして丸い埃のかかった瓶を持ってきた。
全体的に黒みがかっていて、白かったであろうラベルは黄色に変色している。
インクも大分薄くなっていたが、ラベルの中央に碇と葡萄の紋章があるのは読み取れた。
しかし、汚い。こんなものがそんなに高いのだろうか?
心の声を見透かしたように店主が言った。
「これがこの店に残っている最後の一本だ。
ティルキアンワインはすでに製造中止されて10年。
そのなかでも華の73と呼ばれた当たり年のものだ。
この店でもとびっきりの高級酒で、言っとくが値切りはきかねえぜ」
瑛人はその迫力に負け、肯いた。
「結局、有り金が半年貯めたバイト代の半分くらいになっちゃったんだけど……」
汚い瓶を握りしめて店から出た涙目の瑛人を慰めるように、しかたねえぜ、とロッドが首を上下に振った。
「元々危ない橋だったんじゃないか。半分でも取り戻せりゃ御の字だろ。
とにかく、種まき休暇にそれを土産にして帰れ。
それで最悪の事態は免れる」




